2013年11月06日

松田優作

11月6日、俳優 「松田優作」 の命日であり、生きていれば 「64歳」 である。

過去、何度かタイトルを変えて、松田優作を書いた。
今も、俳優としてリスペクトされているが、人間としてはあまりほめられた人物ではなかったらしい。
神経質で嫉妬深く、暴力的な言動も多かったという。
激しい気性の裏には、飽くなき理想への追求があったのだろうが、とても正当化できることではない。

その生き方は、自分の前を走る男たちを常に追いかけている。
だが、その存在を追い越したと思うと、次は批判をはじめる。
彼の原動力が嫉妬であれば、嫉妬の対象にされた男は大変だ。

松田優作は 「萩原健一」 に憧れていた。
実際、萩原健一 (ショーケン) の自叙伝には、このような行が書かれていた。
「今はいいけど、どうせまた俺にも飽きて、批判を言い出すだろ」 と。
前の矛先だった 「原田芳雄」 は大人だから黙っていたが、いずれそうなることはわかっていた。
つきあいがはじまれば、ささいなことでトラブルになることは予想できる。
つくづく難しい役者だが、その強烈な自意識があったから 「ブラック・レイン」 で成功したと思う。

「長いものに巻かれる」 ことを、嫌がっていた節もある。
「太陽にほえろ」 での 「石原裕次郎」 への義理立てで 「大都会」 にも出演した。
自分が意図する方向ではなく、同時に 「石原プロモーション」 入りも断ったとか。
映画を強く意識していたので、ドラマ仕立てな石原プロとは合うはずもない。
以降、現場で彼の名前を出しにくい空気が漂い、イメージは一匹狼タイプだったようだ。
その反面、自分を慕うものだけを集めて、小さな集団を作りたがる、お山の大将な一面もあった。
「ブラック・レイン」 で演じた 「佐藤」 と子分の主従関係の如く、私生活は似ていた。

脚本家 「丸山昇一」 は、彼をこう語った。
「骨の髄まで憎んだ」 が 「骨の髄まで愛した」 とも語っている。
ある映画監督は、訃報時 「長渕剛」 の初主演映画でメガホンをとっていた。
歌手として成功している長渕であっても、映画のことはまだまだ知らないはず。
監督は映画への情熱はありながらも、次第に長渕の身勝手さに耐え切れなくなった。
その訃報を聞いて、急遽撮影を中止し、葬儀に出かけた翌日、監督を降板したという。
映画作りにかかわった人たちのコメントを聞いてると、時として凶暴、時には繊細、自我は尋常でなく、映画作りの情熱は誰もが認めた。

彼の自意識に嘘はなく、自分を決して裏切らない。
個性むき出しの生き方を 「役者魂」 と呼んでいいのかわからない。
だが、時代が生み出した俳優として、人の心を虜にする男だったのは確かだった。
「享年39歳」 の松田優作を語るのは複雑だ。
時間は 「1989年」 で止まっている。

余談だが、僕は東京生活の後期 「三鷹」 が住居だった。
マンションから見下ろすと、三鷹通りと連雀通りが交差する四つ角に 「禅林寺」 がある。
ここは 「森鴎外」 「太宰治」 が眠る寺として有名だが 「松田優作」 も眠っていることを知ったのは、ずいぶん後 (新潟に帰ってきて) からで、墓石には一文字 「無」 と刻まれているらしい。

こうして語られるうちは 「松田優作は生きている」 んだ。

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2013年09月25日

特典映像

たまたまビデオ店で手にした、サスペンス映画「エスター」がおもしろかった。

物語は三人目の子どもを流産して傷ついた夫婦が、孤児院から9歳の女児を養子として引き受け、   二人のわが子と同然に育てるが、その子は9歳の女児ではなかった…  (見た人いるかな…)

本編で使われなかった、DVD特典映像を見た。
似たシーンをいろんなパターンで撮り、取捨選択されたメイキングフィルムである。
そこには、もうひとつの「ラストシーン」がおさめられていた。

僕はお蔵入り(ボツ)にされた、ラストシーンのほうに戦慄が走った。
本編のラストシーンは、これまでの映画とさほど変わらないチープな印象を受けた。
しかし特典映像では、「こっちのエンディングが絶対にいいのに…」と評論家風に思ってしまった。

傷だらけの顔を割れた鏡に映して化粧直しする姿に、精神バランスが崩壊した人間が描かれていた。
正反対の人格に変身した後も風体を装い、堂々と人前に出て行く姿に、あの子の「モンスター性」を   決定ずけたラストシーンだと思ったからだ。
見た目9歳の女児が、次第にメスの本能を現していくあたり、男の立場で言えば禁断の新感覚である。

サスペンス映画のラストシーンは、満身創痍で解決するか、伏線がけて未解決にするか。
それとも解決は観客の思考に委ねるか、監督表現の見せ所であろう。
僕はもうひとつのラストシーンにこそ、あまりにも非現実的な奇異な恐怖が描かれていたと感じた。

