2016年09月05日

ゴジラ世代

ハァー‥  いや〜  えっ? 何のタメ息かって‥  ゴジラだよ、ゴジラ‥  シン・ゴ・ジ・ラ!

思惑を見事に裏切られた、世界に誇れる 「大人の日本映画」 だった。 

4日 夜7時20分上映 「シン・ゴジラ」 を万代の劇場で見てきた。
映画は、予備知識を入れると勝手な想像が働くので、予告以外の情報は得ないようにしている。

ボクの知る怪獣モノやSFモノは、サイドストーリーに恋愛や家族愛、友情を仕掛ける傾向があるあまり本筋が方向転換しすぎて、ほとほと純愛アクションに舵を切るようなところがあった。

しかし、本編 「そのとき、日本はどう動くのか」 まず、コンセプトがしっかりしていたと思う。
日本の存続をかけて、政府に意思決定をゆだねられながら、民主主義の根幹である、そうカンタンには物事を決められない葛藤など、大人が楽しめて考えられる、大人のゴジラだった。

少数意見も侮るなかれだが、有事での決定は常にスピードと情報、断腸を極めるものである。
放射性物質を蓄積するゴジラは、現代の原発論に再考を鳴らして 「人間の科学は本来、人間を幸せにするため」 なのに、ストーリーを通して、個人の問題にも行きつくことを訴えていたところは共感した。

劇中、政府官邸の特別対策本部室、防衛大臣役の 「余 貴美子」 は、有事の疲れから、化粧がとれかかっているシュールな演技は、ベテラン女優として見事だったな。
それに、ゴジラ世代とされる 「アラ還世代」 (60歳以上) が、いい味を出していたね。

個性派の役者ほど、晩年は飾らず、隠さず、感じたままの冥利に尽きる。
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2016年07月12日

シン・ゴジラ

11日 映画 「インディペンデンス・ディ・リサージェンス」 (96年の続編) を見てきた。

SF映画はほとんど見ていないが、なぜか 「謎の地球外生物」 「未確認飛行物体」 「侵略の魔の手」「ツチノコを捕獲した」 など、まやかしモノには弱く、奇妙な存在に興味をひきつけられる。
幼少期に 「ウルトラセブン」 で描かれた宇宙人の侵略的な恐怖と 「矢追純一のUFOシリーズ」 の奇想天外な編集に、少なからず影響を受けたのだろう。
来月は日本映画 「シン・ゴジラ」 を見に行く予定だが、これこそ 「ウルトラマン」 の怪獣シリーズ然り 「川口浩の探検隊シリーズ」 のような、うさんくさい期待を持ってしまう。

しかし、この手の特撮娯楽超大作を見ても寂しいかな‥  喜んだり感動することがなくなった。
若いときなら、その映画 (物語) にダイブして、すばらしき空想に酔いしれたが、今はどういうわけか、「覚めた目で見ている」 そんな自分に少しガッカリしている。
昔は、そうじゃなかった。
それはつまらないとかじゃなくて、今は映画が豊富にあるから、相対的な楽しみのレベルに慣れ親しみ、時代と年齢にズレがおきたんだと思う。

その傾向、1986年以降、軒並みにビデオショップが町の至る所に開店すると、作品は頻繁化するし、大量生産すれば質を維持することは厳しくなり、文化も様変わりした。
昔見た映画こそ、名画であると思いがちなのは、圧倒的に作品が少なかったからだ。
ボクの中で 「これだ!」 と、素直に感動できる映画も少なくなった。
慣れてしまったことに加え、映画を見る年齢的な色彩調整が変化したとも思える。
それでも、見るのなら、清らかに澄んだ 「シンプルな映画」 を欲したくなる。

近年、ハリウッド映画でも 「ネタ切れ」 が叫ばれているが、その分SFXの傾向は強まる。
そうすると、ドキュメンタリー、ヒューマニズムに、わが身を感動にひたしたいところだが、いい映画とは、後にフッと思い出す映画なんだろうね。

日本が誇る怪獣 「シン・ゴジラ」 を見たいのは、純朴な味わいを取り戻したいからである。

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2016年07月03日

ハスラー2

1950年代生まれは、ボウリングが上手くて、1970年代生まれは、ダーツが上手かったりする。

では、1960年代生まれは、プールバーに代表されたように、ビリヤードが上手い連中が多い。

ゲームは、ナインボール。
ブレークショットで、球の散り方によっては、マスワリ (全部の球を番号順にノーミスでとりきること) も、そんなに珍しい光景ではなかった。

ビリヤードの難しさは、最初のブレークショット以外、同じ球の配置がないこと。
したがって、的球 (カラーボール) をポケットに落として、手球 (白球) を、いかに次の的球の近くにコントロールできるかが、腕の見せ所になる、二元化のゲームである。

