2016年02月10日

相撲雑記

夜のトーク番組で初場所で優勝した 「琴奨菊」 と、敢闘賞を受賞した 「豊ノ島」 が出演していた。

彼らは部屋は違えど、仲のよい友人関係であり、ライバルでもあるという。
また先場所、全勝の琴奨菊に黒星をつけたのが豊ノ島で、好敵手ぶりを結果で示した。

その夜、負けた琴奨菊は悔しさのあまり、豊ノ島に 「今度は負けない」だか、メールを送ったというが、ああいうことは黙っておいて、自分の中に秘めておくべき闘志だよな。

裏話を公開するのもなんだが、勝った相手や負けた相手に、そんなことするかな。
スポーツの表現方法に 「そのパフォーマンスは必要か?」 と思ってしまう。
ライバル関係にしかわからない、折々の心情はあるだろうが、勝負事にSNSはなじめないなあ。

大体 「勝負師たる者、つぶやくなよ」 と思うし、テレビで友情物語を公開するのはいいけど、本場所でそんな交流をしていたことを知ると、手心を交換しあっているとさえ思われてしまう。

そういうことは、本場所が終わってから、好きなだけ交流すればいいし、個人的な感想を重ねれば、    過剰なる意思は勝負の世界において、ありがた迷惑に受け取れることもある。

それに地方巡業や大相撲トーナメントじゃあるまいし、本場所は寡黙な気迫に迫力が宿るんだ。
SNSで、感情をやりとりをしている姿は、何となく軽くて安っぽく感じてしまう。

だから、男のドラマは、モノ申さぬ好敵手となるべき。
それをわかっているのが 「稀勢の里」 であり、彼の風格と言い換えてもいいだろう。

ボクはあきらめの胸中で、稀勢の里を無視していると思われていそうだが、一度は優勝してもらいたい気持ちは、今も変わらないからね。

長年、大相撲を愛するがゆえ、辛口な部分はそれだけ力士に魅せられている証拠である。
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2016年02月07日

桑田真澄

桑田真澄はいい男だ。

盟友、清原和博の逮捕を受けて、重い口でインタビューに答えた。
数年前から 「悪い噂」 を耳にしており、その真相を確かめるべく、彼と何度も話をしたという。

しかし、清原に煙たがれ 「一切かかわらないでくれ」 とまで言われ、関係性を絶たれてしまった。
あの二人は、和解と断絶を繰り返しながら、本当に話し合いが必要なときに限って、いつもこうである。

桑田は巨人の入団当時からクレバーと言われ、マスコミからは、可愛げがなく暗いとまで言われた。
清原はドラフト会議の同情的な人気にもあやかり、やんちゃでわがままな印象を持たれながらも、その豪快な性格は球界の番長として、不動の人気を得ることになった。
そして、ともに結果を出して今がある。

そんな二人だが、清原は野球だけを見ていた‥  いや、野球すら見ていなかったようにもうつる。
だが、桑田は野球を見て人生も見る、すなわち 「木を見て森も見ていた」 のだと思える。

世の中、いいときだけ、友人と称する男は多い。
桑田は言葉しかり、清原に毅然とした態度でのぞんでいた。

人間関係なんて、カンタンさ。
言葉ではいくらでも 「心配していた」 と言えるが、その行動だけはウソをつかないから。

男は行動で信用を重ねていく性質だから、それまでの桑田は本当に清原のことを心配していたんだ。
それを身勝手にも無下にした清原のことを、はたして男と呼べるであろうか。

甚だ、男っぷりを勘違いしているところがあり、見た目の存在感に男を投影している姿があった。
しかも、周囲は神輿を担ぐだけ担いでおきながら、神輿が転倒したら、桑田や佐々木らの精鋭以外は、空目を使いながら、その場から白々しく立ち去った人が、大半だったと思える。

清原の取り巻きは、腫物にでも触るかのように接するから、本人も次第に引っ込みがつかなくなる。
そのうち、黒い交際がささやかれ、刺青を入れて、喧嘩自慢みたいな話に恍惚感を覚えるようになる。
「あれは、かっこ悪いんだ」 と言うのが、友達としての資質であろう。

桑田の魅力は、普段はおとなしい性格だけど、いざというときに行動できるたくましさがあるんだ。
野球で教養を学んだと思えるし、何よりもマウンド上で、自立心を育んできたんだと思える。

最後は神妙な面持ちで 「スポーツ選手は暴力とドラッグから、一番遠い存在であらねばいけない」 とスポーツマンらしく、社会的なメッセージでコメントを締めた。

しびれるぜ、桑田真澄‥   男らしさは外見ではなく、内面の硬派であることを学べるではないか。
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2016年02月04日

清原和博

清原和博は甘ったれである。

3日 元巨人軍の清原和博が覚醒剤所持の容疑で逮捕された。

彼は引退まもないころ、自身の半生を赤裸々につづった 自伝 「男道」 を出版した。
中でも、巨人に対する屈辱感は、計り知れないものがあった。

さかのぼれば、ドラフト会議で手のひらを返されたことが怨念となったその後、西武の黄金時代で実績を残すと、因縁のある巨人が頭を下げて、FA入団オファーをかけてきた。

清原は迷った末、過去の経緯を水に流して、巨人の新戦力に加わったもののケガの影響もあり、思ったほどの結果を出せないジレンマに悩まされたあげく、優勝できない責任を球団幹部から告げられた。

