2019年12月25日

聖夜の幹事

24日 5年ぶりのクリスマスパーティー

長年の常連さまが企画し、ボックスだけのプチパーティー形式。
テーブルには、シャンパンとケーキ、チキンにサラダやオードブルなど、順を追ってところ狭し。
BGMは 「ティル・ブレナー」 「アニタ・ベイカー」 「寺井尚子」 などをおりまぜる。

料理は妻が担当し、仕込みは段取り八分、ケーキ以外は全て手作り。
この日のために、二週間ほど前から、あれこれと献立を考えていた。
僕は黒子として、さりげなく様子を見守り、ケアするのが性に合っている。
長年のパートナーなので、ささいなことで衝突することもなく、穏やかに仕事を進められる。

「5年ぶり」 には、理由もある。
妻の体調が芳しくなく、入退院を繰り返した時期があった。
表向きにそぶりは見せぬも、内心の感情は揺れ動いていた。
度重なりは 「ケース・バイ・ケース」 で、お客さんの愛情にも支えられて、今がある。

今回の女性幹事とは、長年ほどよい距離感で、いつまでも変わらぬ、常連客のひとり。

時の流れに代えると、そこに見えてくる心遣いに 「おかげさま」 の念は尽きない。

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2019年12月23日

僕の少年

世の中 「お揃い文化」 で生きていると、人の顔が同じように見えてならない。

いい顔とは、美顔や美形だけではない。
いい顔になるには、時間と経験を要し、自身の年齢を受け容れる潔さの気がする。

アイドル系は、見た目の華やかさ、気立てがいいから、アイドルでいられる。
その間、若さを手段にして、磨きをかけた子だけが、中高年になっても輝きを残せる。
若い魅力は 「男の子」 「女の子」 であっても 「大人の性」 ではない。

「子ども文化」 に慣らされた現代、子ども返りではない、少年への回帰が必要だ。
今までカッコいいとされた対象も、そろそろ考えないといけない時代になろうか。
人の顔が創られるというのは、年齢を重ねることを認識した人の証になるのかもね。

ただし、自分を粉飾せず、少年少女の心を忘れないのが、熟年の魅力になるのでは。

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2019年12月19日

お父さん

彼は 「新しい未来の訪れ」 を心待ちにしていた。

独身の頃から、結婚の意思を周囲に公言し、誠意のある出会いと別れを繰り返した。

その甲斐あり、晴れて結婚し、新居を構え、それまでとは違う気持ちで過ごすようになった。

口を開けば声がうわずり、黙っていても自然と笑みがこぼれる。

12月13日 45歳にして 「お父さん」 になった、長年の常連客である 「Sさん」

第一子の誕生、心から、おめでとう。

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2019年12月17日

脱忘年会

近年 若い社員の 「忘年会離れ」 が著しいと聞く。

その心情は理解できる。
僕もそうであったから。

上司の本当か嘘かわからない武勇伝を聞かされ、その独演会につきあわされる身になってごらんよ。
「今の若いのは」 「昔はこうで」  そんな枕詞からはじまり、延々と熱弁が繰り返される。
これじゃ、お刺身も乾いてしまうし、心の中では 「時代が違うよ」 と思われているのがオチ。
基本的に 「おしゃべり」 と 「会話」 は違うため、前者のタイプにつかまると大変なんだよ。

だけど、僕は参加したよ。
なぜなら、好き嫌いで場を避けていたら、会社活動にロスを生むから。
それに、会社の悩みのほとんどは人間関係で、結局はコミュニケーションの問題に行き着くもの。
どの道、接触を避けられないのであれば、苦手な相手と会話できるように、場慣れしておくべきだ。

ケータイ電話の普及により、意識は大きく変わった。
固定電話を介した、わずかな緊張感が薄れ、人との接触が選択的になってきた。
そうすると、自分と同質な人としか接触しないため、異質な人との接触が減ってしまう。
そこで、異質な人と出会うと、間合いのとり方がわからないため、余計にその溝を深めてしまう。
こうして、部下は上司と話せなくなり、上司は部下の話を聞けなくなり、おたがい 「対話音痴」 になる。

まずは 「席に着く」 (合わせること) からはじまる。
宴席のコミュニケーション技術なんてのは 「二の次」 でいい。
その代わり、二次会は身銭を切って、自由に遊んでくればいい。
金魚のフンみたいに、いつまでもついて回ることはしなくていい。
上司も部下を解放して、おたがいの趣向が合えば同行すればいい。