そのためには、押し球や引き球、ストップショットに右上でひねって、力加減はこのくらいで、クッションを使ってなど、理数系のゲーム展開となる。
そして、最後は 9 (ナインボール) をポケットに沈めた方が勝ちだ。

そんなビリヤードは、スポーツ球技として身につけるか、酒場のナンパ目的か、それともお遊びなのか、用途は割れるところだが 「ハスラー」 (賭け球) として、小遣い稼ぎしていた奴もいた。
このあたり、麻雀と似ていて、下手を装って相手を油断させてから、徐々に本領を発揮する流れだ。

ボクはアダムのキューを持っていたが、特別にハマったタイプでなく、プロのプレイに見ごたえを求める観戦者に過ぎず、今ならカーリングのように、静かな知性を燃やすゲームが魅力的に思えた。
それにバドワイザーをラッパ飲みしながら、カラーボールを撞く若者たちの姿は時代に映えた。

今は気軽にビリヤードをしたくても、遊技場の経済効率が悪いから、どこもテーブルは置いてない。
あったとしても、たまにお店の片隅で見かける、だれも弾かない調律もされてない、古びたピアノ扱いになっており、テーブルバランスや用具のメンテナンスはされていないだろう。

当時の若者たちをビリヤードに熱狂させた映画こそが、トム・クルーズ主演 「ハスラー2」 (1986)
主演同じく、カクテルバーが流行ったのも、映画 「カクテル」 の影響で、ビリヤードとバーを融合した トレンドが 「プールバー」 で、ディスコダンスも達者なモンだし、最も夜の遊びを知る世代かもね。

ハッキリしているのは。つまらんおやじにはなりたくないわけよ。
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/368336912.html?1555059263 ( 9 Ball )

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2016年06月28日

美しき過去

この数か月ほど、月曜日は映画館からスタートをする日が多かった。

それも、今までにない生活パターンで、劇場で映画を鑑賞してから、お店の準備に取り掛かるような。
その分、前日は早めに飲んで眠るので、寝不足で起床することはない。

見たい映画は絞り込むが、最近の日本映画はのびのびした環境で、制作されてると思う。
そのぶん 「無類な俳優」 は消えてしまった。
昔の俳優は 「俺は映画を作っているんだ」 と強いこだわりがありすぎて、自分たちの技量とは別に 「わからないやつは、見なくても結構」 と凝り固まった純粋が強かった。

最近、BS放送で松田優作が主演した代表作 「野獣死すべし」 「蘇る金狼」 を数十年ぶりに見た。
チープな印象を受けたが、あの映画をつまらないと言いたいのではない。
「蘇る金狼」 は、強靭な演技を前面に出し 「野獣死すべし」 は 「肉体をもたない狂気を表現した」 代表作であることは違いないが、ありあまる情熱が作品をわかりにくいものにした。
そんな 「青い解釈」 を感じてしまったんだ。

15歳と51歳で見た感想が同じなら、見方は浅すぎるだろう。
人の感性は変わるから、違った印象に受けとれてしまうんだろうね。
それでも、好きな俳優は、まぎれもない青春の香りがする 「松田優作」 には変わりない。

若気とは 「美しき過去」 である。
 
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2016年06月21日

偽りの隣人

肩を並べていた妻に 「隣人 (住民) の顔を知っているか‥」 と思わず聞きたくなった。

20日 午後2時から上映の映画 「クリーピー」 (偽りの隣人) を見てきた。
クリーピーを翻訳すれば 「気味の悪い」 という意味らしい。
サスペンス映画の見所は、平穏な日常が壊されていく恐怖にある。

現代社会、ご近所つきあいが希薄で、隣人と挨拶するどころか、顔すら知らないことが多い。
昔は生活の知恵として、引越しの挨拶で安心感を築き、前提となる常識力を図られていたものだ。
それができないと、隣人として奇妙に警戒される存在にされてしまう。

そんな隣人が 「サイコパス」 (多重性人格者) だったらどうする。
会うたび、言動と態度が一致しておらず、唐突に奇妙なことを口走ったり、人格が入れ替わっていたら、だれでも背筋に冷たいものが走るだろう。

映画を見終わり、後味の悪さを引きずったが、これこそサスペンス映画の真髄に迫る秀作である。

あなた、隣人がどんな人物か知っていますか‥
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2016年05月10日

64 (前編)