たがいの言い分は納得のいくものではなく、最終的には埋め難いしこりを残すハメとなったが、結果は戦力外通告であったにせよ、感謝をされた別れでなかったことに、プライドは傷ついたという。

巨人は王者としてのブランド力があり、交渉力と資金面に長けているが、成績不振で退団する選手にはねぎらいの言葉ひとつなく、事務的に放り出す印象が強かった。

それまで、巨人に礼を尽くし、感謝の意を述べて立ち去ろうとしている選手の背中にまで、無視と批判を浴びせるような組織イメージがある。 (アンチ巨人の理由は、そこにもあるんだけどね)

文中 「オレのプロ野球人生は恨みではじまり、恨みで終わるのか」 と記されてたが、後にオリックスの仰木監督に 「おまえの花道はワシが作る」 と口説かれたのは、男の美談として語られている。

仰木監督は、男気あふれる人物だった。
清原の実力は折り紙付きだが、繊細で人を恋しがる一面があることを、仰木監督は見抜いていた。

ボク自身、長年会社勤めをしていたから、彼の視点に立って感じられ、その人生に共感さえしていた。
だが、移籍で夢と希望を取り戻したのに、監督の遺志を裏切る行為をしたのだから、ボクの中の清原は色あせてしまった。

斜に構えて 「悲劇のヒーロー」 「球界の番長」 を気取っていた節もある。
だれもがうらやむ経歴を残しながら、過去の栄光を清算できず、元来の気の弱さを威圧的な態度をして見せることで覆い隠していた。

18歳で、西武にドラフト一位指名されたとき、膨大な契約金と今後の道筋も大きく広がった。
そのとき、小さな電気店を営む父親から 「お金を稼ぐことがどれほど大変か忘れるなよ」 という言葉を胸に刻まされたという。

肉親と恩師、盟友の愛情を受けながら、覚醒剤で恩を仇で返すことは 自伝 「男道」 に反することだ。
ボクに言わせれば 「ファンや野球少年たちの期待を裏切った」 なんてのは、大人の詭弁である。

愛情とは、勘違いして浮かれてるとき、精神的に苦しいとき、一番近くで自分を支えてくれた人たちへの恩返しでしかないんだ。

年齢が近い分、共感できる部分があっただけに、ガッカリしたのはそのためである。

だから、清原和博は甘ったれなのである。
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2016年01月26日

モンゴル力

25日 新聞の見出し 「初優勝」 が、いつもよりも大きく見えた今場所。

むしろ、琴奨菊の優勝よりも 「10年ぶりの日本人力士優勝」 のほうが、意味合いがありそうだ。

優勝の喜びはくみするが、これまで国技を支えてきたモンゴルを中心とした外国人勢に敬意を払うのは忘れてはいけないことである。

長きにわたり、相撲人気が低迷していた時代、理由を 「日本人の横綱が不在」 「日本人が弱すぎる」 と、何かにつけて、日本人が日本人を建前にしてきた。

もはや、国技の門戸を開いたのであれば、日本人力士が強くなるしか説得力がない。
しかし、その意識の差は明確なのに、大相撲ファンは日本人を 「判官贔屓」 にしていた。

終盤、白鵬や日馬富士は別人のような相撲内容で黒星を重ねたが、どこか目に生気がなく、今場所は情熱を失いかけているようにも感じられた。

そうあってほしくはないが、モンゴル勢からすれば、ここまで国技を守ってきたのに、こうまで騒がしく  手のひらを返されたようであれば、プライドが傷ついたんじゃないのか。

彼らのおかげで恩返し (勝つこと) できたのであり、日本人力士の優勝はそれまで鍛え上げてくれた、モンゴル勢との稽古の賜物でもあるから、最低限の敬意はもって取組を楽しむべきである。

まあ、本当に実力の差が縮まったのかどうかは、あと二場所は見ないとわからない。

それよりも、逸ノ城はどうしちゃったんだろうね‥  恋わずらいでもしたのかな。
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2015年12月15日

パ・リーグ

プロ野球談議に、花が咲いた夜。

プロ野球を初観戦したのは、昭和49年の小学4年生の夏休みで、後楽園球場 「巨人×大洋」 戦。
奇しくも、巨人は中日に10連覇を阻まれ、国民的ヒーロー長嶋茂雄が、惜しまれながら引退した年だ。

そんなことも知らず、ただ電光掲示板に映し出されていた、テレビでなじみのクリーンナップ 1番/柴田 2番/高田 3番/長嶋 4番/王 ‥ をながめながら、プロ野球の熱気を初めて体感した。

子ども心に、野球が好きになるきっかけに居合わせながら、巨人のファンになれなかったのは、人気がありすぎて、強いことに他ならなかった。

そのころから、強きを打倒する快感があったようで、小が大を制すことに純然なロマンを求めていた。
だから セントラル・リーグ よりも パシフィック・リーグ

それも、この年に日本シリーズを制覇した 「ロッテ・オリオンズ」 を長年ひいき目で見ることになるが、 特定の球団よりも 「パ・リーグのファン」 になった。

同じプロ野球なのに、テレビ中継はなく、観客数も悲惨で、情報は新聞のスポーツ欄で得るしかない。
ドラフトでは 「パ・リーグだったら行かない」 とか、選手が記者会見で半ベソをかいているわけだ。