もう少し世代を越えて、年の瀬の忘年会ぐらいは、普通に笑ったり、普通に会話をできないのかな。
どうせなら、宴席に呼ばれる、可愛げのある人物になることも大事でさ。

同じ料理を取り分けて、酒を酌み交わして、気持ちが氷解することってあるんだよな。

http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/471972859.html ( 対話の席 )
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2019年12月15日

三越閉店

先日 夕方の県内ニュースで、来年3月に閉店する 「新潟三越」 を特集していた。

高度成長期、活況ある新潟の下町 (しもまち)は、個人商店が軒を列ね、地域社会を支え合っていた。
しかし、近くにスーパーができると、次第に個人商店には足が遠退き、それまでの人間関係が薄れた。
品揃いが豊富で安くて便利が理由で、事務的に買い物を済ませ、地域の営みや文化までも途絶えた。
それこそ、今の政治 「一強多弱」 に似た構図で、スーパーだけでなく、百貨店や量販店ができれば、資本力による 「弱肉強食」 となる。

長年、新潟三越は、新潟の中心部に 「上品な活況」 をもたらした。
だが、それがもとで、商売をたたまざる得なかった、個人商店も数知れず。
それが、今では三越をカタログショップにして、客はウインドショッピングしながら、家からネットで注文をしているんだから、もはや地域がうるおわなくなるのはあたりまえ。
この発想、スーパーの見切り品だけを買いに行くのと同じだし、駅前の立ち食いの行列と変わりない。

それでいて 「閉店は寂しい」 とか言い出し、閉店セールになるとひょっこり現れる。
外面は手編みのセーターの温もりがいいというも、内面は機械編みの安価なセーター狙いのようでさ。
だから、新潟三越が閉店しても、これまで 「どれだけの個人商店をつぶしてきたか」 を少し考えれば、時代背景による情緒的な寂しさはあっても、商業的な寂しさは 「嘘っぱち」 に思える。
世の中、そうそう寂しいことはないし、そもそも 「商売の寂しさ」 なんて知らないだろう。

寂しさの裏付けなく 「寂しさに酔う」 のは、一番かっこ悪い姿じゃん。
新潟はこの傾向が強く、新しいモノにはすぐに飛びつくが、どうせ飽きることを繰り返す。
その店へ行く気のない人ほど 「今度、行きます」 と、口当たりのいいセリフを吐くのと同じでさ。
商いをすればわかるが、本当に行く人は黙って行くし、それこそが 「精神的な誇り」 なんだよな。

これが、図星じゃないか。
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2019年12月14日

夜の指定席

「年末年始、何してる」

連夜 そんな声を耳にする、バーカウンター。
冬のボーナスも入り、長い人であれば9連休らしいが、僕のような凡人には、耐え難い長さである。
社会は 「働き方改革」 として、よりよい自由を拡充し、ゆとりを満喫できるよう、大きく舵を切った。

そのこと事態はいい。
だけど、長々と休むより、仕事をしているときのほうが、自分らしくて楽しいと思う人も少なくはない。
何を隠そう、僕もそのひとりで、仕事の忙しさを不幸だと思ったことはない。

定年退職も同じようなもので、気力や能力もあるのに、自動的な仕組みで働ける場を得られなくなる。
人には個人差があるのに、定年退職はバカげた制度だと思うし、それを説くのが面倒なので、退職金を出すから、これで解決してくれという見方もできなくはない。

人は矛盾を抱えている。
「暇になると、忙しいほうがいい」 「冬になれば、夏がいい」 「所帯を持てば、独身がいい」 と言う。
つまり 「借りた傘も、雨が上がれば邪魔になる」 あの矛盾だよ。

これまで、カウンターでお客さんを見てきた。
値段が高そうだ、雰囲気がなじめないなど、経験不足な不安を抱えて、おちつきのない姿ほど暇な人。
忙しい人ほど、その合間を縫って過ごす、酸いも甘いも噛分けた、おちついた姿がそこにあるものだ。

バーは寂しげな雰囲気のない、大人の孤独力が集まる 「夜の指定席」 Reserved seat でもある。
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2019年12月07日