特典映像の魅力は、いくつかの違ったパターンが見れること。
特にラストシーンはひとつではないという、映画作りの情熱を感じられる。
その意味では、特典映像の楽しみ方がわかってきたというか。

お薦めする映画でもないが、最近ゾクッとする刺激がない人にはいいかも…
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2013年09月02日

成人映画

古ぼけた旧家の様子を確認しに出かけた。

大まかに片付けた部屋の片隅には、まだ当時のLPレコードと映画のパンフレットだけ一部残してある。
陽のあたる場所で、パンフレットの表紙を指ではじきながら、あらためて「ませガキ」だったのがわかる。

「追憶」 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 「アイス・キャッスル」 「リトル・モー」 「ジョーイ」
「おもいでの夏」 「人間の証明」 「復活の日」 「クレイマー・クレイマー」 「プライベート・レッスン」…
これ全て、高校一年生までに見た映画だったはず。

ダスティ・ホフマン主演 「クレイマー・クレイマー」なんて、離婚と親権をめぐった男女の調停物語だし、
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」なんて、内容すら覚えちゃいない。
シルビア・クリステル(エマニエル夫人)主演 「プライベート・レッスン」は、見た覚えもないのに、    どういうわけかパンフレットだけがある。
思春期の僕はそれを見ながら、何を考えていたのだろうか、頭の中で青春がかけめぐる。
大人でしか理解できない映画ばかり、背伸びをして見ていた気がする。
「スターウォーズ」 「スーパーマン」 「ガンダム」シリーズは、今だ一度も見たことないんだ。

初めてのデートで見た映画は、ナスターシャ・キンスキー主演の文芸作品 「テス」
難しすぎて内容はおろか、3時間近くの長編に後悔したし、次の誘いに応じられることはなかった。
この映画がきっかけで、「今の好奇心に素直になろう」と、若者らしく青春映画に戻った。

だが、戻り目覚めたのは「日活ロマンポルノ」で、精一杯大人のフリをして窓口を通過していたのは、   以前書いたとおりである…  あぁ、夏麗子、高原リカ
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2013年08月19日

夏の映画館

18日夜、涼を求めて映画館へ 「終戦のエンペラー」を見に出かけた。

日曜の夜は観客が少なく、適度に冷房も効いていて過ごしやすい。
ロビーから、緩やかな川と静かな夜景が一望でき、ダウンライトが1日の終わりを告げているようだ。
二時間半は涼めるので、夏の映画館は最適な空間になる。

昭和天皇の歴史認識を見直せるいい映画だった。
最初に妻が見たいと言い出したことからはじまる。
映画好きの妻は、作品が文学的でも通俗的であろうと、その鑑賞力は客観的に冷静である。
過剰な表現で本筋を見失わず、芋づる式に物語をまとめて、実態を語れるところは真似できない。

映画はいい。
一緒に見て何かを感じる点では、特有なコミュニケーションができる。
蒸し暑い夜道を歩きながら、妻の解説もパンフレット代わりに聞ける。
僕の教養はバレてしまったけど、映画は知らない世界を知る楽しさがあるよね。

残暑が厳しい中、ほろ酔いとは一味違った、月夜の帰り道だった。
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2013年06月15日

最強のふたり

フランス映画 「最強のふたり」 をビデオで見た。

物語は介護を必要とする大富豪の下へ、スラム街のゴロツキが採用されてしまうところからはじまる。
介護には、心にもないおべんちゃらは必要ない。
ましてや 「人が好きだ」 「障害者のために」 なんて、安っぽい台詞を並べるものではない。
正論なのだろうが、身体が不自由な人ほど、敏感にわかるんだ。

独り善がりな正論は、ウンザリなんだと思う。
丁寧すぎる言動は、慇懃無礼にさえ感じ、逆に人を孤独にしてしまうことがある。
目を閉じて音楽に耳を澄ますと、それまで気がつかなかった、音を拾うことがあるでしょ。
盲目のピアニストに名手が多いのは、耳で見ることができるからなんだ。

ゴロツキと呼ばれた男を雇った動機をこう語った  「彼だけは、俺と対等につきあってくれる」
一緒にいれば、障害者として悲観的にならず、生きられる糧を得られる。
後ろ指を差されていた彼も同様、大切なことに気がつき 「出直す覚悟」 で生き方が変わった。

介護と言っても、人それぞれ望むべきことは違う。
「対等な態度」 が命を支えることもあるんだし、そのための二人三脚であろう。
「感動した」 だけで済ませるには、もったいない映画だ。

本当に心強いのは、こんな男なのかも知れないね。

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2013年04月28日

トガニ

実話を題材に映画化された、韓国映画の新作「トガニ 幼き瞳の告発」を借りて見た。

物語は男性養護教師が、新しい赴任先で校長らによる児童虐待の衝撃事実を知ることになる。
隠されていた実態を、人権センターの女性と世間にさらしたが、あまりにも理不尽な結果が続く。