それと新潟は、パ・リーグの公式試合ばかりだったから、セ・リーグの中でも、取り分け巨人はテレビのスターチームでしかなく、生みの親と育ての親のちがいのようで、どうも感情が伝わってこないんだ。

たまにセ・リーグが来たと思えば2軍だし、大リーグの 「メッツ×巨人」 の親善試合が行われた後には言うに事欠いて 「新潟の球場はボロいから、ケガをしそうでこわい」 だの不服をたれ流したと聞くし、確かにそうだけど 「プロなら、どんなところでもできるだろう」 と反発もあった。

そういう、エリート意識を漂わせているセ・リーグをオールスター戦で、パ・リーグがきりきり舞いにして、日本シリーズになれば、パ・リーグ覇者 「阪急」 あたりが、セ・リーグの覇者をコテンパンにしてくれ
「人気のセ・リーグ 実力のパ・リーグ」 の称号は伊達じゃなかった。

パ・リーグが、陽の目を見るようになったのは、帝国 「西武ライオンズ」 からだが、人気と強さは   比例しないことを教えてくれたのは、あの時代の渋い 「阪急ブレーブス」 なんだよな。

剛速球 「山口高志」 技巧派 「山田久志」 盗塁王 「福本豊」 名手 「マルカーノ」 など。
必殺仕事人ばりの武闘派タイプが揃っており、セ・リーグにはいない、いぶし銀のような面子だった。

後の猛獣ピッチャー 「アニマル」 や パワースラッガー 「ブーマー」 などの活躍を思い出せば、    如何に個性派揃いだったかわかるであろう。

古くは張本や野村、落合や清原、野茂やイチロー、現在のダルビッシュにマー君、岩隈、これからの    大谷や中田など、派生はパ・リーグであり、実力で振り向かせる反骨心が原動力になっているんだ。

そんなフォーカスされにくいのもプロ野球の楽しさながら、あのころはスポンサーの力が絶大だったから引き上げられなかった能力、埋もれたままの才能など、人知れず消えた選手もいたと思う。

そんな会話を元南海ファンのお客さんと交わし、当時資金難に喘いでいたラッシャー木村をエースとした 「国際プロレス」 のような、無骨で泥臭いパ・リーグであったことで、おたがいの剣をサヤにおさめた。

この話、世代がバレバレで、野球に興味がなければチンプンカンプンであろう。
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2015年11月19日

猫だまし

大相撲九州場所10日目

横綱の白鵬が関脇の栃煌山を相手に、まさかの 「猫だまし」 との見出しが大きく踊っていた。
館内からは罵声が浴びせられ、横綱審議委員会からも 「前代未聞」 だと苦言を呈されていた。

あの一番、テレビで見たけど、個人的には稀有な奇襲技を見せてもらい、思わず顔がほころんだ。
賛否両論あるが、ファンの立場で擁護すれば 「それもあり」 ながら 「なんだかな」 もある。

日本人の美学には、本音と建前が両立している。
日本の建前社会で本音を明かすと、世間から袋叩きに合いやすく、本音こそ取扱注意な側面がある。

猫だましの賛否は、正式な奇襲技ながら、格下相手に使う一手ではないことをとがめられている。
規定には反してないのだが、横綱として姑息なことはしない、ある種の自己ルールなんだと思う。
つまり 「これはやらない約束だろ」 と、暗黙の了解を言い争っている節がある。

その白鵬 「穏やかな表情の中に、おちょくりを含んでいる」 との記事だが、そんなことはない。
年齢的に見て、いつまでも受けて立つ相撲で君臨できるわけもなく、奇襲を使いだしたことが何よりの   証拠であり、記者は変わる心理を見抜けないのかな。

新聞の論説では 「白鵬の残念な行為で、真剣な取り組みに水を差され、大相撲の魅力が失われた」 とのペン先だが、うわべを体裁よくつくろった正論のほうが 「ペン先の猫だまし」 に思える。

さーてと‥  大相撲ダイジェスト11日目がはじまるまで、ひとっ風呂、浸かってくるとするか。

それより、ボクの興味は 嘉風 琴勇輝 松鳳山 決して格上にひるむことのない 「熱血相撲」 だ。
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2015年11月04日

五郎丸 歩

ワールドラグビーの年間表彰式で、南アフリカ戦での 「五郎丸 歩」 のトライが、ファンの得票数の末 「最高の瞬間」 部門を受賞した。

五郎丸の恩師である清宮監督は、メディアで 「ぼくとつで飾り気のない男」 と紹介していた。
彼は、昔からあった 「価値観を次世代につないでくれる」 そんな日本人らしいヒーローなんだ。
アスリートの自意識は、プロにおいては重要なメンタリティーだが、マスコミやファンにチヤホヤされると、それまでの自分とは異なり、次第におちつきを失いがちとなる。

野球やサッカー、ボクシングなど、インタビューひとつにしても、余計なひとことをつけてパフォーマンスを考えたり、スポーツアイドルになろうとしていると、思わせられる選手も少なくない。
スポーツ選手を 「サムライ」 に見立てたがるが 「こんなペラペラ、うるさいサムライはいるんかいな」 とも思うし、大げさな言い方をすれば、キャラクター重視で 「ヒーロー像」 を感じない。

