2011年12月22日

家族ゲーム

21日、映画「家族ゲーム」(1983)の監督で知られる森田芳光(61)が、急性肝不全で死去した。

今映画の主演「松田優作」、配役に「伊丹十三」「由紀さおり」ら、豪華な顔ぶれが異彩を放った。
有名なエピソードだが、森田監督は企画会議で松田優作の主演を渋りながらも、ダメもとでオファーしたところ、本人が脚本を読んで即座に引き受けたという。
アクション俳優のイメージから、脱皮したがっていたときなだけに、お互いの利益が一致したと思える。
しかも、製作4千万の低予算に対し、当時の松田優作のギャランティーは一本1千万だったのに、この映画は、百二十万で引き受けたと聞く。
金額だけではなく、森田監督に惚れなければ、到底できなかった決断だったであろう。

肝心な映画の評価は、リアリティーの部分で、多くの意見が真っ二つに割れると思う。
僕の意見をはっきりと言えば、つかみどころのない映画は好みではない。
だが、それまでの映画になかった、自閉的な演出は印象に残った。
淡々な台詞と生活の音だけで、音楽のない映像に浮き足立った世界を感じた。

その昔、東京原宿のバーで、映画関係者と雑談しているときに聞いた業界話だ。
映画に音楽を乗せるときは、画面が弱いシーンを補う場合であり、強いシーンでは逆に音楽はうるさく 感じるそうだ。
それが、映画音楽のセオリーであれば、セオリーを無視した映画なだけに、見慣れない不気味な映画に仕上がるため、賛否両論が起きることは、無理のないことであろう。
日本では独特しく不評でありながら、ニューヨークの映画祭では、逆に評価が高かったという。
僕はその評価に対して、日本人を奇異な目で見た、皮肉交じりな評価だと思っている。

映画のシーンで、食卓に横一列で並び、黙々と食事をするカットは有名だ。
実はあのアングル、バーテンダーがカウンターの中から、見ることができるフレームに近い。
僕からすれば、毎晩がリアルなレイトショーであり、大げさな言い方をすれば、ジャズが流れる空間で 毎晩配役(ゲスト)が変わり、自由気ままな台詞が交されて、やがて静寂が訪れる… そんな感じかな。
それに、森田監督が松田優作の、「違う顔」を引き出した映画でもある。
僕もお客さんの、「夜の顔」を見ていると締め括れば、この私見な文章は収まり着くであろうか。

そんな「家族ゲーム」は、松田優作の家庭教師役が生んだ、「ミスキャスト」が成功した感が強い。
また、アクの強い役者で有名な松田優作を使い切ったところに、森田監督の非凡さを感じた。 合掌。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

三丁目の夕日

文明の利器に喜んでばかりいられないよな。

今や外出しなくても、家にいながら、買い物ができるようになった。
日常生活が便利になればなるほど、逆に雇用が削減されるのが世の常。
便利になるのはいいが、引き換えに人件費を圧縮されることは、覚悟をしなきゃいけない。

今なら販売職や営業職、ペーパーレスが進んでいる事務職などは、高いスキルがあろうがなかろうが、コンピューターで代替利くようになるかも知れない。
最先端機器を導入すれば、余剰人員が増すことは当たり前である。
文化的な空間を生業としている、僕らのような職業だって、けして例外ではない。
自分には降りかからないと思っても、刻一刻とせっちん詰めにされていることには、気づかないものだ。
こういう状態の中、雇用を増やせと言っても、自分たちが雇用に反する私生活を求めている訳だ。
そう考えると人は、無意識に総論賛成、意識は各論反対で、矛盾した生活を送っているのである。

僕は、近くで買える物は近くで、近くで楽しめることは近くでが、基本スタンスだ。
それと小さい抵抗ながら、スーパーのセルフレジは、極力使わないようにしている。
セルフレジの稼働率が高くなれば、雇用は拡大せず、レジの占有率だけが拡大する。
つまり、消費者からすれば便利だが、行き過ぎた便利は、雇用の促進にはつながらない。

映画 「ALWAYS (三丁目の夕日)」を、観た人は多いと思う。
三種の神器のひとつ、冷蔵庫がどこの家庭にも、普及していく様子が描かれていた。
それまでは、近所の氷屋が切り出した氷を、各家庭に配達していたが、もう必要はなくなってきた。
その現実に直面した、氷屋の主人の複雑な心境が、映画のワンシーンで印象に残っている。
映画は、これからの日本の活況を明るく描いた反面、心の内面を捉えたあの場面にこそ、本当に監督が伝えたかったことであろう。