対義語で言えば、強者と弱者 裕福と貧困 健常者と障害者 人情と冷酷 本音と建前 尊厳と憎悪…
世の中の多くのことは、人の心も金で買えてしまうことが証明された。
自宅で見ながら、奥歯がすり減るほど、やり場のない怒りが沸々とこみ上げてきた。
奴らには「インテリジェンス」の欠片もない。

日本映画では、本音を描き切れない。
日本人は本音に向かず、調整的な役割に懸命になる。
それで終息した後から、本音を言い出すいやらしさがある。
ストレートな作品が少ないのは、ありふれたことしか言わない国民性にもあると思う。

2010年 映画「コーヴ」で上映トラブルが起きた。
社会が毅然と公開しないから、逆に社会はゆがんでくると思える。
日本は毅然と見せることについては、先進国の中の後進国なんじゃないのか。
感想を強要することじゃなく、考えさせることの重要性とでも言うのかな…

社会構造がいかにハリボテなのか、身に詰まされるような映画だった。
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2013年03月04日

映画館デート

このところの夜、立て続けに劇場(映画館)に足を運んでいる。

昼は陽の下で過ごしていたいので、映画館のような暗い場所は避ける。
観るとしたら陽が沈んでから、空いていそうな時間を狙い目にする。
誰でも、ひとりになりたいときはあるだろう。

そんなときのひとつに映画館がある。
誰にも気にされないし、人としゃべる必要もない。
気持をまぎらわせたり、気分を落ち着かせるには適した場所だ。
だけどひとりでは、感性が凝り固まってしまう。
だから、映画館には妻を伴って出かける。

映画館のいいところはもうひとつある。
同じ作品を同時に見て、時間を共有できること。
若いときは喫茶店で、人目を気にもせずに見つめ合えていた恋愛期。
結婚したら性格が不一致だとして、生々しい感情でにらみ合う夫婦。
同じ見つめ合いでも、真正面から目を合わせすぎると、たがいの欠点も見え過ぎてくるもの。
そうならないためのコツは、同じ方向さえ見ていればいいんだと思う。

映画館では隣に座りながら、同じ方向を見ている。
その間、会話はできないし、顔も向き合わせられない。
日常から逃避したような場所こそ、逆にふたりの呼吸が整ったりするものだ。
僕はそんな、「大人のメルヘン」を描いて映画を観たことはない。
「大人の恋」じゃ大げさだが、「大人のつきあい」なんだろうなと思うことはある。
淡い頃、映画館デートが含まれていたと思うが、熟年になっても素敵な過ごし方には違いないだろう。

映画館の座席とスクリーンには、男と女の理想的な目のやり場があるんじゃないかな…
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2013年02月20日

期待はずれ

誰でも、こんなことはあるだろう。

家でじっくりと映画を見て過ごそうと、レンタルビデオ店へ出かけた。
しかし3回に1回は、何も借りずに戻ってくることもあった。
散々に迷った末、「別に見なくてもいいか…」となる心境。

まず二時間は制約されてしまうので、どうしても選ぶのは慎重になってしまう。
それとパッケージを眺めていると、見た気になってしまうんだと思う。
このあたりジャズのCDを持っているだけで、もう聴いた気になる多くのパターンと似ている。

僕の場合、遥か昔の「期待はずれ」にさかのぼる。
レンタルビデオ店ができはじめの頃、「キングコング・2」が棚に並んでいた。
世代が「ジョーズ」「キングコング」全盛期なので、あれこれ能書きを考えずに手にした。
早速、家族団欒となる日曜の夜、自信を持って再生したのだが、これがまたおもしろくない(私見)。
エンドロールを見ながら、父親は「なんじゃこりゃー」と叫び、母親もポカーンと口を開けている。
そりゃもう、貴重なお茶の間の団欒は、「おもしろくねえぞー」と一家大騒ぎである。
そんなこともあって、今もビデオ選びは慎重になるのである。

選ぶにあたり、まず「劇場公開作品」か確かめてから、裏面のあらすじはしっかりと読む。
パッケージのスチール写真はベストショットなので、はぐらかされないように注意をする。
監督や主演にはこだわりはないが、カッコ良すぎる男優が大げさなポーズをとっているのは危ない。
それと裸をウリにした艶かしい女優が、ヌード姿でセクシーポーズをとっているのも危ない。

先日も一昨年に映画館で観た「ピラニア」の次回作、「ピラニア・リターンズ」が棚に並んでいた。
本編、大々的な劇場公開はされてないと思うが、おもむろに手にしてパッケージを眺めた。
うろ覚えだが、見出しはこう書いてあったと思う… 「凶悪ピラニア軍団」VS「美女ビキニ軍団」?
「どうせ、若いお姉ちゃんの裸ばっかり出てくるんだろう」と思うと、この年齢になるともういいよ。
海や川、湖や山が舞台のモンスターホラー映画って、お決まりのセクシーヌードやセックスカットが    お約束映像なんだけど、あんまりストーリーとは関連がないようにも思える。
この手の映画は「またかよ…」って感じで、見る気が失せて元に戻してしまうんだよね。
こうしてその日も借りず、家路に戻ってしまった。

僕の場合は、きっと展開を先読みし過ぎるんだろうね…  もう少し白紙の気持を取り戻さねば。
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2013年02月12日

キャバレー

日本で一番有名なジャズの名曲といえば、たぶん「レフト・アローン」かと思う。

1986年 角川映画「キャバレー」の主題歌といえば、ピンとくる世代は多いだろう。
マル・ウォルドロンが、ビリー・ホリディに捧げた曲となってしまった鎮魂曲である。
聴けば「あー、アレね」と、うなづくであろう。

あらすじは、ヤクザの親分が不義理をした舎弟を場末のバーで射殺した。
そのとき、ジュークボックスでかかっていた曲がレフト・アローンだった。
親分は舎弟を弔うため、生バンドが入っているキャバレーで、いつもレフト・アローンをリクエストする。
テーブルには、ワイルド・ターキーのストレートをノーチェイサーで…
僕の記憶が正しければ、映画のはじまりはこうだったと思う。

チープな印象は否めなかったが、夜に生きるバンドマンたちの姿を描いた。
現実の繁華街ルールも多少描かれながら、筋者がジャズ好きかは知らない。
バンドがハコ(店)と契約しているクラブでは、お客のうたばん(伴奏)が最も大きな仕事となる。
故に筋者が好んで歌う定番は演歌に次いで、映画「ゴッドファーザー・愛のテーマ」だったと訊く。

カラオケが普及する以前、バーボンとジャズ、ホステスは社交場の三点セットだった。
クラブの客は飲み方がきれいで金払いも良く、酔って店の女に手を出すような間男は少なかった。
泥酔して店に迷惑でもかけようものなら、タフな黒服からさっさと外へつまみ出されていた。
当時の黒服は、バーテンダー兼ホール、そして用心棒(バウンサー)なのである。

お客さんも普通に楽しく飲んでの社交場。
だが、舞台裏では毒々しくも厳しい上下社会がある。
それに夜の世界、過去を探り合わないことが暗黙のルールとなる。
互いの経歴を含めて、働いている人たちにはいろんな事情があるんだ。
身を置くも置かぬも、個人の自由と力量。
マニュアルなんてない世界だっただけに、自分流の教育でねじ伏せていた時代である。
まかり通っていた背景には、夜の世界では腕力至上主義がまだ色濃く残っていたからなんだ。
今の時代、そんなことをやったら大変なことだよね。

映画「キャバレー」は、バブルの好景気に突入した頃の封切りである。
今思えば、夜の世界で働く人たちの、大きな曲がり角となった作品のような気もする。
正直に面白い映画ではなかったが、背景には夜の世界のいろんな場面も隠されていた。
このまま軍隊思考を貫き通すか、それとも勇気を出して変わって行くか、転換期を示唆した映画だった。

「レフトアローン」  当時、僕自身は若くて純粋な状態で、店を任された高揚感は衰えなかったね。
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2013年02月04日

ナイトシネマ

3日夜、トム・クルーズ 主演最新作 「アウトロー」を観てきた。
最初の無差別狙撃シーンを先入観なしで見ると、そのあとリズムに乗れる映画だと思う。

僕が落ち着ける場所のひとつに映画館がある。
だけど店をはじめてから、徐々に出かける回数は減った。
夜の仕事が影響しているんだと思える。

夜型人間には違いないが、休日の午後は解放的な気分の下、のんびり陽射しを浴びていたい。
夜は自堕落に過ごしているか、ひとりで飲みに出かけるか、たまに友人と会うぐらいだ。
半日ズレた生活なので、映画に時間を費やすことには、あまり積極的になれないのだろう。

それでも映画が好きだ。
人生が豊かになるなんて、ありふれたことは言わないし、映画を教えたがる使命感もない。
見て考えることに意義があるんだし、自覚を高めることができればいい。
他人の感想を丸写しされることもないし、最終的に「自分はどう感じたか」が映画の結論だと思う。
生活様式が変わったことで、映画から次第に遠ざかってしまったけど、見方そのものは不変である。

やっぱり、夜の映画館はムードがあっていい。
えっ、どうせ「アウトロー」に引かれて、観に出かけたんでしょって…?
「正解」!   僕らの世代、硬派なタイトルに弱いんだよね (笑)
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2012年11月19日

コラテラル

映画「コラテラル」(2004米国)の脚本が好きだ。

今晩、7年振りにじっくりと見返してみた。
見た人なら、「トム・クルーズ」の悪役ぶりが印象に残ったと思う。
タクシーをチャーターして、一晩で5人の重要関係者を暗殺して回る、殺し屋役なんだからね。
(クールなくせに、イージーミスも多くて笑っちゃうけど…)
それにタクシー運転手を演じる、「ジェミリー・フォックス」がいたから、殺し屋の冷徹さが光った。