そんな選手を見ていて 「おちつきのあるヒーローはいないのか」 と感じていたときの五郎丸。
エンターテインメントに慣らされたファンは、はしゃぐことが選手やファンへの褒美と勘違いしている。
キャラクター以前、自分の生き方の筋を通す男らしさが大事なんだ。
ヒーローは、その時代を映す。

そんな五郎丸からは、おちつきのあるサムライ 「日本男児の風格」 を感じさせられる。
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2015年10月15日

桜の勇者

子宮がうずいた女性も、多かったんじゃないかな…

久し振りの 「ニューヒーロー誕生」 である。
ラグビーワールドカップ日本代表チームの祝福ムードが続く中、人気の渦中にいるのが 「FB 五郎丸」

均整がとれ、引き締まったボディに厚い胸板、燃え立つ情熱。
クールで甘いマスク、ピュアなハート、男の清涼感がただよう。
既婚であることも、おちつきのある男として、映っていると思われる。

肉体をぶつけ合う、ラフなスポーツ (格闘系) では、一般常識や社会的な教養がないと、ただ図体がデカいだけの野蛮な男ぐらいにしか見られない。
残念ながら、世間とはそういうものだ。

だが、別な言い方をすれば、今求められているスポーツマンシップは、強くて品格のある硬派である。
基本軸は、いつの時代であれ、男は硬派であるべきだと思う。
彼ら 「桜の勇者」 たちからは、気高さを感じた。

今の若い世代、汗を流すのか、知恵を出すのか、どうもハッキリしないところがある。
少しはラグビーを見て 「集団行動の中での個人とはなんぞや」 考えてみてはどうだろうか。
あのスクラムの中には、いろんなドラマがあるんだろうし、スポーツをどういう視点で見るかだよね。

五郎丸はこう締めた。
「自分たちはトップじゃないので、勘違いしてはいけない」  あたりまえだが、浮かれてない。

ご当地、新潟からも、快進撃の立役者であり、郷土の星となった 「FW 稲垣」
しかし、言いたいことがあるぞ   早よ、床屋へ行けてば ! 
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2015年10月04日

チームワーク

「赤信号 みんなで渡れば こわくない」

3日 夜10時 ラグビーワールドカップ (日本×サモア) を見て、たけしの毒舌標語を思い出した。
みんなで戦えば、怖さは軽くなるから、闘争心は勢いづく。

だが、あれほど屈強な男たちでも、アドレナリンが出てなきゃ、そりゃ怖いし痛いに決まっている。
サモアの 「戦いの舞」 に対抗して、こっちは 「新潟甚句」 でも、披露してやりゃいいのにな。

ボクは、個人競技 (柔道) だったから、チームとしての肉弾戦 (スポーツ) には、憧れがあるんだ。
それぞれの個性を保ちながら、団結できるところなんて、そうそうできることじゃないもん。

それに、チームワークは机上の知識ではなく、時間をかけて得られる 「行動の信頼」 だと思っている。
だから、コミュニケーションのないチームはもろいし、机上の絆ほどバカらしいことはない。

肩入れなしに、勝者の日本には 「チームワーク」 があった。
一方、敗者のサモアは、格下に負けるあせりからか 「ラフプレー」 「スタンドプレー」 に走ってきた。

もう、意識の差が大きかったから、後半は安心して見ていられた。
実力が拮抗していたら、勝負の決め手は 「胆力」 (臆さない気力) だと思う。

何で見ていられたのかって ?   この時間は、店が暇だったのよ…  (-.-)
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2015年08月30日

柔道を語る

8月の第4週は 「世界を冠」 にした、スポーツ中継が充実していた。

リアルタイムで見れないので、録画して欠かさず見ていたのが、2015世界柔道選手権。

好きな階級は、スピードとパワー、テクニックの三拍子に見応えのある、中量級トーナメント。
中でも 「海老沼」 と 「大野」 の 「攻め勝つ柔道」 は、いつ見てもしびれる。

以前、ジャケットレスリングとも皮肉られた 「ポイントJUDO」 も、ルール改正されてから、見苦しい  試合は少なくなり、本来の 「柔道」 に戻りつつある。

柔道の基本は、組み合って技をかけあうこと。
それが成立しなければ、こんなにつまらない競技もなく、柔道が柔道でなくなってしまう。

審判にしても、柔道の精神を冒涜するような、あからさまに肩入れしたジャッジもあったが、きわどい   判定では、ビデオ判定を導入するなど、国際柔道連盟も一定の改善はしたと思う。
審判の仕事は 「見たことを見たままに判定すること」 だが、これがまたむずかしい。
国によって手心を加えるときもあるだろうし、強さの先入観が判定を曇らせるときもある。
それに、つい思いこみで見てしまうと 「実際にはなかった場面」 が見えることも考えられる。
見方に幅を持たせれば、競技に政治がからむとか、自国に有利な議決権をもつ存在もいたりする。
素直に見れないのが人間なんだけど、ありのままを見れてこそ 「一流の審判」 なんだろうね。

話は実戦となる。
一過去と比べて、今の現役選手のほうが、あらゆる技術面で優れている。
同じ柔道でも、ボクらのころの練習内容とは、技術的にも科学的にも質は異なる。
ならば、進化している柔道が人気に比例しているかと言えば、残念ながらそうではない。
質は上がっても、人気は上がっていない、矛盾したところもある。
柔道の凄さを評価できる着眼点にもよるが、多くの評価は見た目のカッコよさやブームからなので、    もう一度見たいと思わせられるかが、一筋の道になるような気がしている。