都市が繁栄すれば、大型ショッピングセンターの出現により、街の商店街に客が来なくなるという昔からの社会問題は解決されない。
前にも書いたけど、ショッピングセンターが悪いんじゃなくて、暮らす人の程度問題だと思っている。
資本が大きく、もてはやされている安い店にも行くが、少し高いけど孤軍奮闘で頑張っている個人商店にも行くぐらいの、サジ加減はないのかなと思ってしまう。
そういう、小さい投資マインドがないから、結局は値段でしかモノを買わなくなっていると思う。
僕自身の生活方針は、贅沢はできないけど、サジ加減とか、メリハリは利かせるようにはしている。

便利になったからと言って、喜んでばかりいられないのは、どこかにしわ寄せが来るからだ。
その意味で、便利や流行という言葉に踊らせられて、安易に飛びつかないようにしている。
現在、人間型ロボットの実用化が、もうそこまで来ているという…   考えよう、それだけだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

映画鑑賞

映画は、「ひとりの時間を寛げるから好きだ」というのは、以前までの私見。
今では、「誰かと一緒に観に行くから映画だ」と思い直した。

一緒に行く相手がいないのはともかく、ひとりを好むのは、「静かに集中したい」、「邪魔をされたくない」など、内向きな理由が多い。
否定しないが、一緒に行く相手が出来た場合、内心で邪魔者扱いされてたら、何たる心外であろうか。

独り善がりの感性しか生まれないよ。
自分以外、他者の感性にも触れておかないと、もったいないって。
自分の感性を引き出してもらったり、相手の感性も知ることにより、その映画は自分のモノになるのだ。
だから、映画を観るときは第三者の存在、そう、欲を言えば女性が必要なのである。

僕の考えが変化したのは、相方の存在が大きく、映画を観に行くときは連れて行く。
男は大雑把な見方をするが、女のディテールはきめ細かい。
男では気づかない部分を見ていることもあるので、内容がより解説的となり、更に広がりも増す。
それこそ、もうひとりの自分を分身として、持つことができる訳である。
男から見た映画、女から見た映画、二つの視点を知ることは、神経過敏な男女平等に振り回されるより、もっと男女の根幹を分かり合う価値があると思える。
最近なら、韓国映画「アジョシ」について語り合ったが、その感想に正解などなくて、自分の意見を言い、他者の意見も聞くことによって、内容がそしゃくされ、映画が吸収されていくんだと思う。
映画は可能な限り、他者と一緒に観に出かけるべきだ。

明日1日、「映画の日」とされている。
たまには仕事帰り、誰かと映画館に寄り道してみたらどうだ。
映画は観るためだけでなく、映画を語るのも楽しいからさ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

秋のレイトショー

映画を観るなら、秋のレイトショーが好きだ。

今秋、劇場作品で、観たい映画が何本かある。
娯楽大作では、「猿の惑星:創世記」、「世界侵略:LA決戦」。
歴史認識を知る上、「連合艦隊司令長官:山本五十六」も候補にある。
本命作品と言えば、12月新潟公開予定の、「カンパニーメン」。 直訳すれば、「会社人間」。
物語は、米国のリーマンショック以降、リストラにあった働き盛りの男達が、どう行動するのかを描いた社会派ヒューマンドラマである。
米国の経済事情を背景に、結果主義の価値観だけに捕われ過ぎた社会を、風刺するような内容かな。
ここで論じても仕方ない… 百聞は一見にしかずだ。

レイトショーの帰り道…
落葉が舞い散る、静かな歩道をゆっくりと歩きながら、僕なりの解釈を考える時間となる。
日曜の夜は、たまに行き交う車の音と、横断歩道の青信号を知らせる拡音器の音ぐらいで、昼の雑音に溢れている万代の街が、嘘のように静けさを帯びている。
そこに肩と肩を並べあった、恋人同士とすれ違ったりすると、クリスマスへの深まりを思わせる。
フト、夜空を見上げると、見事な満月の夜だったら、それはもう、秋のムードが漂って素敵だろうネ。

これこそ、「AUTUMN IN NIIGATA」、そう、「AUTUMN LEAVES」である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