無縁社会

ある日 買い物から戻ると、妻がこう言った。

どこそこで 「ひとり暮らしの高齢者が、家の中で遺体で見つかった」 と、いわゆる 「孤独死」 である。
発見まで数週間経過し、部屋には買いだめした食料品の山があり 「男やもめ」 の孤独な生活ぶりに、僕も 「同じ道を歩きかねないな」 と思わされる。
はたして、家族や友人、近隣との交流、顔の通じる店は在ったのであろうか。

孤独死の背景を思いおこすには、こんな理由がある。
7年前、店の常連客が警察立ち合いの下、自宅で死後数週間の状態で発見された。
ひとり暮らしの初老で、人つきあいに偏りがあった上、地域社会にも背を向けていた。

その一年半ほど前、休日の出来事。
当の本人から 「脳出血をおこしたらしく、倒れて身動きができない」 との電話連絡を受けた。
救急隊より一足早くかけつけたが、自宅の玄関が施錠されているため、中に入るのを手間どったもの、無事に応急処置をしてもらい、救急搬送に付き添ったことがある。

あのときもこうだった。
家の中は足の踏み場もないほど乱雑で、近隣の人間関係も薄れた雰囲気があった。
集中治療の後、数日間の入院を余儀なくされたのに、家族への連絡を拒んだため、僕がつなぎ役として医師の説明を受けて、一時の身元保証人となり、その夜は事なきを得た。
入院してからは、知人のバーテンダーが買い出しや洗濯など、身の回りの世話を行い、本人行きつけの店のオーナーと連携しながら、つながりを失った 「孤独な生活の影」 を感じた。

これが 「無縁社会」 の現実。
僕も人生の折り返し地点を過ぎているので、もはや他人事ではない。
それこそ、最近話題の 「人生会議」 ではないが、話し合っておく必要も、遠からず見えてくる。

そのとき、どうするか。
孤独に強くなれば、それに越したことないが、僕は 「自分の弱さ」 を知っている。
一過去、妻の大病で実感したし、ひとりで生きていくことに、耐えうる自信もない。
老いて自分は弱いことを自覚し、もし独りになったら、人に 「頼る勇気」 も必要となる。

晩年をつかさどる意味で 「人は思っているほど、人に冷たくはない」 性善説も大事なのでは。
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2019年12月04日

Fifty Five

12月4日 誕生日を迎え 「55歳」 になった。

1964年 (昭和39年) 生まれの主なる出来事は 「東京オリンピック開催」 「東海道新幹線開通」 「新潟地震」 であろうか。

育った時代は 「高度成長期」 真っ盛り。
幼少期は東京で育ち、少年期は新潟で過ごす。
新宿に超高層ビルが建設される前の風景を記憶し、新潟では防波堤に腰をかけて、目の前をゆっくりと横切る大型船を眺めていた。
その時代を象徴する、アイドルや流行などに興味を示さず、独自の青春を歩んだような気もする。

成人式を迎えた 1985年 (昭和60年)
「暴力団抗争の過熱」 「純金詐欺事件」 「日航機墜落事件」 と激動の年だった。
「阪神タイガース初優勝」 も、記憶に鮮明だ。

翌 1986年 (昭和61年) 「バブル景気」 1991年 (平成3年) 「バブル崩壊」
当時、所属していた会社は、社員に景気を還元せず、経営陣の脱税事件で、一躍全国ニュースになる。
「ひたすら真面目にやってきたのに、国税局の査察に応じなきゃいけないのか」 会社に憤慨しながら、将来ある若手は都会で路頭に迷い、信じた組織の断末魔を至近距離で見た。

景気の見返りは得られずも、内なる邪に手をそめなかったし、バブルに影響されずに生きたとは思う。
その後、転職で経験を活かし、新しいやりがいの中、狂乱時代の反動なのか、清貧な生き方に憧れた。
本音は35歳で脱サラし、30年構想の事業をしたかったが、やるやらないは勇気のあるなしではない。
親の介護など、現実的な問題に直面し、サラリーマンは辞められなかった。

昔から、気の合う仲間は、どこか出世コースからはずれているが、周りから一目置かれているタイプ。
自身、体育会系でありながらも、だれとでもつるむタイプではなく、個を重んじ 「人は人、俺は俺」 で、親分と子分の関係は好まず、上司を恩師として慕い、部下を弟子に重きをおいた。
感受性が育つ頃、転校生だったこともあり、どこかポツンとしてる人を見ると、別の感情が生じるのは、新潟の下町 (しもまち) という、ヤンチャな環境で育った、連帯意識の名残りかも知れない。