ボクが柔道を見るのは、経験競技はもとから、進化した技の衝撃度に加えて、情緒的になれるんだ。
相撲にも同じことが言えるけど、武道は礼儀であって、見た目のカッコにとらわれることではない。
カッコにとらわれることほど、カッコ悪いことはないからね。

「礼にはじまり しっかりと組み きちんと技をかけ 礼で終わる」  これが 「柔道」 である。
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2015年08月28日

中村のコメント

あのときのコメントが、花ひらいたんだなあ…

現在、カザブスタンで開催されている、柔道世界選手権 女子52キロ級 日本代表 「中村美里」 が、自身4年ぶり3度目となる、世界王者に (金メダル) に返り咲いた。

ロンドン五輪では、優勝候補の筆頭でありながら、まさかの一回戦負け。
その後、ケガによる2度の手術を乗り越え、立ち止まることはなかった。

彼女に注目したのは、北京五輪からで 「銅メダル」 を獲得した際、19歳にしてこうコメントした。
「金メダル以外は、全部同じ (負けと同じ) 」

きっと世間の多くは 「血のにじむ努力をしてきた、銀・銅メダリストたちに失礼であろう」 と、思われたに違いないし、正直にボクも 「可愛げのない、小娘だなあ…」 と思った。
こう宣言した以上、金メダルを獲れなければ、赤っ恥をかくのは自分だ。

その意味で記憶に残ったコメントだったし、後の政権になった民主党 「蓮舫議員」 が、事業仕分けで放った、あの有名な台詞 「なぜ一番じゃないといけないのですか… 二番じゃダメなんですか!」
そこにあのときの 「中村のコメント」 が思い浮かんだ。

あのとき オレ…  こう思ったモン。
人前で大きなことを言うと、リスクを負うようになり、それができなかったら、あとで何を言われるか   わからないから 「何であんなことを言ったんだろうか…」 と、後悔の念もありうる。

そうなるのがこわいから、ありきたりのことしか言わなくなる。
こうなると、2番や3番がまかり通るようになり、柔道界の活力は損なわれ、大きな衰退も考えられる。

だが、彼女は周囲の空気など読まず、ただひたすら、信念と勝利だけを目指した。
つまり、柔道家 「中村美里」 が通した筋こそが、今回の 「有言実行」 に、つながったと思う。

全体的に世の中を見渡すと、男は今…  女に負けているような気がするね。
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2015年08月27日

真の華やかさ

スポーツの華やかさが、鼻につくときがある。

連日、世界陸上北京大会を眺め、あらためて感じさせられるところがある。

短距離の予選、優勝候補のランナーが後続を振り返りながら、余裕しゃくしゃくでゴールする姿を見ると 「イヤミな野郎だなあ…」 と思う。
それは、一流のパフォーマンスでもあるが、日本人の慎み深さからすれば、余計な華やかさに映る。

勝負の世界、男が男を見る目はリアクションじゃなくて、勝っても負けても、物言わぬ背中だったりする。
エンターティメントなら、リアクションは 「おいしい映像」 であろう。
それが、クライマックスに向けた、期待度の演出になるからだ。

だが、一流スポーツにおいては、下手なパフォーマンスはジャマに感じるときがある。
日本の美意識のひとつに、負けた相手に対する 「わびさび」 という美しさがあるからだ。
真のアスリートは、競技そのものに存在感があり、その姿は神々しく、真の華を持つのである。

パフォーマンスに感動するために、スポーツを見ていないので、ボクの持論からすればそうなる。
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2015年07月14日

PRO WRESTLING

プロレスとは 「強さ」 あっての 「ショー」 であることは、公然の事実だ。

今さら、強さ云々を求めているのは、一部のエキセントリックだけで、プロレスとは汗と涙に裏打ちされた 「上手さ」 や 「気持ちを前面に出すこと」 というべきであろう。
その、上手さの先にあるものが、人にあたえる 「何か」 であってね。

さて、12日 同年代の男女5人で、新潟市体育館で行なわれた 「センダイ・ガールズ」 主催興行  「女子プロレス大会」 (里村明衣子 デビュー20周年記念大会) を観戦しに出かけた。

われわれの世代 「プロレスとは、なんぞや…」 と、何通りもある答えに一喜一憂していた。
「本気」 それとも 「ショー」 …  半信半疑なところだらけだった。
だけど、疑惑の部分を見破って、熱弁をふるうほど、せこいマネはしなかった。

なぜなら 「自分が見たものが真実」 であると思っていたから。
それに、純粋にプロレスを見ていたほうが、見せるほうも好意的に演出してくれるもんだ。

プロレスを見る目は、人を見る目に似ていると思う。
たとえば、お店ではお客さんと親しくても、職場で働いている姿まではわからない。
もしかすると激情タイプかもしれないし、それともクレバーなタイプなのかもしれない。

では… 仮にそうだとしても、お客さんにとってお店は、プライベートなやすらぎの時間であるから、   社交的に穏やかにすごしているもの。
こちらも好意的に思っていれば、お客さんもお店の雰囲気に合った 「いい人」 でいてくれるだろう。