運命の女

女優、鈴木京香のベッドシーンが話題らしい。
映画「セカンド・バージン」で、激しい恋愛シーンを演じたカットは、たまたま昼の番組で見たのだが、その艶かしさに目を奪われた。

40代以上の男からすれば、鈴木京香は憧れの女性像である。
僕も、知的な妖艶さを漂わせている彼女は魅力的だと思う。
だが、憧れる女性が演じるベッドシーンなど、見たくないのが男の純情だ。

この映画は、意地でも観たくない。
だいたい、中途半端な濡れ場シーンを見て何が楽しいのか。
物語上、ベッドシーンは必要なのか。
わざわざ、映画にする必要もあるのかな。
それなら、小向美奈子の体当たりシーンの方が、単純明快のような気もする。
内容は、年下の既婚者との情事であるようだが、物語的に媚びている印象が濃い。

ならば、この映画を推薦する。
2002年米国映画 「運命の女」 (主演:リチャード・ギア & ダイアン・レイン) 
年下の妻を持つ夫の健気な気持と、女が秘める艶かしい、メスの性本能がわかるからだ。
男と女は、「言わぬが花」でありながら、男は女をめぐっては、嫉妬する生きものなのである。

その形によっては、禁断の恋とは破壊的なのだ!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

深夜食堂

今秋10月、「深夜食堂」の暖簾がまたかかるらしい…。
2年前の秋、TBS系で深夜に放送されていた、小林薫主演の30分枠番組「深夜食堂」。

物語は昭和の風合いを残す、新宿の繁華街片隅に、深夜24時から開店する小さな食堂が舞台となる。
深夜、小さな息抜きの時間を求めて、さまざまな職業の人たちが、店の暖簾をくぐってくる。
そこで交わる、店主とお客さん同士の温かくも、ほろ苦い人情が溢れる、オムニバスドラマである。

僕がこのドラマを人に薦める理由がある…  「食堂は、食事だけをする場所にあらず」
人は誰でも、定時に誰かと楽しく、「晩飯」を食べられる訳ではない。
残業で深夜に箸を持つ人もいれば、仕事帰りの早朝近くに茶碗を持つ人もいるだろう。
誰も待つ人がいない部屋に帰って、ひとりで食事をするわびしさ。
誰ともしゃべらずに牛丼を食べて、ひとりで家路へ帰るわびしさ。
同じ食事でも、意味深さが違ってくるのが晩飯であり、食事に対する意識も変わる。

前にも書いたと思うけど、飲食店で食事に文句を言ったことはない。
食事は個人の味覚が大きいと思うし、何よりもそれを口にしたことで、人の気持を害するものだ。
そういうと、「だから、料理人を甘やかすんだよ…」と言われそうだが、けしてそうじゃない。
まともな料理人なら感性が鋭いから、こちらの気持なんて、とっくに見抜いているはずだ。
それをあえて、口に出さないことが、素朴だが厳しい問いかけになるとは思わないか。
ちょっと、話がそれたので、元へ戻していく。

今も、「相方には、悪いことをしているな…」と思っていることがある。
昔から、深夜にまで及ぶ仕事柄、同じ食卓で箸を交じり合わせられないことが多い。
食事を作る人を想えば、温かい献立は温かいうちに、冷たい献立は冷たいうちに食べるのが心情だ。
相方に、「せっかく食事を作ったのに、一緒に食事を出来ないのが、少し寂しいかな…」と、ボソッと言われたことがあるが、その一言で多くのことを学んだと思っている。
だから、ありあわせの材料で作られても、文句のひとつも言ったことはないし、それが僕の礼儀作法だ。
食事は人の心まで、変えてしまうだけのものがあるんだ。

ドラマ「深夜食堂」には、飽食時代で失った、丸いちゃぶ台のぬくもりと、おかず一品の思い出を連想させられてしまう。
焼肉食べ放題だの、寿司食べ放題など、「量」にすがりつくばかりでは、自分の味覚や感性などをもとに判断する基準を見失ってくるんじゃないのかな。
それでいて、ダイエットだの、健康食品なんて言っているんだから、全くご苦労な世の中である。

そんなドラマ、「深夜食堂2」が、10月から続編として始まる。 
もし僕が、「深夜食堂」の暖簾をくぐったら、とりあえず「ビール」。
つまみは「ハムカツ」。 添えてある、「キャベツの千切り」には醤油をかける。
〆には、「筋子のおにぎり」があれば、それはもう「至福の時間」となるだろう。
http://www.meshiya.tv/ ←「深夜食堂」公式サイト(僕は、第4話 第5話 第6話が好きだな)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