彼には夢がある。
毎晩タクシーにお客を乗せていれば、それなりの緊張感も強いられる。
自由気ままに振舞われ、人を人と思わない態度に失望するときもあるだろう。
そういうとき、運転席の日よけに貼った、南の島の写真を眺めて、気分転換を図れる少年っぽさがある。
夢はいずれ独立してリムジンの運転手となり、お客を送迎することを僅かな幸せにしたいと願っている。
病床の母親を看守りながら、「どうせ過ごすなら、夢を持って楽しく生きたい」と前向きだ。
それは自由な空想でもいいと思う。

日々そんな想いを抱きながら、偶然にお客として乗せた殺し屋から、抑揚のない声でたずねられた。
「そういう夢を持ってから、この仕事はどれくらい経つんだ…」
運転手は少し詰まり気味ながら、「ああ、12年だ…」と答える。
すると殺し屋は一瞬、驚いた表情を浮かべた後、呆れた顔で、夜のロスの街にゆっくり目を移す。
その目には、「いまだに夢を実現できない負け組」の烙印を押した、冷たい傲慢さが伝わってきた。
一攫千金で生きる殺し屋からすれば、そんな夢は生き様にも、金にもならないのだろう。
社会を真面目に生きている運転手に対する、大きな侮辱であることすらも忘れてしまっている。

高給を得るのが、一流という風潮がある。
困ったことに、人格も一流と錯覚されてしまうのも世の常。
今、社会に格差があろうがなかろうが、運転手の視座を持てば楽しく生きられるんじゃないだろうか。
物語は抑えた表現で淡々としていたが、行き過ぎた個人主義を風刺しているような作品だった。
見返してわかったことは、トム・クルーズの魅力を最大限引き出したのは、ジェミリー・フォックスだ。

道中、ジャズクラブのオーナーを暗殺したシーンが印象的だった。
「楽譜にとらわれず、臨機応変にやる。 ジャズと同じように、今夜の仕事(暗殺)も即興だ…」
殺し屋の正体は最後まで謎であったが、秘められたメッセージは 「無関心」だったと思われる。
個人的には、あれほどの腕前がある殺し屋が、なぜ運転手を殺らなかったのか?
そこが考えどころではないだろうか…

わかったことはただひとつ。  彼はジャズに詳しかったということだけ…
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2012年10月16日

勧善懲悪

「どの映画」と固定はないんだけど、極限状態におかれた人間は本性が出るものだ。

サバイバル映画を見ているとよくわかる。
泣き叫ぶ者 うろたえる者 人を責めだす者 強がりをいう者… まるで「業」の世界でもある。
最初は冷静だが、絶望的になってくると、人の体を押しのけたり、置き去りにして我先に逃げる。
そこに敬意や友情、男女関係などありゃしない。
あるのは本性うごめく、エゴイズムな世界だけ。

誰もが、その場面を見て「ひどい野郎だ」と、心の中で弾圧しているだろう。
しかし、「君自身に隠されている本性」であることには、気がついていない。
普段は善人面した悪者のくせに、映画やドラマを見ているときだけは、誰もが勧善懲悪になるもの。
やんわり言えば、「その場面、あなたは人にやっているでしょ…」

映画の魅力は、誰の心の中にでも潜んでいる人格を、配役を通じて教えられていること。
つまり、自分の中に隠されている部分を演じられているのが映画なのである。

映画こそ、自分の顔をあらゆる角度から映し出している、三面鏡の役割をしているのかも知れないね。 
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2012年08月25日

Rocky The Final

「Rocky The Final」(完結編)を5年ぶりに観た。

前作「ロッキー5」こそが、シリーズ最後のようにも思えた。
展開は粗かったが、「愛すべき者から、目をそらすな」とのメッセージ性があった。
完結作品としては、ピリオドの打ち方がよかったからだ。

しかし、「Rocky The Final」では、「家族は変わる」ことからはじまった。
それにリングで死闘を演じる、青春映画の枠から、いつまでも抜け出せないチープな印象も受けた。
それでも最後まで、「愛と青春」「友情と旅立ち」を題材にして、よくぞここまでシリーズ化できたものだ。
理屈ではなく、こう考えられる。

僕は、人間の価値観は次世代に受け渡して行くことだと思うし、誰にもその役割があるような気がする。
「ロッキー3」以降、紋切型なストーリーになってしまったが、どの作品にも人間愛が表現されている。
シリーズ作品としては、とても「真正直な映画」の印象だった。

「Rocky The Final」のエンディングロールでは、フィラデルフィアを象徴する建造物を前にして、    大勢の老若男女が次々と出てきて、「WIN」の雄叫びを上げながら映画が終えていく。
その場面を見ながら、「みんなロッキーのことが好きだったんだな」と思った。
同時に劇場鑑賞では、「ああ、今度こそ、本当の終わりなんだな…」と感じた。

永遠の青春映画に批評は必要ない。
「わかっていても感動できる」のが、大衆映画の醍醐味だからだ。
それは、感動を欲しているからである。
原作「ロッキー」に、ルビ(ふりがな)をつけたようなストーリーだったが、いかに原作が重要で人々から
愛された映画であったか本当によくわかった。

個人的に思ったことは、大切な人よりも先に逝きたいね。
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2012年06月10日

エイドリアンに学ぶ

今になると、エイドリアンのような女性もいいよね。

ロッキーが所属するジムの近くに、エイドリアンが勤務する小さなペットショップがある。
彼女の外見は地味で、極度の人見知りな上、お世辞にも美人とはいえない。
内向的でいつもオドオドして、誰からも気にかけられないタイプ。
そんな彼女に会いたさ見たさ、店へ立ち寄るロッキーはエイドリアンのことが好きなのだ。

初めてのデートは、閉店後の10分だけ貸し切ったスケートリンクだった。
危なげに滑る彼女を横で見守りながら、おたがいのことを不器用に語り明かす。
そんなふたりは、どこか似たような境遇に惹かれ合いながら、今までの緊張がすっと氷解していく。
フィラデルフィアの寒くて長い夜、孤独じゃなくなったふたりは静かに結ばれた。

僕はエイドリアンを愛おしく感じる。
今の時代、何でも明け透けにしてしまう女性が多い。
真実をあれこれと引き出しては平気で相手を傷つけたり、些細なことに感情を開けっ広げにするような 女性は少し苦手である。
どこか謎めいたところがあって、ひとりで過ごす時間を大切にするような女性の方が気になるものだ。
「秘すれば花」という、いい言葉があるではないか。

僕は女性には好きなことをさせるけど、わりあい古風な考え方を大切にしているところがある。
男の疲れた表情に気づいてくれたり、過去の傷に触れたりせず、自然とそばにいて癒してくれるタイプ。
それでいながら、映画の中で観客席からリングの人ごみをかきわけて、「愛している」とストレートに表現した強さを見たときは感動した。
一見、地味に見える底辺にこそ、実は男と女の真実があるのではないだろうか。

僕がそう思うようになったのは最近のこと…  男としては、遅咲きの方かも知れないね。
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2012年06月09日

ミッキーに学ぶ

好きな映画は、「ロッキー」(1976)  それ以降の作品は劇画的過ぎた。

原作の見どころは前半の「不器用な恋愛」、後半の「ファイティングシーン」だろう。
個人的には、「トレーナーとの関係」に重きを置いた。

年老いたトレーナーのミッキーは、誰よりも先にロッキーの素質を見抜いていた人物だった。
だが自堕落な生活を送っていたロッキーは、ミッキーの立場を理解してないとしか言いようなかった。
そういう考えのなさが、いつしか仲間までも遠ざけていった。
そこに来てアポロの思いつきから、突如として対戦相手に指名されたロッキー。
ミッキーは孤立しているロッキーを見かねて歩みよったが、逆に「こういうときばっかり…」と、過去からの感情が話をややこしくしてしまった。
本当は不仲でもなんでもなく、お互いの不器用さが和解を邪魔していただけのことであった。
長年冷遇されたと思い込んでいるロッキーは、思いを吐き出してミッキーの後ろ姿に罵声を浴びせる。
そのまま凍える夜の街をひとり、トボトボと歩きはじめたミッキー。

するとロッキーは着の身着のままでミッキーを追いかけ、肩に優しく手を回してから、何やら一言二言  交わしてから別れた。
男と男が、いさぎよく和解した瞬間である。
やっぱり、お互いを必要としていたんだ。
いつまでも意地を張っている自分をバカバカしく思い、もう一度出直す決意をしたのであろう。
そのときの台詞は高架橋の騒音でかき消されているが、どんな言葉を交わしたのかを観客に思い描かせたところが、心に訴えかけられた場面だった。

僕は思ったね… 男だから謝れるし和解できるのが真の姿であり、それこそが男らしさだよね。
そんな、詫び寂びの抑えた表現の中にこそ、この映画のよさがしみわたっていると思えるんだ。
このシーンを何度観ても、まぎれのない青春の香りに包まれてしまう。

何だか、生卵を殻ごとバリバリ食って、本町市場を全裸で疾走したくなったぜぇー!
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2012年06月08日

ロッキーに学ぶ

連日、来月のロンドン五輪に向けて、様々な競技の代表選考会が行なわれている。

努力は報われないことの方が多い。
じゃあ何で努力をするのかといえば、努力しないより、努力した方が目標に近づけるからと考える。
僕も柔道を通して努力はしたさ…  だが、努力が報われたなんて思ったことはなかったし、道場生にも無責任な啓発もしたこともない。
努力は自分がどう納得するか、他者がどう共感したかでしかないと思う。

映画のワンシーンを使えば、名作「ロッキー」(1976)の14ラウンドを思い起こしてほしい。
アポロの強烈な一発を喰らったロッキーは、キャンバスにのたうちまわり、ロープにしがみつきながらも必死に起き上がろうとしていたあの場面だ。
セコンドは、「もういいから、立つな、そのままでいい」と、怒鳴りながら制止していた。
セコンドは死闘に共感したが、ロッキーは納得してないので、制止を振り切り立ち上がる。
最終ラウンドまで立ち続けることで、俺はただのチンピラじゃなかったことを世間に認めさせたかった。
試合終了のゴングが鳴り響いたとき、誰も勝ち負けなんかにこだわっていなかった。
人々は結果に感動したのではなく、プロセスに感動したからだ。
つまり、結果が全ての世界で、プロセスという努力にみんなが共感したのである。

今でも、あの映画を思い返すと三つのポイントがあった。
まず動機。  エイドリアンへの愛情、ミッキーへの尊敬、ポーリーとの友情。
そして自分自身、世間に認めてもらいたいという信念。
次に努力。  努力に生きがいが宿った。
最後に運。  これだけは仕方がない。 
アポロが気まぐれにロッキーを名指ししなかったら、アメリカンドリームを手にすることはなかった。
結果とは、「動機・努力・運」を得たものが、真の勝者になれると思っている。

次回作からファイナル作まで、ロッキーシリーズが長年愛された理由には自分の弱さを素直に認めて、再挑戦を続けるプロセスにあるんだ。
その努力は金のにおいがするのではなく、牧歌的でやさしさに包まれているから、ロッキーは人々から愛されたのだと思える。

スポーツの勝敗において、共感と同情は全く違うものなのである。
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2012年06月07日

映画談議

もう、二年前の出来事だから解禁してもいいかな…

ある夜、たまたま居合わせた3人のお客さんと映画談議をしていた。
少し斜に構えた「映画通」ともなると、一般的な内容よりもどちらかと言えば奥行きを語る。
有名どころで合わせて反応を伺うこともあるが、知識全開で来られるとちょっと困るときもある。
せいぜい酒場の映画談議であれば、有名作品の見所、誰もが知る男優や女優あたりで落ち着くもの。
しかし、自称「映画通」のお客さんは飛ばしに飛ばしまくる。

「アル・パチーノ」「ショーン・コネリー」「ポール・ニューマン」…
有名どころの俳優から、「その人… 誰?」と首を傾げる脇役まで連ねてくる。
この傾向は、ジャズミュージシャンの好みにもいえることで、「いぶし銀タイプ」を上げていたほうが、  通と思われる勘違いした人にも似ている。
その人、映画通を名乗るだけあって、確かに作品や俳優を良く知っているのだが、正直に言うと単に  並べているだけのようにも思えた。
それで一番好きな俳優は、「ロバート・デ・ニーロ」だという。
僕は残念ながら、デ・ニーロの代表作と呼ばれる、「ゴッドファーザー」も「ディアハンター」も観ていないので、その魅力については語れない。
しかし、会話がかみ合わなくなってきたのはこのあたりからで、ストーリー展開が違っている雰囲気を 他のお客さんが嗅ぎ取ったようなのである。

バドワイザーを片手に会話へ加わっていたお客さんから、嫌味はないが強烈な質問を浴びせられた。
「本当はどっちも見ていないんでしょ… ストーリーが違うよ」 見たからこそ言える質問であろう。
すると映画通のお客さんが両手の人差指をクロスさせながら、「マスター、チェック」と合図する。
「あら、質問が…」と思いながらも、途中で会話をやめて、そのまま夜の街へ消えていった。
残された2人のお客さんと、全員一致で行き着いた答えはここだった。
「ロバート・デ・ニーロ」 名前がカッコいいからじゃないのか。
じゃあ女優は、「オードリー・ヘップバーン」ってところかな。
外に笑い声がもれるほど、盛り上がったことは言うまでもないが、会話にも身の丈があるわけで…
そのお客さんはあれ以来、店に現れていないことから、質問が図星だったのかな。

余談だが、今年の2月頃、カウンターで「カリラ」をロックで飲んでいたお客さん。
ジャズを聴きながら独り言… 「マイルスのペットは、いつ聴いてもいいなあ」と。
僕が流していたのは、「ジェリー・マリガン」だし…  しかも、「バリトンサックス」だし…
酔って周波数が合わなかったようだが、こういうワイルドな人って、かわいいと思うし好きだね。

映画好きもいいが、共通の話題を独占し過ぎると、周囲はしらけてしまうことがあるのでほどほどに…
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2012年02月26日

ハードボイルド

去年、映画館で観た、韓国映画 「アジョシ」 がビデオ化されていた。
次回、もう一度、見返そうと思いながら、ビデオ店を後にした。

松田優作の死後、「日本のハードボイルドに、夜明けがくるのか…」と囁かれていた。
結論から言えば 「ない」と思う。

そう思う理由は、世間が求めていない。
彼が演じたハードボイルドは、目的のためなら手段を選ばない、とても自意識過剰な男役だった。
主演映画「蘇える金狼」では、大企業の平凡なサラリーマンが、会社を相手に強引な駆け引きを仕掛け大株主に出世し、社長令嬢までも頂き、トップに伸し上がったストーリーである。

それも、女を自分の思い通りに操り、用がなくなれば使い捨てにするような男。
あの頃のハードボイルドは、己の目的を達成するためには、人間性を欠いた非情性を持っていた。
そんなハードボイルドを、現代で誰が支持するかって話であり、現に名称は死語と化してしまった。