だが 「どういう人なの…」 と、あまり猜疑心で見すぎると、おたがいに疲れてしまうものだ。
職場や家庭ではどうあれ、お店では 「いい人」 でいてくれるんだからね。

ならば、話はカンタンで、短所はほっといて、長所とつきあっていればいいんだ。
つまり、感情的な部分には深入りせず、共通する部分とつきあえば、その関係はうまくいくと思う。

プロレスは 「本気かショー」 か、この人は 「敵か味方」 か、その答えは 「イエスかノー」 か、ばかりこだわっている人の姿って、融通の利かない、かっこ悪さを丸出しでしょ…
プロレスを見る目とは、あいまいさやユーモアであり、少し人を見る目に役立つのではないだろうか。

試合終了は午後7時。
一行は歩いて、本町の居酒屋へ移動し、午後11時に解散。
ボクはニンニクの臭いをただよわせて、深夜2時に帰宅。

「楽しかった」 そう思わせてくれた 「ヒューマン・パワー・ショー」 女子プロレスに未来はある!  
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2015年07月07日

コテンパン

6日 「なでしこジャパン」 …   アメリカに五輪の返り討ちにあったね。

前半、最初の3失点で、アメリカの押し出しに呆然とした。
4点目からは 「エキジビションマッチ」 かと思ったほどだ。

それはもう 「ぐうの音も出ない」 ほど、コテンパンに叩きのめされた。
スピードにパワー、フォーメーションに至るまで、桁違いの強さを見せつけられた。

もうやめないか…
日本中がこぞって使いたがる 「最後まで、あきらめなかった」 という、紋切り型なセリフ。

いや、わかるよ、確かにそうだし、言いたいことは。
でもさ、そんなことばっかり言っていると、具体的な進歩の芽を摘むことになると思う。

そういうところは、日本人の情緒なんだけど、あまりにも 語彙 (ごい) が決まりすぎている。
だから、選手に夢や希望ばかり託しちゃいけないし、選手も別にあやまる必要もないんだ。

それより 「今回、何で負けたのか…」 その敗因をキチンと聞きたい。
それが、しっかりしていれば、次の可能性につながっていくと思うから。

アメリカにコテンパンにされたとはいえ、ボクの目には戦う女の姿が輝いて見えたね。
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2015年07月04日

なでしこ JAPAN

武道には 「礼に始まり、礼に終わる」 おたがいの健闘をたたえあう精神がある。

勝ったよろこびとはいえ、負けて傷ついた相手を前にして、ムダに勝利のパフォーマンスなどしないのが日本人の礼儀作法だと思う。 (国際儀礼でもあるだろう)

先日、サッカー日本女子代表が準決勝で強豪 「イングランド」 を2−1で下して、日本中が歓喜した。
ロスタイム、相手国のゼッケン6番のオウンゴールだったとはいえ、勝ちは勝ちなので、それに対する 「たら・れば」 は言われもないことである。
あとは6日、決勝のアメリカ戦で 「なでしこ」 の力をあますところなく、ぶつければいいだけだ。

しかし、日本人として、世界に向けた誇りのある態度は、忘れてほしくないんだよね。
勝ったときほど、外国を真似たようなノリや踊りで、はしゃぎすぎる姿は見苦しかったりするもんだ。

それこそ、傷ついた相手国に対する配慮であり 「なでしこ」 の由縁は美徳ではないのか。
世界中に 「こういう、勝者の態度もあるのか…」 と、日本の心情をアピールしてほしいんだ。

もう少し言わせてもらうと、覚えているかな…
公式の国際試合で韓国は日本に対し、野球に勝てばマウンド上で国旗を掲げるわ、サッカーに勝てば領土問題のプラカードを掲げるわ、どさくさにまぎれて、ああいうみっともないことをするから、強くても     他の国から厚意なんてもたれないでしょ。 (あれは代表選手の行為だからね)

日本には、いたわりの心を意味する 「武士の情け」 という言葉がある。
「日本はこうなんだ」 ということを知らしめるには、決勝は勝っても負けても格好の場となる。

スポーツの先進国ほど、負けた相手に敬意を表すと思っている…   オレって、古いんかなあ。
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2015年07月03日

サスケのロマン

今回で31回目のオンエアだった、人気テレビ番組 「サスケ」 (SASUKE) を録画で見た。 

100人の個人戦でありながら、一心同体の団体戦でもある、過酷な障害物競技。
戦い終われば、相手を讃えて抱き合ってよろこび、すがすがしい気持ちでエールを送り合う。

4年ぶりにファイナルステージを制覇したのは、礼節を重んじる凛とした、23歳の好青年だった。
そんな 「男たちの挑戦」 に、ロマンを感じた。

中には 「あんなのの、どこがおもしろいんだ」 と不思議がる人もいるだろう。
だけど、つべこべ言わず、さわやかにこだわりをもつ男は、ボクの好きなタイプでもある。
竹を割ったように 「カラッ」 とした、男らしい性格。

あの出場者の中に 「うつ病」 になるタイプなんていないでしょ。
もしも、うつ病であったとしても、サスケに挑むことが、自分を元気にしてくれる。
つまり、自分で自分を元気にする、術 (すべ) をもっているんだ。

ブルース・リー 主演映画 「燃えよドラゴン」 での ワンシーン。
武道を頭で考えようとする弟子に、師匠のリーが 「考えるな、感じろ」 と、伝授した有名な場面。
あの言葉には 「堂々と自分をさらけ出せ」 そんなメッセージもあるんだと思う。