絶対捕鯨禁止区域

先日、映画「ザ・コーヴ」を見てたら、イルカ漁にとどまらず、捕鯨問題も引っ張り出していた。

早速、今ほど、映画「絶対捕鯨禁止区域」(シーシェパード)を、続編として見た。
日本の捕鯨活動を阻止するために結成された、反捕鯨団体・通称「シーシェパード」。
彼らの強行な抗議手段は、海洋において大きな問題とされている。

映画の感想だが、彼らの「サバイバル活動」ばかり見せつけられて、正直言って辟易した。
これでは、具体的に何が問題で、そこを掘り下げて説明しないと、主張が全然見えて来ないんだ。
スローガンはもっともらしいが、どこか妨害行為を楽しんでいるかのようにも見える。
人道上、武力行使しない日本の足元を見て、彼らの暴力的行為は自己顕示欲の暴走である。

抗議活動の船体も、黒一色の軍装車紛いな仕上げで、ドクロマークの奇妙な海賊旗を掲げている。
その威嚇するような挑発行為からして、手段と目的も履き違えているようにも思える。
普通に考えれば、理論破綻した、自己陶酔の団体に思われても、仕方がないだろう。
僕の感想が誤解だとするのであれば、誤解させた構成そのものに原因があると言い返す。

まだ、「ザ・コーヴ」の方が、映画としては、はるかにまともだった。
それは、漁民には死活問題なので、安易な同調はできないが、しっかりと考えさせられたからである。
「絶対捕鯨禁止区域」については、どう考えても、どう見ても、彼らの身勝手な印象がぬぐえなかった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

ザ・コ−ヴ (2)

去年8月に劇場公開され、一部で抗議運動にまで発展し、問題作となった 映画「ザ・コーヴ」。
今週、ビデオを借りて、今一度、細かい部分まで、じっくりと鑑賞した。 (2010.8.7.参照)

この手の作品で注意すべき点は、何が問題で、キチンと事実に基づいているのか。
そして具体的に、何を指して「ひどい」とか、「かわいそうだ」と訴えているのか、整理が必要だ。
そうじゃないと感情談議だけで、何を意味するものなのか、さっぱりわからなくなるからだ。
作品自体、具体的な調査事実を示しており、なおかつ、匿名でないことに注目した。
僕の意見はあるにはあるが、明け透けに書くつもりはない。
だが、国民には知る権利があり、事実を知った以上は、考える必要性はあると思う。

まず、日本人がイルカを捕獲して、食用にしていることを知っているだろうか…
僕は知らなかったし、周りの人に聞いても、誰も知らなかったことが、いっそう関心を駆り立てた。
日本は「日本人がイルカを食べるのは食文化だ」と反発したのに対し、アメリカ人のクルーが裏づけ取材を進めると、イルカを食用にしている事実を、ほとんどの日本人が知らなかったのが判明した。
アメリカは取材結果を日本に突きつけ、「日本では誰も知らないことを文化扱いするのか」と切り出した。
実は劇場でも、「あっ、核心を突かれたな…」と思ったんだ。

アメリカは牛や豚を食用にするし、オーストラリアでもワニを食用にすることは知られている。
そこは誰もが反論するが、日本と大きく違うのは、食文化として国民が理解しているところだ。
ここの違いは、大きいと思える。
日本は風習で、食用捕鯨をしているが、それは食文化として、日本人は理解している。
個人的には、鯨肉を食べなくても平気だが、何も食文化を絶やすことはないと思う。
捕鯨は調整することで、問題は軽減できるだろうし、それ以上は食文化における干渉でしかない。

だが、イルカ漁が秘密めいてしまったのは、入り江に近い場所で、殺める方法を見せないためだったり、水族館のイルカショーでの愛らしい姿と、それを楽しむ家族や子供への配慮かも知れない。
都合良く言えば、「情操教育」、悪く言えば、「臭いものにはフタ」の発想が見え隠れしている。
堂々と言えないのは、そんな理由もあるのかもな。
ひいては、殺める場面は見せないという発想もいいが、イルカに限らず、人間は動物の命を殺めなければ生きていけないことを、もっとストレートに教えるべきじゃないかな。
それを思いつきのように、「かわいそう」と言うだけなら、どこかお門違いしていると思える。
法律上、イルカ漁は合法だが、そうじゃなく、見てどう考えるかである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