まあ、人生55年も生きれば本望だし、この程度の人生なら良しとしておかねば、罰が当たる。
あまり、先のことは考えすぎず、これからも軽いノリと笑顔に包まれて、人生を楽しみたいね。

おお、そうだ、55歳からのイオンの特典 「GGカード」 に加入せねば 😃

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2019年12月03日

対話の席

空を見あげれば、すっかり冬の空である。

街の空気が張り詰める中、会社の忘年会は余興のひとつ。
忘年会の 「忘」 のつくりは、心を亡くすと書くほど、せわしない意味もあろう。
その中で、一年をねぎらう、全員参加の宴席を 「うとましがる人」 もいるようだ。

友だちと会う約束やデートなど、会社の忘年会の日に予定を入れるのも 「心そこにあらず」 で寂しい気もするし、二次会は強制しないから、会社行事として乾杯は着座するのが 「帰属意識」 でさ。
そうでないと、チームを組んでいる実感がわかないし、その上で、二次会の判断をすればいい。

中間管理職になれば 「顔の利く店」 の一軒はあるもの。
上司は懐を見せることも、若手は懐に飛びこむことも 「打ち解けた態度を見せる」 のも大事なこと。
どこかボタンをかけ違えたままのズレを修復せず、調和できないままで年を越すのもなんだかな。

忘年会は、その年の苦労を忘れるためであり、おたがい 「水に流そう」 という、和解の場でもある。
また 「対話の席」 としての機能をあわせもつ、本来は絶好の場なんだけどね。
僕からすれば 「もったいないなあ」 という感覚があるよ。

年の瀬に何を想う。
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2019年11月24日

深夜再会

日付が切り替わった、24日 深夜0時20分。

87年 空前のビリヤードブーム。
その立役者である 「長矢賢治」 プロが仕事で新潟入りし、その夜 「30年ぶり」 に、店で再会した。

御年 「72歳」 長矢プロ。
当時から、仕事はハスラー、遊びもハスラー、自他ともに認めるトッププレイヤー。
その華あるプレイスタイルで、今も軽やかなノリで好きなことをやっている印象。
「楽しくなければ意味がない」 をポリシーに、人懐こい笑顔で当時のブームを語る。

出会いは、新宿に本社を置き、新潟市の東堀 「ウィズビル」 に進出した 「プールバー」
僕が店の 「マネージャー」 で、長矢氏は全国を縦断していた 「専属プロ」 のビジネスパートナー。
今回、引き合わせてくれた人が、当時 「インストラクター」 をお願いしていた、新潟市在住のNさん。
あの頃、それぞれの年齢と立場で、純粋にビリヤードブームを牽引した、三者三様の相関図。

当時、どんなことを思い、何を大切にして、どう向き合っていたのか。
個々の立場で語り口は異なり 「こう見えていたのか」 と、新たな発見もあったりする。
過去を振り返るのは潔しとしないが、歩んだ道のりに 「思い出の宝がある」 ことを気づかされる。

あの頃、オレ 「22歳」 だったが、こうして時の人と交われたことに、よろこびを感じた夜だった。
(添付画像の前半は山内プロ、後半に長矢プロ本人が出演した、当時の人気番組)

 
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2019年11月22日

いい夫婦

11月22日 語呂合わせで 「いい夫婦」 の日だとか。

そもそも、いい夫婦とは、どういう夫婦なんだろうか。
それは、目指す場所ではなく、つかず離れずで 「歩を進めているだけのこと」 ではないだろうか。

夫婦は、すべて相性がいいわけではなく、大なり小なりの相性が合えばいいと思う。
おたがいの趣向を認め、一定の距離を大切にし、喜怒哀楽を分かち合い、日常を楽しく過ごせる関係。
つけ加えれば、個人主義でありながら、価値観を認め合い、協力し合えるのが夫婦の在り方。
もちろん、完璧な夫婦など存在しない。