考えすぎる人は、考えなくてもいいことまで考えて、悩みのメカニズムに組み込んでしまうから     「うつ病」 になりやすいんだと思える。
考えた行動と感じた行動は、一見似ているようだけど、どこか結果の出方も違うような気がする。

サスケの挑戦者を見ていると、机上であれこれと考えるタイプではない。
理屈なんてあとからついてくるから、まずは行動しようというタイプだよね。
だから、うつ病になんか、なるヒマはないんだ。

それに失敗しても、笑いながら悔しがるところなんて、少し人生のコツを教えてくれているようである。  
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2015年05月11日

プロ野球観戦

10日 午後2時 エコスタでプレイボール。

プロ野球公式戦 「DeNA−巨人」 戦を、バックネット裏13列目で観戦してきた。
試合結果は割愛するが、投打の真っ向勝負を食い入るように見れたので、生の実感を得られた。

ピッチャーの球種やコースがわかったり、バッターが狙い玉を絞っているようだったり。
あるいは、この主審は外角球がしぶいとか、状況に応じ内外野手の守備位置が微妙に変化していたり。

おぼろげながら、両チームのシステマティックな攻防も見てとれた。
それも、バックネット裏だから、ホームを軸に野球全体を見ることができた。

やかましいだけの応援は苦手だ。
選手は応援が励みになっているだろうが、プロなんだから、プレイに対する歓声でいい。

野球の魅力は、フィールドの生音だ。
ボールが 「バシーン」 とミットに収まった、あの渇いた音。
バットが 「カコーン」 と真芯をとらえた、むねのすく快音。
時には選手の息づかいを感じたり、プロ野球ならではの音があるんだ。

だから、ラッパや太鼓の鳴り物応援が激しすぎたり、ピョンピョン飛び跳ねている応援をしていては、   ディティールは見えないし、エンターティメントである前に、スポーツの緊張感も少し大切にしたい。

とかなんとか言いながらも、ボクはトーシローもいいところ。
だけど、全体を見ながら細部を見ると、意外と新しい発見があったりするから、野球はおもしろい。

その醍醐味、球場に足を運んでわかることもある。
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2015年03月22日

予想通りの強さ

横綱 「白鵬」 と 関脇 「照ノ富士」 の、優勝決定戦になる可能性が見えた、大相撲春場所千秋楽。

夕方5時には、外出先からいったん自宅へ戻らねばと、急いで自転車のペタルを回した。

照ノ富士が、大関 「豪栄道」 の両腕をガッチリと決めたまま、強引に土俵へねじ伏せた。
あとは結びの一番 「横綱対決」 で、横綱 「日馬富士」 が、白鵬に勝つことが絶対条件となる。
白鵬と真っ向から胸を合わせたら分がないので、戦法としては頭をつけて左右から攻めたいところだ。

軍配が返った。
日馬富士がカチアゲからの攻防で、前みつを狙うも先に左の上手をとった。
立ち合いには勝ったが、さあ、ここからどう攻めるのか…

控室から、戦況を見つめる照ノ富士のためにも、ここは横綱である兄弟子の執念を見せつけたいが…
ケタグリから攻め手が変わり、重心を下げて右四つから絞り上げてきた、白鵬は強かった!
だけどそれ以上に、照ノ富士の底知れぬ実力が表面化してきたことは、予想通りの強さだったよね。

ちなみに 「稀勢のおっさんは、またも期待を裏切ってくれた」  また、来場所、がんばろうや!

さあ今から、フラッと飲みに出かけるわ!
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2015年03月08日

演歌大関

大相撲を暦代わりにしているわが家。
夕方、音声を流しているだけでも情緒を感じる。

「今場所は、白熱するよ」

先場所 「白鵬」 が歴代最多優勝回数33回を記録した後、例の 「やぶへび発言」 で一転、心情的にヒール (悪役) と化した。   (優勝インタビューでも、次の目標を見失ったような発言もあった)
方や、ヒーロー (正義) は、物言いの一番だった相手 「稀勢の里」
この因縁めいた構図が、荒れる大阪 「春の嵐」 をひきおこすんだ。

昔から、ヒールがいて、ヒーローの存在が光る。
ライバル対決にも、おきかえられるだろう。
一過去、白鵬がヒーローになれたのも、「朝青龍」 の存在があったからだ。

古くは、初代 「貴乃花」 や 「千代の富士」 が初優勝を決めたとき、「北の湖」 の存在がある。
今の大相撲人気を探れば 「遠藤」 という華麗なヒーロー役を狙うようにして、ヒール役の 「逸ノ城」 「大砂嵐」 が迫り 「照ノ富士」 の ワルっぷりが板についてきた。

黄金期には、正義と悪役が対立した。
転じてなれあいでは、闘いの臨場感が薄らいでしまう。
人気商売であればあるほど、憎悪と嫉妬は紙一重となるから、ヒートアップするわけだ。

ヒール役は、テレビのバラエティ番組に出演するもんじゃない。
軽々しく笑顔を振りまいたり、媚びを売ることなく、あからさまに素顔を公開しない、ミステリアス力士。
ボクがプロモーター (仕掛け人) なら、ダンディズムなヒールを作りたいね。

先月、節分コラム 「泣いた赤鬼」 と題して、ブログをアップした。 (2月4日参照)
今場所の役柄こそ 「青鬼が白鵬」 「赤鬼が稀勢の里」 であれば、壮大なドラマだよな。