ピラニア

今まで黙っていたが、「モンスター映画」が好きだ。

それも未知の地球外生物よりも、実在の生物が突然変異したり、得体の知れない新種の生物が襲いかかってくるような映画に興奮してしまう。
例えば、大蛇やトカゲ、熊にサメなど、人喰いアニマルの恐怖なら、俄然観る気が湧いてくる。
それもこれも全て、63年映画「マタンゴ」が始まりであり、次いでTV番組の「川口浩の探検隊シリーズ」に大きく影響を受けたようである。

4日夜、そんな心境で観に行った映画は「ピラニア」。
太古の昔、地上から隔離されてしまった地底湖が地震の亀裂により、潜んでいた絶滅種のピラニアが地上の湖に大群を成して、人間に襲いかかるストーリーである。
うー、ゾクゾクするぜよ。 まあ、ほとんどがこんなレベルなのですよ。
隣の劇場では同じ動物でも、愛と感動のドキュメンタリー映画「ライフ」に、感受性が揺り動かされたかと思うのにね。

僕は、ピラニアを飼っていたことがある。
その生態を観察して、わかったことを映画で見比べてみたいと、相方へ誘いの口述に使ったのだが、単に怖いもの見たさでしかない。
相方は涼しい目を向けて、両方の口角を持ち上げながら微笑んでいる。(何だ、この笑顔は…)
はい、見抜かれています…、何だかんだ言っても、付き合ってくれるノリの良さには感謝している。
入場者6人の館内から上映終了後、しばらく呆然と会話なきまま、生温い夜風に吹かれながら、トボトボ歩いて自宅に帰った。

しかし、この手の映画はどうして、若い女の裸ばっかり出てくるのかな?
しかも、3D上映のため、変なメガネをかけさせられてさ… これじゃまるで盗撮メガネみたいだよ。
別の意味で驚いてしまった…   おそるべし映画だ 「ピラニア」!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月07日

人間の証明

Mama Do you remember.

7日、俳優でロックシンガーでもある、ジョー山中が肺がんのため、64歳でその生涯を終えた。

1977年、中学1年生…
初めて前売券を買い、一人で映画館へ出かけて観たのが、角川映画 「人間の証明」である。
主演は、岡田茉莉子 松田優作 ジョージケネディ そしてジョニーヘイワードを演じたジョー山中。
鑑賞後は、森村誠一の原作も読みふけて、ジョー山中の歌声(テーマ曲)を繰り返し聴いていた。
西条八十の詩集、「麦わら帽子」は、何度も読み返したものだ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあの時、ずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向から若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子、どうなったでしょう?
あのとき傍に咲いていた、車百合の花は
もうとうに、枯れちゃったでしょうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、  今夜あたりは、
あの谿間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつやひかった、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
                 西条八十 詩集「麦わら帽子」より    

近年、「CG仕上げ」や「感動の物語」を、売りにする映画は多い。
ゆえに、「驚かせてやろう」、「泣かせてやろう」という思惑が、ありありと感じることもある。
だから、「すごかった」、「面白かった」程度の、ボキャブラリーしか言えなくなってしまうのだ。
不器用な作品でもいいから、文学的でヒューマニズム溢れる映画を観たくなる。
それが僕の中の、「人間の証明」であり、「麦わら帽子」である。

終戦記念日 1945年8月15日  こういう、「心の爪痕」もあることを知るべきだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

北京のふたり

【北京のふたり】 (1997/米中合作映画) 
主演男優/リチャード・ギア 主演女優/バイ・リン (原題:Red Corner)

スクリーンの女優に恋したのは、そう何人もいないが 「バイ・リン」 は素敵だ。

「愛ある別れ」 だった。

ふたりの関係には、純白なデートや豪華なプレゼント、甘いキスも激しいベッドシーンもない。
別れたくないが、別れることに意味を見出した。

中国の女弁護士である彼女は、周りの人間を全て敵に回してでも、アメリカのビジネスマンを最後まで無罪だと信じ続ける。

身を危険にさらしながら、体制に逆らい国家権力と戦ったのは、過去の自分と決別したかったからでもあり、人には隠せても、自分は知っているから余計に辛くなってしまう。

そんな健気な姿を見ていると、人は人の中でしか変われないことを強く感じた。

北京空港で別れるロビーでは、彼女は抱きしめてほしかったんだ‥  
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

汚れた英雄

先日、推定35歳前後に思える男性客から、こう切り出された。

「シンプルにカッコイイ映画って知りませんか?」 (おー、こう来たか!)
「おもしろい映画」「いい映画」と聞かれたことはあるが、「シンプルにカッコイイ映画」とは初めてだ。
その「シンプル」が気に入った! 