こんな、エピソードを知る。
一昨年12月、元プロ野球監督 「野村克也」 の妻である 「沙知代」 が死去した。
77年 南海ホークスの監督兼正捕手 (プレイングマネージャー) だったころ、成績不振ならともかく、球団から解任を告げられたという。
解任の理由は、妻子ある立場でありながら、沙知代と同棲をはじめた、野村の私生活が問題視された。

解任までの間、後援会長に呼ばれ 「野球をとるか、女をとるか、ここで決めろ」 と詰問された。
当時 42歳、野村は 「女をとる」 と即答し、その理由をこう明かした。
「仕事はいくらでもあるが、彼女 (沙知代) は、ひとりしかいない」 と、時の地位よりも愛を選んだ。

夫婦に 「答えらしきもの」 があるとしたら、これなんじゃないか。

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2019年11月21日

第三木曜

前ほど 「ボジョレー」 と騒ぐことのなくなった、解禁日となる第三木曜日。

自身 「ウイスキー党」 なので、ワインとは遠い距離にある。
TPO上、気軽にたしなむもの、コレといって好きなラベルもなく、雰囲気を楽しむような感じ。

軽く語れば、赤よりも白、ロゼが好きだ。
それも、辛口の 「シャルドネ」 を好み、30代 「シェリー酒」 を愛飲していた時期もあった。

僕の場合、ワインリストを旅せず、ラベルのおちつきは早い方。
あえて、赤を語れば、渋みが少なく、フルーティーな口当たりを好むぐらいで 「ビギナーズ・ワイン」 で十分だし、マリアージュ (料理) も、ざっくりと肉か魚かで、組み合わせも無頓着。

それに歯止めの効かない 「ワイン談議」 は、ヤボの極みであるし、ウイスキー同様に楽しい会話で、気さくに明るく飲むことがモットー。

先週、女性客から、山形県産ワイン 「ソレイユ・ルパン」 (だったっけな) を、旅の土産にごちそうになったが、舌は堪能できた。

今夜、店に 「クリスマスツリー」 をセットした。 (ワインに合う音楽なら I Need You なんてどうよ)

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2019年11月17日

大人バー

16日 女優 「沢尻エリカ」 が、麻薬取締法違反の疑いで逮捕された。

数々のドラマや映画で可憐な役を演じ、そのわがままぶりも個性として、オブラートに包まれてたほど、芸能界斬っての金の卵だった。
別にファンでもないのでどうでもいいが、警察は早い段階から、マークしていたと思われる。
だいぶ前にも 「マンモスのりピー」 とかいう、好感度の高いアイドルが、渋谷の路上で捕まった。
その入手ルート、舞台となりやすいのが、若者が集う 「クラブ」 という場所。

自身、昔そういう場所に、好むと好まざるにかかわらず 「仕事」 で縁があった。
薬物疑惑の人間は、絶えず落ち着きがなく、感情の起伏も激しく、目が笑ってない。
逆に、売人と思しき連中はそわそわしながら、顔を覚えられたくないから、目を合わせようとしない。
店と怪しき客との攻防戦もあったが、地域と連携した警察の目はごまかせない。

人は楽しむために生きている。
クラブで若さを発散したり、お酒を交わして人と交流したりすることはいいことだ。
明日への活力となり、今まで興味のなかったものにも興味を持てて、楽しみ方も広がる。
それが若さで、紙一重で危険な誘惑も多いが、認識力を高めれば、動揺する必要もない。
そもそも、遊びは粋でなければいけないので、好奇心で手を出すのは、愚の骨頂であってさ。

今回、入手ルートは特定されてないが、こういうことがあると、業界全体が色眼鏡で見られる。
その多くは飲食店関連、業種はバー・クラブなどが密集する、夜の街が舞台になりやすい。
だから、バーという商いは、どんな場所よりも 「安心で安全」 であらねばならない。

バーは、文化である。
キナ臭い話はご法度だし、そういう会話にかぶれている店の雰囲気は、ストレスの温床となる。
夜のやすらぎと娯楽を提供する仕事ほど、自分は番人役に徹してないと、夜の仕事は務まらない。

そういう意味では、当店は客層に恵まれている。
酒という嗜好品で、他人に迷惑をかけることなく、純粋に楽しむルールをわかってもらっている。

バーの敷居は年齢ではなく、内面の敷居で豊かに過ごす 「大人のバー」 であると思っている。
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2019年11月16日

男らしさ

最近は 「人の命」 を、軽くあつかいすぎる事件が多すぎる。

15日、新潟駅前の雑居ビルで20歳の女性店員が、25歳の男に刃物で殺害される事件が起きた。
若い二人に何があったか知らないが、命のやりとりまでするほどのことはなかったであろう。

子どもの虐待事件も同じだ。
男は何があろうと、女や子ども、老人に手を上げてはいけないし、殺めるなど言語道断。
それは、男に 「プライド」 がなくなったからだ。

あんまり、世間が男女平等みたいなことをいいすぎて、そのうち、男が勘違いをはじめた。
「弱い者には、手を出さない」 そんな守るべくして、あたりまえの男らしさを失った。
僕の世代、女の子から 「男らしくない」 といわれたら、男を否定されたようで、悔しかったもん。

それは 「腕っぷしの強さ」 ではない。
「オレは、そういうことはしないんだ」 という、自分への戒律 (かいりつ) のようなもの。
だから、子どもには手を上げない、女に平手打ちをされても打ち返さないのが、男のこだわりでさ。

今どきの若者に 「男らしくしろ」 というと、理屈をこねられるかもしれない。
それもこれも、男が毅然とした態度をしてこなかったツケが回り、心が痩せた証拠だと思うよ。
「男らしく」 は大事で、自分に掟がなければ、内面は幼児化のまま、外見だけを取り繕うようになる。

いじめ、作為的な悪ふざけもそうだ。
そもそも、男がどこかの段階で、大人のプライドをもてば、そういう痛ましい事件は起きないわけだ。

それは男だけでなく、女にもいえることで 「女らしく」 も、性別上のプライドだと思うね。
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2019年11月13日

土の匂い

今週、複数の親しきお客さんから、柿や梨、ニンジンに紫タマネギ、トマトなど、秋の彩りをいただいた。

農家の方もいれば、ご自宅の庭木で菜園した人、近隣のおすそわけなど、優しさに触れた実りの秋。
柿の表面には、少々の泥や傷もついており、土にまみれて収穫をした、人の心ある姿が思い浮かぶ。

何か返礼をと思うが 「いや、そういうつもりじゃないから」 と、そこに見えてくる 「心づかい」 に、一の不純なるものを含まない人情味を感じる。

食べきれる量ではないので、おすそわけのおすそわけながら、食べるというのはどういうことなのか。
そんな、根源的な 「土の匂い」 を、振り分けていきたい。

秋に限らず、これまでの情も含めて、この場を借りてお礼申し上げます。
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2019年11月08日

家庭料理

来春 「ミシュランガイド新潟版」 が、出版されるという。
今も秘かに、覆面調査員が飲食店に潜入して、格付けチェック中なんだとか。

食の充実は 「人生の充実」 でもある。
だが、人は個性が違うように、それぞれの感受性も異なる。
何をどう味わおうが自由だし、それをどう解釈するかも、個人の判断によるもの。

僕は、おいしい店を探してまで列に並んだり、予約をしてまで食べたいとは思わない。
また 「食べに行かねば損」 「流行に乗り遅れる」 「一人でも多く人に食の楽しさを伝えねば」 など、不要な使命感に燃えないのは 「家庭料理」 が、一番美味しいと思っているから。

食事へ出かけて、店に文句を言ったこともない。
それは 「自分に合わなかった」 だけで、気に入らなければ、次から行かなきゃいいだけのこと。
文句を言うような店を選んだのは、自分の判断と直感であり、言うとしたら衛生面のことで、それ以外は黙って食べるのが、作ってくれた人への礼儀だし、口に合わなきゃ残せばいいだけのこと。

食は個人の嗜好だから 「星の数」 も気にしない。
その前に、人様の経営に口出しをできる舌は持ち合わせていないし、僕にそんな資格もない。
卑屈ではなく、情報に群がって、すがりつくばかりの味覚や感性にいい加減、辟易したのも理由にある。
だから、自分の舌で判断した味覚と品質、接客や雰囲気、自身の経験こそ 「ミシュランガイド」 でさ。

グルメっぽいことを過剰に言い出すと、次第に 「普通の食卓」 でさえ、屈辱的に思えてくるもの。
見栄はキリがなく、結局あとから自分がツラくなるだけで 「虚勢の末路は見栄の上塗り」 となるから、堂々と気負わない自分を選択して、普通を宣言しても、いい年齢である。