現代のハードボイルドは、利己的な野心や私腹を肥やすだけの夢には、感情移入できない。
心の傷を隠して、誰かを守るために、野生が蘇えるストーリーが値打ちになったと思える。
「アジョシ」を始め、似通った価値観をもつ映画に、「レオン」、「マイ・ボディガード」がある。

主演らは、子供によって生きる希望を取り戻し、大切な命を守るために、壮絶な復讐劇をはじめた。
松田優作のテレビドラマ「探偵物語」最終回でも、仲間の殺害に関わった者、ひとりひとり順番に捜して報復を終えたが、生きる悲しみを背負った先が死だった。

これらの作品には、新しい「ハードボイルド像」が予言されていたような気がする。
自分の命を引き換えにしても、守るべき者は守る、孤高な人物像が見え隠れしている。
それは親が子を想う気持ちに、「子供さえ助かれば、俺の命なんて惜しくない」と言うのと同じだ。

だが、現実社会、本当にそれができる人は、どれだけいるのだろうか。
守るべきわが子を虐待していたり、犯罪に利用して金儲けの道具にしたり、理不尽な要求を振りかざすだけの保護者などの報道が切れない。
そういう、ふつふつと沸いてくる怒りが、ハードボイルドに駆り立てられるときがある。

ハードボイルドの夜明けは、韓国に陽が昇ったようである。
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2012年01月19日

ドラゴンへの道

今年の干支にちなんで、香港映画「ドラゴンへの道」(1972)を観かえした。
日本公開は、1975年ごろで、もしかすると一番最初に観た映画のような気もする。

ブルース・リーといえば、「筋肉隆々の肉体美」「怪鳥音から繰り出される高速攻撃」「目にも止まらぬ ヌンチャクさばき」と、アクションに関する話題は事欠かなかった。
僕は、ブルース・リーの最大の魅力は、あの「目」にあると思う。
今作品では、気が優しい青年ながら、実は超ド級の強さを秘めた役を演じた。
諺で表現すれば、「能ある鷹は爪を隠す」を演じ、強さと勇気を示してくれた映画である。
彼の目の奥に宿る、「喜怒哀楽の目」こそが、台詞代わりなのだ。

マフィア対策で従業員が空手の稽古をしているとき、素人師範が「大先生の拳法やらを拝見しましょう」と、皮肉った場面があった。
すると眼光鋭く、「ケガするよ」と声のトーンが一瞬変わったのはしびれた。
本当の武道家は強さを封印して、戦わざる得なくなったとき、その凄腕を発揮するのだ。
コロシアムでの死闘を終えた後、彼の寂しそうな目の奥には、過酷な修行に耐えた者同士でしか通じ合えない、敵ながら尊敬できる男に値した眼差しがあった。
仲間とはショッキングな別れとなったが、坂道を歩いて帰る後ろ姿は、幼心で初めて見た「男の背中」が目に焼きついたものだ。

現代の映画は、「おしゃべり」だけど、昔の映画は、「行間を感じろ」と言われてるように思える。
ブルース・リー映画の中では、最もコミカルに仕上がってはいるが、僕が一番好きな作品である。
男なら誰もが夢中になったが、はじめて観た年齢、改めて観かえした年齢で、映画の印象や感想が  ガラッと変わってしまうところも、観かえしがいあるというものだ。

それにしても、各配役の大根演技が時代的で笑える。
刺客の日本人空手家を演じた男の調子はずれの名台詞、「おまえはタン・ロンか」と「あぁ〜痛ぁ〜」は、記憶に残るお笑い名場面である。
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2011年12月24日

戦場のXmas

今日24日は、いろんな街角で、「Xmas Song」が流れているだろう。

83年日英合作映画、「戦場のメリークリスマスのテーマ音楽」(坂本龍一)が好きだ。
舞台は、第二次世界大戦下のジャワ島奥地で、Xmasとは縁のない捕虜収容所での物語である。
灼熱感がXmasとは似つかないが、人の心を包むように響くメロディーに、誰もが虜になったと思う。

南の島なら、静かなサイパンが好きだ。
夕暮れ時は、ビーチに寝そべって、この曲を繰返し聴いていた。
実際、サイパンは灼熱の戦地だったから、映画のロケーションとメロディーが絶妙に交じり合う。
シンプルなノートの繰り返しながら、急に曲のムードが変わり、苦悩と混乱、雲のすき間から光りが差し込むような、希望と平和を表現した、厳格な展開が魅力的な曲である。
歌詞が入ると、ビジュアルは型にはまってしまうが、インストは創造に広がりがもてる。
アレンジはすごくシンプルながら、「自由なXmasがある」ことを歌ったテーマだと思う。

映画では、北野たけし演じる鬼軍曹が、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」と、声がけした場面は、戦争という心のわだかまりを洗った台詞のように聞こえた。

僕の中にあるXmasは、季節はずれの「戦場のメリークリスマス」である。
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