それなら、【汚れた英雄】(1982/日本映画) 主演・草刈正雄 なんてどうかな。
なぜ、シンプルでカッコイイのか説明する前に、草刈正雄が演じるジゴロぶりと、セクシーなルックスは、一端頭から外してもらいたい。

私の世代は暴走族全盛の後期にあたる。
周囲には暴走族に加入して、憂さ晴らしで暴走している奴も多かった。
当時、一方通行だった西堀と東堀を猛スピードで逆走しているバカもいれば、シーサイドラインで無責任に死んだ奴もいた。

だが、大半は暴走族の仲間とつるむことで強くなったと錯覚し、空威張りしてる奴が多かった。
こんな奴ほど、髪型に服装、表情や言葉遣いに無理があるので、すぐに見透かされてしまう。
そんなハンパ者達に、年貢の収めどきを示唆した映画こそが 「汚れた英雄」 である。

物語はシンプルに、プロの正統派ライダーがセレブな女を手玉に取り、頂点に伸し上っていく生き様。
これを観ると、何だか暴走族をやっていること自体、気恥ずかしさが吹いたと思う。
何がカッコよくて、何が恥かしいのか、いいタイミングといい形で、若者に影響を与えた。
つまり、カッコイイとは人に影響を与えて、キチンと道しるべを作っているのが、カッコイイこと。
40歳代以上のバイク好きなら、この映画は心変わりした 「バイブル」 かも知れないね。

「えっ、俺。 若い頃、マシーン(自動二輪)は、何に乗っていたかって?」
はい、[ホンダカレンS](原動機付自転車) 最高時速60キロ・セル付き。
 
夏休みのバイト代で購入し、前に買物カゴがついてるマシーンでしたが、何か問題でも ?

posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

野獣死すべし

今から29年前の秋、松田優作主演「野獣死すべし」が全国一斉ロ−ドショ−された。

当時、高校一年だった私は、東堀六番町にあった「東映パラス」から出てくると、街中をひっそりと歩く彼の姿を真似て、夜の古町通りをその気になって歩いたものだ。
若者なら誰もが、自分自身がカッコ良くなった錯覚に陥ったと思う。

彼の主演作品で、最も人気が高いと思われるのは、野獣死すべしであろう。
前作の「蘇える金狼」で演じた屈強な男とは異なり、貧弱で影の薄い男に役柄を作り変え、誰も想像つかないハ−ドボイルドを演じたことが、いまだに語り継がれている理由だと思える。
それまでのハ−ドボイルドは、若者のモヤモヤしたカタルシスを解消してくれた作品だった。
現実に銃をぶっ放したりすることができない、若さゆえの乾いた飢えを満たしてくれたと思える。
どこかアダルトビデオでマスタ−ベ−ションし、男の欲望を散らしているような感じなのかも知れない。
そんな期待を見事に裏切ったのが、野獣死すべしである。

彼はそれ以来、遺作「ブラックレイン」まで、アクションを必要とする作品には出演していない。
それは役者としての幅を広げるためもあったと思うが、自然と自分を作り変えていくような気持になったかのようにも思える。
実際、ブラックレインのオ−ディションでは、リドニ−・スコット監督から、「アクションはできるのか?」と質問されたことが、一番嬉しかったというふうに聞いている。
それは、「日本のアクション俳優」としての画一的なイメ−ジではなく、「世界の演技派俳優」として望まれ、その上で認められた瞬間だったことは、想像に難しくはないであろう。
もちろん、その役柄は真骨頂でもある、「狂気の俳優」を思う存分発揮したことは言うまでもない。
そこに行き着くタ−ニングポイントとなった作品が、「野獣死すべし」だったと思っている。

今、生きていたとしても、やっぱり近寄りがたい存在でありながら、だてに年齢はとらなかったはずだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