9日 午後1時50分上映 「64/ロクヨン」 (前編) を見てきた。

思わず 「男泣き」 しそうな、ヒューマンドラマがここにあった。

天皇陛下が死去した 「昭和64年1月7日」 は、日本国民が喪に伏して黙とうを捧げた。
しかし、その訃報の影に隠れた報道となったのが、少女誘拐殺人事件、別名 「ロクヨン事件」 である。

結果、犯人に身代金を奪われ、少女の救出にも失敗し、事件から14年が経過しても、犯人の手がかりすらつかめず、未解決のまま時効が1年後に控えていた。

そのとき、当時の県警捜査班が初動ミスをおこしていたことが、14年後に明らかになった。
自宅班が犯人につながる重要な手がかりを録音できず、追尾班も犯人を目前で取り逃がしたばかりか一部の捜査官ぐるみで捜査ミスを隠ぺいしたことで、かかわった人たちの人生までも狂わした。

時効が1年に迫ったある日、新たな 「ロクヨン模倣事件」 がおきてしまう。
その真相をめぐって、反目し合っている警察の内部組織、報道の使命を押し込んでくる記者クラブ、  人の相関図は当時と変わったが、被害者家族も含めて、全ての人物が事件に絡みあってくる。

その事件のペースメーカーになるのが 「佐藤浩市」 演じる、元ロクヨン事件の捜査班、現在は警察 公報室公報官 「三上」 である。
紆余曲折、今の部署に配置転換されて、家族の問題を胸に秘めたまま、公私の心情が葛藤する物語。

ボクのあらすじでは到底つたないが、これまでの単純な刑事ドラマ (映画) とは違い、ある程度は 「40〜50代の気持ちを代弁している」 ように感じた前編であった。

40〜50代になると、組織においては周囲との軋轢を避けて、空気を読んで人と歩調を合わせることに長けてくるのが常である。

男の世界にあって、自分に保険をかけず、しかも退路を断ち、正しいと思ったら迷わず主張をする姿に憧れながらも、なかなかそれができない 「自分という観客」 に、涙する映画だと思えた。

また、細かいディテールになるが、佐藤浩市の妻役 「夏川結衣」 紅一点の部下役 「榮倉奈々」 が、孤独な彼の心の拠り所になり、その言葉の端々から、良き戦友であることが、ひしひしと伝わってきた。

前編の感想、今の日本人に必要なのは、派閥で大威張りすることでなく、佐藤浩市が演じた、名づけて 「三上力」 (みかみりょく) である。

後編の封切りとなる、6月にひとつ楽しみが増えたというものだ。
 
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2016年05月07日

Shall We ダンス?

最大10連休のGWも明日で終わる‥   あー 長かった‥ (大きなため息)

家族同伴で遠出した人は、お疲れモードにムチをいれて、しばらくは自宅と会社の往復になるのかな。
そういうとき、こんな映画にもう一度、癒されるのもいいかと思う。

世に功績を残した人に贈られる 「春の褒賞」 の受賞者の中に、映画 「Shall We ダンス?」 の 映画監督で知られる 「周防正行」 (59) の名前があった。

当時、30歳のボクは、あまりにも20代を猛烈に疾走したせいか、少し疲れていたんだ。
そんなとき、夜の新宿でひとり、気持ちの空気を入れ換えることに役立った思い出がある。

主人公となる40代のサラリーマンは、今の仕事や生活に不満はなく、ここまで平凡ながら順風満帆に行き過ぎて、何かやり残しているのではと、家族に内緒でひとり 「ダンス教室」 に通いはじめた。

教室で出会った人たちも、どこか言い知れぬ不安を胸に秘めながら、たがいの出会いを尊重することでかすかなやすらぎを感じていた、そんな物語である。

40歳も過ぎたころ、あの登場人物たちが心の奥に抱いていた 「不安」 がわかるようになってきた。
そんな不安を 「コミカル」 にほぐしてくれたのが、この映画の魅力なんだ。

キャッチフレーズ 「人生に、もう一度、恋をしてみよう」 ‥  ステキじゃん!
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2016年05月02日

レヴェナント

万代が生活の拠点だと、時間のあるときに散歩がてら、どこでもフラッと出かけられるから便利だ。

1日 3時45分上映 「レオナルド・ディカプリオ」 主演映画 「レヴェナント/蘇えりし者」 を見てきた。

夜の仕事をしていると、昼の生活環境に日光をとりいれたくなる。
映画は好きだが、劇場の暗さがもったいなくて、ひと頃よりは見なくなった。
その意味では、作品のイントロダクションは、鑑賞する上で判断を利かせるところだ。

それにしても、混みあっていると思ったら、毎月1日は 「映画の日」 なんだね。
たまたま重なったけど、万代は若者の街だから、上映作品も 「アニメ」 や 「ホラー」 「コメディ」 に 「青春ロマンス」 が多くて 「大人向け」 の作品は少ない。

ボクは 「ドキュメンタリー」 や 「サスペンス」  「ミステリー」 を好むので、作品は限られてしまうが、ひとつの物語を充実した気持ちで見終えて、家路につけると気分がいい。

来週から、上映される日本映画 「64」 (二部作) も、見逃せないな。
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2016年04月09日

追 憶

新潟 Tジョイ万代で 「午前10時の映画祭」 と題し、年間を通じて往年の名作が上映されている。

GWでは 「ロバート・レッドフォード」 と 「バーブラ・ストライザント」 の共演で知られる映画 「追憶」 (73) が上映されるそうだ。

あの映画は、中学2年のとき、古町の名画座 「ライフ」 で、リバイバル上映で見た記憶がある。
バーブラが歌う 「追憶のテーマ」 だけがひたすら美しく耳に残ったものの、内容はチンプンカンプンだったし、何度か見直したことで、生き方 (政治的思想) の違いで、別れた理由が理解できた。

ボクに政治思想はない。
右や左、タカにハト、与党だ野党だの、一方に肩入れすることもない。
まず、両者の意見を聞いてから、自分の考えで決めるようにしている。
そうじゃないと考え方が偏重するし 「社説世代」 に、一方的な傾向が強い気もする。
だから、同じ思想とばかり群れていると、同じ教科しか学べないから、定点思考に陥りやすいと思う。

映画 「追憶」 には、人生のヒントが描かれており、これは決して答えであってはいけないんだ。
生まれ持った家柄、生涯通用してしまう学歴社会など、理不尽だらけで理想的な平等などなく、凹凸を理解し合うことでしか、人と交われないわけだ。

時には、行き過ぎた思い入れが自由や恋愛すらも束縛することがあり、その意味で考えれば信仰心だって怪しく思えるし、自分を一つの枠に限定していると生きづらさを感じるからね。
青年の主張みたいになったが、自分なりに感じたことが自由の源になるし、これが映画の魅力である。

「午前10時の映画祭」  ボクにとって真夜中の上映だから鑑賞はムリだ‥
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2016年01月15日

コーラスライン

来月の平日、新潟県民会館で、劇団四季によるミュージカル 「コーラスライン」 の公演がある。

ガラにもなく見たいが、2月は営業日数が少ない上、個人事業主にとって、余裕をぶっこけないからね。
二十歳のときに見た、映画 「コーラスライン」 が、あまりにも印象的だったんだ。
主演は 「マイケル・ダグラス」 で、ミュージカルのオーディションに応募してきた、思春期の若者たちの人生に愛と輝きをもたらせ、同時に人生の厳しさを教えてくれた映画だった。
人は選ばれたり、時に選ばれなかったり、そんな喜怒哀楽を経験しながら、やがて一人ひとりたくましく生きていくのだと思えた。

10年ほど前 「オンリーワン」 なんて言葉をよく耳にしたが、それはさまざまな人たちと競争した結果で得たオンリーワンであり、生まれつきのオンリーワンじゃないんだよな。
だから、順位をつけない運動会なんてのは、行き過ぎた過保護であり、そこに気づかないと過剰なほど自分だけの気持ちを大切にしすぎるから、人とコミュニケーションできるわけないじゃん。
そんなコーラスラインを見終わった後、青春の戸惑いが晴れた気分となり 「また明日から、がんばろう」 なんて、気分にさせられた名画だったなあ。

青春の飢えや渇きを、映画で解消していた時代もあったね。

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2015年12月20日

Movie Scene

SF映画の大ヒット作 「スターウォーズ」 シリーズの新作が、10年ぶりに全国で封切られた。
(個人的には、一作も見たことはないので、語れない)

初上映の1977年ころ、今ほど娯楽がないから、日曜の映画館には長い行列ができていた。
小遣いを映画に費やしている同級生も多く、映像を早送り巻き戻しできない、集中力はあった。

英会話ができる同年代と話すと、時代の 「アメリカ映画」 に影響を受けたという人が多い。
それに 「エアメール」 が広まったころだから、英和辞書を片手に、憧れの映画スターへファンレターで気持ちを伝える若者もいた。

邦画と違い、洋画には日常と違う世界があるので、好奇心が旺盛な若者には魅力があった。
映画を流暢に語れるほどの本数は見ていないが、どの作品にも当時の世相や流行が反映されており、時代の鑑のような役割を果たしていたとは思う。

それと英語の興味に加え、歴史認識やライフスタイルの違いを知らされるなど、隠された見所も随所にちりばめられていたから、映画を通したアメリカへの憧れは強かった時代だ。

それに映画は主観的に見るものだから、答えはひとつではなく、ランクづけできるものでもない。
だから、記憶に残る名場面は人それぞれ違うのはあたりまえだし、人生の何たるを説くまでもない。

何かあるとすれば、自分に刻まれた名場面の記憶は、永遠に色あせないことだろう。

今の時季なら、79年公開 「ロッキー2」 の 「動物園でのプロポーズ」 シーンが思い浮かぶ。
そのシーンに耳を澄ますと、教会の鐘の音 遠くの汽笛音 野鳥の鳴き声 雪道の足音 衣すれの音 緊張した吐息 など、聞き逃しそうなディティールが映像を後押ししている。

実感が伝わるこの場面、まるで冬が二人を祝福しているかの 「ボクが選んだ名シーン」 のひとつだ。
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2015年05月27日

DVD マガジン

今朝の朝刊で 「探偵物語」 をはじめ、松田優作が主演した作品の 「DVDマガジン」 が、順次に発売されることを知り、早速書店で創刊号を手にした。

注目記事は、未亡人である女優 「熊谷美由紀」 長年のパートナーだった脚本家 「丸山昇一」 彼がプライベートで身を寄せていた、ジャズバーのマスター 「大木雄高」 が、述懐対談するところ。

しかも、家庭 仕事 私生活 の3方向から、彼と多くの時間を共有した三人が時を越えて語るから、   ますます、松田優作の人間像が浮き彫りとなる。

正直、この手の企画は、しぼりかすみたいなヨタ話を、クローズアップされやすいんだ。 
だが、進行役の導き方次第によっては、新たなエピソードが生まれたり、整理がついたからこその語彙 (ごい) が飛び出したりするから、変わった 「デジャ・ブ」 を感じさせるときもある。

「コレクションシリーズ」 は、全く興味がなかったけど、性格は自由奔放だが、生き方には哲学をもち、仲間を大切にする、そんな 「工藤ちゃん」 をなんかさ…   もう一度、見たくなっちゃった。
この機会に、収集しようかな。

探偵物語は35年前のドラマなんだよね…  オレ、中学三年生だったけど、その存在は色あせないね。
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2015年05月10日

おふくろ

ボクらの世代、人気テレビ番組と言えば 「太陽にほえろ」

新人刑事の成長を同時に描く、ヒューマンドラマであった。
中でも 「マカロニ」 (萩原健一) 「ジーパン」 (松田優作) 「テキサス」 (勝野洋) ぐらいまで夢中で次第に番組から遠ざかったと思える。

3人に共通していることは 「殉職シーン」 で、それも皆まちまちだった。
「ジーパン」 は、シンコとの結婚を前にして、裏切りの銃弾に撃たれ、夕焼けの廃墟で寂しく逝った。
「テキサス」 も、銃弾に撃たれ、遠のく意識の中、刑事仲間に囲まれて逝った。

リアリティーあったのが、ショーケンこと、萩原健一が演じた 「マカロニ」
事件が解決後の帰宅途中、夜中にこっそり立ち小便をして振り返ったら、事件や怨恨とは全く無関係の通り魔に襲われたんだから、まさに孤独な犬死である。
本人いわく 「人が死ぬときはカッコつけていられない」 と。

マカロニとジーパン、ふたりの殉職シーンに共通していたのは 「おふくろ」 の存在。
マカロニは、最後に小さな声で 「かあちゃん」 とつぶやいた。
ジーパンも薄れる意識の中で 「おふくろ」 がよぎっていた。
生い立ちを、感じられる。

彼らが疾走した大都会は、高度成長期、真っ只中の東京の新宿。
男には 「望郷の念」 とりわけ 「おふくろ」 へは、造詣深いものがある。

5月10日 「母の日」 に投稿。
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2015年04月27日

野生時代

昭和49年 8月某日 金曜夜 …  その時刻は、きっと 「8時48分」 ころであろう。

小学4年生だったボクは、テレビの前で上下純白のデニムを鮮血にそめ 「なんじゃこりゃー!」 と叫ぶジーパン刑事の姿に呆然としていた。

先日、部屋を整理していたら、薄汚れたビデオテープが出てきた。
インデックスには 「ジーパンとシンコ、その愛と死」 と油性マジックで書かれていた。
そのままデッキで再生すると、新宿を疾走する24歳のジーパンこと、松田優作の若き姿が現れた。

人気テレビ番組 「太陽にほえろ」 ジーパン刑事が殉職する回の録画テープである。
あらすじは、同僚のシンコと婚約を決めたものの、一方では暴力団がらみの凶悪事件も抱えていた。
ヤマが動き出したときには援護が間にあわず、ひとりで暴力団と廃墟の中で銃撃戦をすることとなり、   ジーパンだけに助けを乞う、チンピラ青年を命からがら救い出したのだが…   やつは裏切った!

命の恩人であるジーパンに銃口を発射して、そのまま逃げ出してしまったのだ。
ジーパンは、なにがおきたかわからぬまま、逃げる青年の後ろ姿に 「待ってくれ」 と声をかけ続ける。
正気になったとき 「オレは死ぬのか…」 と泣きながら、失意のまま孤独に逝ってしまう。
ボクは子ども心に 「あの男、裏切ったんだ」 と思い、ジーパンが殺されたショックに震えた。

過去、何度も 「松田優作」 について書いた。
角川映画のハードボイルド、探偵物語のコミカルさもいいが、ボクの中では、野性味あふれるジーパン刑事こそ、高度成長期の新宿が似合う、正義の青年像として目に焼きついている。

89年 病で亡くなる、数ヶ月前のトーク番組で、その殉職シーンをワイブで見ながらこう言った。
「若かったね…」    映画 「ブラックレイン」 の撮影を終えたばかりだったから、こうもとれる。
「まだ、青いな」 「ヘタだな」 「ああ、こんなときもあったなあ」 「がんばっていたね…」 と。
人知れずに闘病生活を続けながら、ハリウッド俳優を目前にした心境からすれば、達観的であろう。
しかし、まさか自分が病で死ぬとは思ってなかった、そんな節もあるんだ。

そう考えると、青春の飢えと乾きを味わった男ほど、一瞬の閃光が凄まじかった気がするし、あとから   その時間の貴重さを整理できるようになれば、大人の時間が味わい深いものになると思える。

男は後にスタイリッシュになっても、バンカラ風な青年だったときには、野生の魅力に満ちあふれており、その意味では、大都会を疾走するジーパン刑事は若者の魂を揺さぶった 「完璧な青春像」 なのだ。
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2014年11月19日

高倉 健

「高倉健」 が、運命を全うした。

俳優 「高倉健」 の魅力を語れるほど、作品は見ていないので、何とも言いがたい。
人間 「高倉健」 の魅力は、これまでに数多くの証言があるし、これからも語り継がれるだろう。

まず、あれだけの大スターなのに、その素顔は平凡な日常を大切にして、目上だろうが年下であろうが気づかいに長けて、気さくで偉ぶらない人柄が、人間としての厚みがあったとか。
これもきっと若いころから、仁侠映画の主演だったので、当然ファンの中には 「モノホン」 も雑じって いただろうから、自然と作法が身についたところもあるのだろう。

ヤクザは、矛盾した生き方だが、「仁義を切る」 「義理を重んじる」 など、われわれの一般社会よりも しっかりしているし、挨拶ひとつにしても、つべこべ言わせずに叩き込まれる。
それは、良くも悪くも力の世界で、どこぞの悪ガキであろうと、すぐにおとなしくなるほどだ。
男の世界では、長幼の序を守り、挨拶もロクにできなかったら、バカにされて相手にもされなくなる。

役柄、そういう世界との接点もあったから、好む好まざる、任侠を反面教師にせざる得なかったと思う。
それがバカスターなら、自分もヤクザの一員になったつもりになり、「虎の威を借りた姿」 をほのめかすだろうが、高倉健は姑息な生き方とは無縁な気がする。

僕より、ひとまわり半ほど上の世代には、健さんに憧れている人は結構いる。
真っ当に憧れた人なら、暴走老人のような、こっ恥かしい真似はしないだろう。

今は、象徴的なスターが不在だ。
「この人を手本にしたい」 とか 「この人を探りたい」 など、内面に興味を持たなくなった。
興味を持つとしたら、「ヘアースタイル」 に 「ファッション」 または 「しゃべり」 や 「ふるまい」 など、外見的なモノマネばかりで、内面的なスケール感に欠しいんだ。

若さの特権として、形から入るのは理解できる。
だけど 「似せた自分のかっこよさ」 にしか、目が向いてないから、薄っぺらい気がしてならない。
その意味で、高倉健の存在は、男の味わいがにじみ出た、貴重な役者のひとりだったと思える。

特別なファンでなかったけど、「幸せの黄色いハンカチ」 「鉄道員(ぽっぽや)」 は心に残った名作だ。
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2014年11月17日

明日の記憶

休日に妻とお寿司をつまみに出かけた。

大概、若いころは、相手に自分をわかってもらおうと、しゃべりすぎてしまうもの。
また、沈黙があると一緒にいて、つまらない人と思われるのがイヤなので、しゃべることを考えていたり。
だから、若いのである。

僕らぐらいの年齢になると、しゃべることを考えたりせず、沈黙に違和感を覚えなくなる。
言い換えれば、次第に空気で会話ができるようになり、手が合ってくるとでも言うのかな。
それでも、若いころは、「言わなきゃわからない」 で、そこそこの口論もしたけどね…

対面席、刺身の盛り合わせのあとに注文した、にぎりが十貫ずつ手元に並んでいる。
僕はアジやサバなどのヒカリやサーモンに食指がなく、妻はイクラの歯応えが苦手である。
この場合、何も言わなくても黙って、おたがいの苦手を交換し合えるあたりが歳月の証。

9年ほど前、日本映画 「明日の記憶」 を鑑賞したときの、オープニングシーンが印象に残っている。
「渡辺謙」 演じる、若年性認知症を患った夫、「樋口可南子」 演じる、献身的に夫を介護をする妻。
そんな夫婦がふたり並んで座り、無言で山あいの夕陽を眺めている、回想シーンから物語ははじまる。
見つめ合うわけでもなく、会話を交わすわけでもなく、ただ一緒に同じ方向の夕陽を眺めながら、     静かにたたずんでいるだけである。

本編を見たあと、熟年夫婦の絆を感じながらも、具体的な語意が出てこなかった。
なぜなら、そのときはその年齢ではないから、目をそらしておきたい胸中になるもの。

つまり、長年連れ添った夫婦にしかわからない、歳月に美学があるんだ。
夫婦生活は見返りや献身を求めることではなく、おたがいの変化から決して目を背けないことが、     在りかたなんだと思える。

オープニングシーンのメッセージが、ようやくわかったような気がした。
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2014年08月04日

木枯し紋次郎

時代劇に癒される年齢になってきた。

「こいつはただのクセってもんでさぁ」と、口の楊枝がヒューと鳴る…  あいつが、木枯し紋次郎だ!

BSの再放送で録りためていた、中村敦夫が演じるドラマ 「続・木枯し紋次郎」を少しずつ見ている。
もうすでに、第三シリーズ 「新・木枯し紋次郎」もはじまった。

彼の生き方、どういう経緯があり、なぜ無宿渡世人になったかは知らぬが、天涯孤独な哀愁が漂う。
ケンカの強さは筋金入りの評判だが、決してみっともないケンカはしない、本物のプライドをもつ。

紋次郎ほど、やさしい男はいない。
「あっしには、かかわりあいのないことでござんす」 と面倒を避けるが、コトと次第の本質を見抜いて、怒りの琴線に触れたときには、腰のドスを抜いて一歩も引かない男気がある。

人の人生に余計な口出しをしないかわりに、自分の人生にも口出しをさせない潔さがいい。
一見、渡世人の冷たさを感じるが、本当のやさしさには厳しさがともなっているもの。
つまり、やさしくされる人のためになる、本当のやさしさをもっているんだ。

木枯し紋次郎は、あるべき男の姿として、笹沢佐保が原作した劇画である。
時代も違えば、実在した人物でもないから、紋次郎像は十人十色であろう。
僕に男を語る資格はないんだけど、心がけ次第では憧れは手本にできるからね。

大人がアイドルの追っかけをすること自体、生きたいように生きているんだから否定しない。
だけど、紋次郎のように寡黙に仁義を重んじ、孤独な世界を知ることも見ていて損はない。
男は気が弱いから虚勢を張るのであり、抱くのは 「かくありたい自分」だから憧れるのである。

1972年 僕のヒーローは、仮面ライダーでも、少年ジャンプでもなく、木枯し紋次郎だった!

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2014年05月07日

ある精肉店のはなし

人間は生きるための手段として、動物に相当残酷なことをしている。

同時に子どもに、命の尊さを教えることもあまりしてこなかった。
なぜなら、大人が命を理解していなから、説明できるわけあるまい。

論より証拠で、宴会料理の食べ残しぶりを見れば、食肉の背景などに思いやりの欠片もないはず。
「給食やご飯は残さず食べなさい」と、教育している大人からして、外食先ではこのありさまだ。

現在、シネウインドで公開中の映画 「ある精肉店のはなし」を鑑賞してきた。
子どもに命の尊さを教えてやれる、質の高いドキュメンタリー映画である。
同時に、差別部落の人権問題にも焦点をあてられており、どちらにも重点をおける仕上がりでもある。

日本は見せない論理が強いが、見せる論理には何かと批判的になる。
その際、「かわいそう…」なんて言いかたはいけないし、同調する気はない。
それよりも、「人はどうやって生きているか」を教えたほうが、はるかにまともだと思える。

原始的な方法で殺める場面を見れば、誰だって辛い気持ちになる。
「じゃあ、食べないのか」と言えば、そういうわけにもいかない。
だけどあえて知ることで、やさしさを理解できる子どもに育ってくれるんじゃないかな。
そうじゃないと、命の本質がわかっていないんだから、人の痛みなんてわからんでしょ。
陰湿ないじめ問題の背景には、命の尊さや社会的な人権について、教え込まなかったからだと思う。

4年前、日本のイルカ漁を欧米論理で製作された、映画「コーヴ」とはまた違った一面をもつ。
命の扱い方を順序立てで教えることで、逆に偏見や差別はおきにくくなるだろう。
それに「食育教育」は、ある種の辛さがともなわなければ、原点を見失っている気がする。

「ある精肉店のはなし」
深い説得力をもちながら、見終えたら「ほのぼのと優しい気持ち」で、劇場をあとにできる秀作である。 
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2014年04月27日

ホームレス理事長

今、日本のドキュメンタリー映画がおもしろい。

27日 市民映画館「シネ・ウインド」で、「ホームレス理事長」(退学球児再生計画)を鑑賞してきた。
自分への営利を放棄して、自己犠牲の精神もないと、小さな組織は運営が難しいと思わせられた。

苦境に追い込まれた「NPO野球部」の運営費をまかなうためとはいえ、気持ちがつながらない人たちに頭を下げ続け、次々と覚悟という理想を打ち砕かれてもあきらめない理事長。
そんな内面の葛藤などおかまえなしに、容赦なく理詰めな言葉を浴びせまくるPTA。
僕が最後までわからなかったのは、彼をそれほどまで突き動かしている原動力だった。

主人公の理事長(44歳)は、かつては野球部の監督として、甲子園に出場したほどの指導者である。
何がどうあったかはわからぬが、途中退学した夢半ばの高校球児を集めてチームを立ち上げたもの、私財を投げ売ってまでの無策ぶりに困窮するドキュメンタリー映画。

商業性のない作品の中にこそ、衝撃的な真実が見えているもので、それら多くのことは知らなければ、または知らされようとしないことに動揺を強いられる。
本編、組織に従属した高所得者層が、関心を持つ映画ではないだろう。
だが、中小企業や個人事業主の経営者であれば、後半は生々しい資金繰りの場面が続くため、思わず途中で退席したくなるが、だれが理事長を責められるであろうか…

現実、道徳の次元だけで動いてないことも多い。

映画を観て、その都度記すことはないが、たまに万代の映画館へ駆け込み鑑賞してるんだ。
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2014年04月08日

Brack Rain

Tジョイ万代 「午前10時の映画祭」
7日、リバイバル上映された「ブラック・レイン」(89)を、25年ぶりに劇場で鑑賞してきた。

物語の本質は「男たちの哀しみ」を描いた作品である。
マイケル・ダグラス  アンディ・ガルシア  高倉健  松田優作  若山富三郎
豪華俳優陣が孤独を演じながら、それぞれの時代背景を思い浮かばせる。

戦中世代と戦後世代が対立した、ドス黒い価値観を持つ闘争劇である。
アメリカは敗戦国である日本に、一方的な価値観と文化を押しつけた。
日本人の美徳である、「長幼の序」を重んじることなく、行き過ぎた個人主義をまき散らした。

アメリカの言い分は、日本人は個性を持つ者を組織的に潰しにかかり、形式にこだわり過ぎる。
一丸になるということは、すなわち迎合せよということで、コトの本質を理解しようとしない。
所々の場面には、異国の「イデオロギー」が衝突する台詞や描写が多い。

しかし、最後はおたがいの文化的な儀礼を尊重し合えたことに、この映画の意義はあったと思う。
それにエンドロールで流れる、哀愁と情熱に満ちたバラード 「アイル・ビー・ホールディング・オン」が、 人間の業を叫んでいるようで、「男の情感」が押し寄せてくる。

個人的な欲を言えば、ニック(マイケル・ダグラス)に、「私の味方は私なの…」と言い放った、アメリカ人ホステス(ケイト・キャプショー)と、物言わぬ、佐藤(松田優作)の情婦ホステス(小野みゆき)。
罪悪感を持ちながら、惚れた男を援護した「女の心情」に興味があるけど、最後まで「謎の女心」のまま描き切れてなかったのが少し残念だった。

観なおしてわかった場面があったのは、感性は年齢や経験で変化するということか…
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