その上で、たまには 「あの店に行ってみようか」 といえるのが、しなやかさで 「家庭料理」 に敬意を持てない舌が 「ミシュラン店」 で何を食べても、絶対に判断できないだろ (笑)

俺は古町の飲み屋で、これからの季節 「もつの煮込み」 をつまんでいるほうがいいや。
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2019年11月07日

日夜灯す

近所のコンビニが 「時短営業」 を試みて、2ヶ月は経とうか。

24時間営業を柱とする 「コンビニ業界の実情」 が、時代の浮き彫りとなっている。
経営は、人 モノ 金を資源にして、地域社会の役割と重要性を担うのが核心となる。

一方、それを担いながら、店では接客や作業、発注に納品、計数管理や人材教育まで行う。
オーナーは経営者であるが、実際は店長でシフトに加わり、率先垂範する主導的な立場となる。
ゆえに、人を効率的に使い、計画 実行 検討 行動 できねば、店長失格の烙印を押される。
報道にもあるように、店長の85%が週休1日以下、24時間態勢の連絡と非常勤を背負いながらも 「日夜灯りを消すことのない店」 で働いている。

FC経営は原則、年中無休、24時間営業、家族経営が契約条件となる。
そのため、一部の優良店を除けば、家庭に切実な事情を抱え込んだり、傍若無人な客によるトラブルが起きたり、これも24時間営業の実状で、人手不足が局面化されたら、一人に深刻な過重労働を招く。

東京在住時、住まいの近くに大手コンビニチェーン店があった。
ある日、夜勤で働くオーナーの奥様が涙ながらに 「こんなはずじゃなかった」 と嗚咽を洩らした。
最初、コンビニ経営に夢を抱いたが、現実的には24時間働き詰めとなり、どこにも行けない、だれとも会えない、家族ともすれ違いになり、盆も正月の団らんもない。
店を休めず、この生活がいつまで続くのか、疲労が不安を呼び、不安が神経を疲弊させる。
奥様は鏡に映した自身の顔に生気がなく、愕然としたとも語った。

なぜ 「見知らぬ客」 である僕に、こんな話を打ち明けたのかわからなかったが、こう解釈した。
26歳、そのコンビニ店を 「独身男の台所」 代わりに、ちょくちょく利用していた。
日々多忙なため、仕事を終えるのが深夜で、コンビニ弁当で食事を済ませることも多かった。
東京と云えど、深夜2時から4時までは客がまばらで、少し気を緩められたのであろう。
僕もいつしか 「深夜に来る一人客」 として認識をされ、接客用語が日常言葉でとり交わすまでとなり、小さな会話を通して、都会のうるおいを感じるようになった。
おたがい 「来るかな」 「居るかな」 そんな気持ちが氷解したものと思われる。

コンビニは一見決まりきった風景に見えても、舞台裏は喜怒哀楽があるもの。
24歳 「オレ、過労死するかも」 と思うほど、仕事をした経験があるので、その苦しみに共感できた。
90年代 CMのキャッチコピー 「24時間、戦えますか」 → 「バカ野郎、働けるわけねえだろう」
だけど一度ぐらい 「死ぬ気で働いてみなよ」 → 「死にゃしないから」 その言葉も実は大事なんだ。

資本主義である以上、利益追求はあたりまえ。
だが、その方法というのが、昔から 「理解に苦しむことばかり」 で、不都合なことほど報じられない。
あの時代、直談判に出向いても山は動かず、毎度、精神訓話される 「組織の習性」 が虚しかった。
30年後、ようやく時代に合った見直しを求める 「対話社会」 が前進しつつある。

今は僕も家族経営と変わらず、人に雇用されないだけで 「自分との契約書」 に基づいている。  
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2019年10月28日

若き疾走

今の50代の男性に比べ、同世代の女性は元気がよく、引きこもり知らずと思われる。

先週末、知人である同世代の女性客が、クラブ (昔風のミニディスコ) へ踊りに出かけたという。
肩を寄せ合うように 「ユーロービート」 「ブラック」 で、気軽に踊れる店は、まだ何軒かあるようだ。