十三人の刺客

映画をゆっくり観るには、公開終了間近の日曜レイトショ−が狙い目である。
今から二時間前まで、180名ほど収容できるホ−ル最中列真中で、二人貸切状態だった。
それこそ、“究極な空間の贅沢”で観た映画は、【十三人の刺客】(2010/日本映画)。

物語は江戸時代末期。
残虐非道な暴君、“バカ殿”を暗殺するため、秘密裏に13人の侍(刺客)が集結した。
戦は“13人対200人以上”の、壮絶な殺陣が繰り広げられるスト−リ−はシンプルで分かり易い。

だが、その裏側に隠された尋常ではない表現こそ、映画が必要とされているんだと思わせた。
それは、死を覚悟した13人の侍を、「可哀想だ」と思った人は、侍のことをわかってないのだ。
孤高な犠牲があって、今を生かされていることを知れば、「あっぱれだ!」と言うのが筋であろう。
“14人目の侍”になったつもりで見れば、その意味が解るんじゃないかな。

男という奴は、棒倒しや騎馬戦のように、敵味方が入り乱れた戦いになると、アドレナリンが放出されてくるけど、これこそ男だけのDNAなんだろうね。
夜道、相方から、「歩き方がいつもと違うんじゃないの?」と、指摘された私は、“単純男”なんだろうな。

総括。 女には見せたくない、「男の映画」である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

ザ・コ−ヴ (1)

言論表現の自由をめぐって物議の多い、ドキュメンタリ−映画 【ザ・コ−ヴ】(2009年/米国) の初日上映を新潟シネ・ウインドで鑑賞してきた。

こういう作品ほど、見てから発言しなければならないと思っている。
個人的な意見なので、いかように受け取られることは自由だが、議論が目的ではないので、反論意見は勘弁してほしい。

映画は動物愛護の精神から、イルカ漁にとどまらずに捕鯨問題まで批判しているものの、人間は動物の命を殺めなければ生きていけない。
単純に「かわいそう」で同調するのでなく、その国や土地の食文化もあり、一概には否定できない。
伝え方に作り込み過ぎた印象はあったが、理想と現実が混沌としているので、感情論理に流された見方は避けたいところである。
イルカショ−だけを見てきた人には酷だが、動物を殺めて生きている現実を語り継がず、正論だけを持ち出して、“やさしさかぶれ”すると、これはちょっと教育上まずいかなと思った。

上映終了後、入口付近で某テレビ局から取材を受けた。
 Q 「映画を見た感想はいかがでしたか?」
 A 「単純に、“かわいそう”で、同調できる映画ではありませんでした」
 Q 「捕鯨問題は賛成ですか、反対ですか?」
 A 「(唐突な質問に) まだ、頭の整理がついていませんので…」

しかし、命を殺めるにしても、極力残酷さをともなわない、適切な処理方法はないものか…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

菊次郎の夏

子供の頃、勉強以外のことを教えてくれる大人が好きだった。

そんな私が、小学生の夏休みをテ−マにお薦めする映画が 【菊次郎の夏】(1999年/日本)だ。
あまりに有名な作品なので、物語や解説は省くが、夏休みになると“絵日記に描きたくなるおじさん”が現れたものである。

草野球をしていると、突然「それじゃ、ダメだ、ダメだ」と叫びながら、いきなりノックを打ち始める、どこの誰かも知らない変なおじさん。
近所で変わり者と評判だが、実は釣りの名人であったり、ヌンチャクの使い手だったり、意外性のあるおじさんが多かった。
あそこの人と付き合ってはいけないと聞かされたが、子供の感性は大人とは異なっていた。
机上の教育を語る大人よりも、少しドジで間抜けだが、真剣に遊んでくれた大人に心を開いたものだ。
“夏休みだけのおじさん” …新潟の下町にも、そんなおじさんがいた。

北野たけし演じる菊次郎は、教養は低いが寂しがり屋で情に厚く、昔気質な人柄を好演している。
テ−マ音楽もシンプルな旋律の繰り返しが、遠く幼い記憶を近いものに仕上げている名曲である。

今日から8月 「夏」 真っ盛り …ふと見たくなるのが 【菊次郎の夏】だ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

HACHI 約束の犬

見逃していた映画 「HACHI 約束の犬」(2009年・ハリウッド/リメイク版)をDVDで観た。

命ある動物を静かに見守る優しさと難しさを物語っているような作品だった。
その昔、飼っていた犬とダブってしまい、込み上げる感情を抑えるのも大変だった。(4月25日記載)