稀勢の里は、相当な爆発力を秘めてはいるんだけど、どこかスネている印象がある。
純粋すぎる意味では好きだけど、爆発力を発揮できるお膳立てが必要というのかな。

目標を見失った白鵬は阿修羅で神格化され、稀勢の里はワビサビある 「茨城の演歌大関」 となる。
時代は後進の遠藤や逸ノ城らに花道を譲る形となり、今後は次世代抗争がヒートアップすればいい。
今場所、稀勢の里が優勝したら、日本中が大いに盛り上がるだろうね。

ボクは、角界のクイズダービー 「はらたいら」 になりたい…
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2015年02月13日

キング・オブ・エンターティメント

プロレスから見た、社会風刺である。
プロレスがもたらした、ユーモアや曖昧さを理解できない頭の持ち主には、読み進めないでもらいたい。

先日、プロレスラー 天龍源一郎 (65) が、正式に引退を表明した。
と、同時に 「阿修羅」 と化すらしい。

引退試合に指名した相手は、今や飛ぶ鳥を落す勢いで実力をつけた、若手王者のオカダ・カズチカ。
どうやら、オカダが不用意に言い放った暴言に天龍のプライドが傷ついたらしく、知るところでは過去の人物扱いされたどころか、昭和のプロレスに敬意を重んじない不遜な態度に腹を立てたとか。

うーん、このアングル (プロレス隠語) は、どこかで覚えがあるぞ…
そうだ、シルベスター・スタローン 主演映画 「ロッキー・ザ・ファイナル」 である。

映画では、現役王者が自分の強さに自惚れ、それまで歴史を刻んできた人物を見下す発言をした。
ロッキーはエイドリアンを失った傷心と、息子とのわだかまりを抱えていながら、若造の不用意な言動に  過去の闘争本能を呼び起こされ、現役王者からの逆挑戦状に決断を下すのがあらすじとなる。

今回のアングルは、天龍とロッキーの生き方をダブらせているようだ。
きっと、ハイスパット (プロレス隠語) で、ロートルの元王者が現役の王者をガンガンと追い込んで、
リング上で 「プロレスとは何たるものか」 を叩き込むのであろうか。
いいよ いいねえー 「天龍革命」 らしくて、 いいよ!

劇画やエンターティメントの世界は、何でもできちゃうからいいよね。
だれもが心の中では、日常の理不尽な小さな怒りに気持ちがフツフツとわきおこっている。
それを壮大なドラマ仕立てで表現してくれ、最後はジョブ役 (プロレス隠語) の相手を、天下の宝刀で倒すのが爽快である。

年代をラベリングするつもりはないが、この先は過剰意識とならずに、読み飛ばしてもらいたい。
僕より干支 (えと) が、ひと回り下だと、子どものころはあまり生活に困らなかった時代だろう。
私立高校に進学させてもらったり、私立大学や留学なども盛んなころだ。
バブルが弾けたとはいえ、世の中のお金はまだ回っていたし、親の恩恵を受けやすかった世代である。

それでいながら、「ニート」 なんていう不思議な存在も注目を浴びはじめていた。
いい歳なのに、働かなくても自宅に居候させてもらえ、三食の飯にもありつけた。
たまに週4日ほどのアルバイトに出かけ、休日はカラオケか自宅でパソコンやゲームに興じる。
小さいときからチヤホヤされてきたから、叱られることに慣れていない。
少し叱られたぐらいで、イライラした感情をあらわにフテ腐れるから、当然、私生活も荒くなる。
こっちは怖くも何ともないのに、そういう態度に出れば、相手がビビると思っているから、始末に悪い。
それに給与を家に入れることもなく、消費はマイカーとたまにコソコソ出かける受身の風俗店オンリー。

今から、20年ほど前はそういう連中が多かったが、それに甘んじなかった若者が、今しっかりしている。
経済的にはどん底じゃなかったし、そうじゃなきゃ 「ニート」 なんて言葉は生まれなかったはずだ。
本当に不況だったら、ニートなんていないと思うし、石にもかじりついて何かしら生きているであろうし、 時代が時代なら 「赤紙」 (徴兵令) モンである。

それに気づかずに肩書を手に入れたりすると、自分を育ててくれた環境に敬意をもたなくなる。
それまでの歩みはあたりまえの権利だと思っていれば、何かを得たのは全ては自分の能力が成し得たことと、勘違いをはじめてしまうんだ。
だってさ、甘やかされた奴は、謙虚な姿勢がなく、口ほどでもなく、態度だけがデカイからわかるもん。
彼らに敬意なんて言葉を期待するほうが、ちゃんちゃらおかしいんであってさ…

そんな、バカ殿さまな対戦相手を天龍源一郎がプロレスファンタジーを使って、われわれのうっぷんを   晴らしてくれるとしたら、何だか興奮しちゃうよね。
この際だから、顔面達磨大師、またの名をマムシの組長 「藤原嘉明」 も、登場してこないかなあ。
つまり、プロレスエンターティメントとは、主役と悪役の抗争劇の中で、どのようにして主役が感動を   与えてくれるのかを見届ける人生教養でもあるんだ。

社会の縮図をリアルに描くのが、われわれが愛した キング・オブ・エンターティメント 「プロレス」 だ。
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