僕の青春期、音楽が充実しており、大きな時流では 「ディスコ」 → 「カラオケ」 の全盛期。
「ライブハウス」 「カフェバー」 「プールバー」 など、時代産業を埋める業種も盛んだったが、最終的に安定産業として残ったのは 「カラオケ」 で、それも 「ボックス」 という、日本人らしい空間施設。
過去、それらを手がけた複数組織に在職していたので、あらゆるブームの幕開けと幕引きを経験した。

ディスコの場合、最初は人前で踊る客が少なく、しばらくは従業員を客に扮してまぎれこませ、フロアに誘導していたり、カラオケも似たようなもので、個々の客にお願いしては、歌ってもらっていた。
だれでもカラオケの一曲目は、照れて歌いづらいものだが、一度歌ってしまえば、緊張は解けるもの。
どちらにも共通していたことは、浸透させるまではコツで、それを維持させるのがもっと大変なんだ。

何事も盛り上げるためのセオリーはあるが、やっていることは泥臭くて涙ぐましいわけ。
それは、新潟の繁華街だけでなく、どこの地方都市でも、どうしても立ち上がりは遅い。
そのクセ、新しいもの好きで、すぐに飽きるのも特徴だから、土地に合う改良も必要となる。
こうして、夜が更けるにつれ、街に熱気が帯び、高度成長期からバブル期の残り香が漂った90年代。

導入期の詳細を、もう少し語る。
最初は足と指先で軽やかにリズムはとるが、なかなかフロアに出て踊ったり、ステージに立ってマイクを握る人が少なかったのは、うまい下手の 「心理的な不安」 が、取りのぞかれていないせいだ。
だから、従業員に 「わざと下手に歌って踊らせ」 お客さんに 「これなら、俺にもできそうだ」 と自信をもたせて、その重い腰を上げてもらい 「一曲歌えば、慣れて次の選曲をする」 先ほどの心理でさ。

僕も人並みに歌って、踊って、演奏し、癖にならずも 「若き疾走」 をした。
懐古趣味はないので、プレイバックはしない。
今の私生活、年齢相応に気の許せる仲間と、おちついて社交をするのが好きだ。

時代の流れを経験し、一貫して残ったのが 「ジャズ」 と 「ウイスキー」 「コーヒー」 でさ。

 
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2019年10月26日

頑張れ私

男性上司は決められた業務はそつないが、それ以外のことにはかかわろうとしない。

どこか傍観者を決めこみ、他の仕事はわずらわしいと思うタイプ。
ネチネチと細かいことを言われ、気づまりさせられるよりいいとは思うが、不満はそこではないらしい。
彼女が描いている 「理想と現実の上司像」 にギャップがあるようだ。

どこか哺乳類のような容姿は、暇さえあればスマホをいじり、人の話は上の空で報連相の概念もない。
スーツは量販店、音楽は学芸会のようなアイドルグループを好み、上には平身低頭、下には無関心。
安酒場で長っ尻の上、若い女性店員をかまいたがり、支払いになるとトイレに消える。
たまに二次会へ行くも、カラオケで人の歌に乗ることもなく、ここでもスマホいじり。

いやはや、女性は見ているものだ。
「私の上司です」 と紹介したくても 「風格のなさ」 にそんな気もおきないという。
「だから、一人で来るのか」 と親しみをこめると 「もう、やってられない」 と口元を結ぶ。

若いわりには、なかなか筋道を立てて、臨場感たっぷりに語れる、気立てのいい女性だ。
それに、とりとめのない出来事を言い流しているだけなので、僕もリラックスして聞き流せる。
そんなストレスを洗い流し、また明日になれば、颯爽と仕事をする切り替えの早さを感じる。

これがパワハラだろうが、言葉狩りであろうと構わんが 「がんばれ、私」 で、行け (笑)

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2019年10月24日

就業規律

年内の休日も、あと9日ほどか。

その半分を骨休みにして、残り半分はリフレッシュに充てたい。
また、紅葉などの季節を感じる風景の中で、心もなごませたい。

個人事業主は、休日が自由にとれると思われがちだが、とんでもない。
休日が多ければ、親しき人と時をわかちあえるが、どうにも休日がとれないので、叶わぬ行事もある。

店の営業日と営業時間は、お客さんとの契約であるため、予め告知した休日以外、簡単には休めない。
まして 「今日は気分が乗らないので休む」 ことはできないし、都合よく 「不定休」 にもできない。

僕自身が 「就業規律」 でもあるから、自由のようで自由がないのが、個人事業主の定め。
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