飼い主の愛情と犬の愛らしさに心奪われながら、作品全体を色揚げしたのは配役の存在に尽きる。
家族を始め、駅員や移動販売の店主らが、10年間も同じ場所と時間を変わる心なく、見守り続けた姿に静かな感動を覚えた。
平静な心で見守るのは、簡単のようだが難しい。
何から何まで手を差し出して、善人になろうとする必要はない。

それよりも、命ある対象から目を放さないことの方が、大切なんじゃないだろうか。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を

シネマのカテゴリ−を大放置していたが、久し振りに「観たい」と思わせた映画である。

  『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』 (2010年:フランス/香港合作)

まやかしのハ−ドボイルドみたく、ドンパチだけのチンピラ映画には興味がない。
それを感じさせないキャッチコピ−「心配するな、約束は守る」。
シンプルな言葉の裏側にある、“男の美学”を感じさせる。

奴らの生きる世界はロクでもないが、人を裏切ったり、騙したりしない、律儀な男を匂わせもする。
雇われた殺し屋に扮する3人が同じ世代なので、その役どころに類似する感性があるかも。

そんな期待値も添えているが、これ如何に?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

クライマ−ズ ハイ

2008年 日本映画 クライマ−ズ・ハイ (主演 堤 真一)   
人間関係の確執やしがらみに苛立ちながら、紙面作りに挑んでいる記者たちの壮絶なスト−リ−。
ジャ−ナリズムとは、如何なるもの…考えさせられる。

現代の活字離れに加え、若い男性が新聞を読まなくなったと言われて久しい。
あるシンクタンクの調査によると、その理由の全体の6割強が、購読料の負担にあると云う。
背景には、ネットのニュ−ス配信が影響していると思うが、それにしても意外な調査結果だ。

新聞は社会の今を小銭で知る事が出来る、公式性の高い紙媒体である。
それが負担となるようでは、時事問題や社会との関わり、ひいては判断基準の在り方に不安を感じる。
若者は器用にテレビやネットのななめ読みなどで、いち早く情報を得ると思うが、その多くは浅知恵に近いものもあり、世代を越えた議論にもなると、どこか噛み合わない気もする。

私は自他共に認める頭の悪さだが、若い貧乏サラリ−マン時代でも、新聞購読だけは欠かさぬ自負はあった。
読解力に自信はないが、バカはバカなりに、少しでも読む習慣は身に付けたつもりだ。
それは新聞で喜怒哀楽を感じて家庭や職場、時には友人と酒場でコミュニケ−ションしたものだ。

それがいつしか、無料ク−ポン雑誌のように、タダが当たり前の風潮が幅を利かせると、逆にありがたみを感じなくなる。
新聞は時代の文化であり、コミュニケ−ションリンクの宝庫だと思うけどね…古い考えなのかな?
posted by GIG at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

松田優作 「ダウンタウン・ブル−ス」

♪ Bad city,bad bad city,fat city bad…の軽快なオ−プニング曲で始まる探偵物語。

私立探偵の工藤俊作を演じる、松田優作の意外な一面を知らしめた1話完結型の全37話であり、どこかヨ−ロッパ映画のようなウィット感に溢れ、ペ−ソスな気持にさせられる快作である。
だが、チャ−ミングな工藤ちゃんは36話までで、最終回は真骨頂であるハ−ドボイルドと化す。

「昔、俺にも仲間がいて、そいつが死んだとき…
もう仲間は作るまいと思って、この街に来たのに… なんで殺すんだよ」

暗い過去を背負う工藤を慕ったのは、変わり者扱いされながらも、懸命に生きている街の仲間達だ。
その仲間の命を奪った犯人グル−プ相手に、悲劇をものともせず、単身で復讐に立ち上がる。
そして、捜査線上に容疑者として名を残すこともなく、人知れず復讐を終えた。
だが、心は茫然自失となり、まるで死に場所を探しているかのように、街をさまよっていた。
… 最後は弱々しい暴漢に襲われても、何の抵抗もすることなく、されるがままで静かに死を選んだ。

彼は作品だけでなく、人生もハッピ−エンドにはならなかった。
その瞬間的な閃光は凄まじく、実は松田優作とは、“大都会の幻”だったのではないかと思っている。

今晩、久しぶりにシェリ−酒を飲みたくなった。
posted by GIG at 03:56| Comment(1) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする