2020年03月14日

手打ち盃

今春 出会いと別れで人を敬う 「歓送迎会」 も小規模なものだ。

A社では、3人以上で、街へ出歩かないように通達されたり。
B社では、街には出歩かず、送別会は社内で簡単に済ませたり。
C社では、残業は一切させず、自宅と会社の直行直帰を促したり。
当然、オフィスビルの消灯は早く、ホテルの窓辺も同様に暗いまま。

バーは、グループ客を対象にしていないもの、至って静かだ。
その分、仲の良かった者が肩を並べ、心おきなく門出を交わせる場所となる。
異動や転勤は礼を重んじるべきで、後腐れのない 「手打ち盃」 のようなもの。

送別に優遇や不遇、栄転に左遷もなく、どんな人にも 「温かく接する」 のが大人対応。
相手を嗅ぎ分けて、役職優遇な 「おもてなし」 に取り入るのは、薄っぺらい腰巾着がすること。
権力の行方ばかりに目を向けず 「去りゆく人」 への見送り方で 「人となり」 が見えるものだ。

人はいづれ、見送られるときが、必ず来るんだからね。

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2020年03月08日

還暦の顔

僕にとって 「3月7日」 は、無視できない日である。

生きていれば、今年 「御年60歳」 になっていた、4年前までの常連客 「 N塚 」 さん。
重複するようなことは書かないが、どんな 「還暦の顔」 になっていただろうか。
この日を思い出さねば、これまで語ってきたことはウソになる。

長い間、忘れていたことまで含め、走馬灯のように記憶が過ぎていく。
彼を知る客も少なくなったが、僕と複数しか知らないから、その思いは貴重となる。

本当の命日は不明だが、事実を知った日を刻印にしている。
毎年、遺されたボトルの残量をワンショットで献杯。
僕が還暦を迎えたとき、彼のボトルは空となる。

感傷ではなく、敬意を示していきたい。

http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/434726637.html ( Ballantine’s 21 Year )

「 N塚 」 氏が、好きだった曲 「 Don’t Let Me Be Lonely Tonight 」

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2020年02月26日

人間教育

2週間ほど前のバラエティー番組で、こんな心理テストがあった。

「過去、一番怒られた人で、思いつく人はだれか」
正しくは 「叱られた人」 だろうが、頭に思い浮かんだ人は、20歳のときの会社上司。
当時、43歳の店長は4年前に亡くなったが、一宿一飯の恩義に晩年まで仁義は重んじた。
孤高な硬派だったので、ずる賢い敵も多かったが、情に厚くて、人に慕われる豪傑だった。

20歳の人生なんて、ルートのない山登りをするようなもの。
「船頭多くして、船は山に登る」  という言葉がある。
そんな上司が多かった中、僕がはぐれないように導き、大切な時期を守ってくれたようでね。

僅か一年だったが 「人間教育」 にも力を注いでもらい、若いささくれがとれた気がした。
「男」 を強調する人で 「おまえの男はこんなものか」 と団塊世代の独特な鼓舞が印象的だった。
社会を舐めていた、僕が初めて 「信頼できる保護者」 を見つけた、どこか父性を感じさせる人。
上司の奥さまとは、今も年賀状のやりとりの中で、あの頃を思い出すことがある。

心理テストの答えは 「今になって、一番自分が感謝している人物」 (人間教育された) だという。

http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/444273752.html ( 上司の死去 )
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2020年02月25日

交友関係

前日に誘いを受けて、既婚者の男女5人で小料理屋に集合した24日。

座敷で足を崩し、ビールで乾杯。
テーブルには、一品料理に刺身、焼き物、揚げ物と続く。
味覚を人物に例えれば、薄味もいれば、濃味もいるし、辛味に甘味、珍味と話題は広がる。
河岸を替えたハイカウンターでは、18歳未満禁止 「マル秘トーク」 炸裂。
夜は笑いに包まれて更けていく。

もう大勢で騒ぐこともなく、少人数で会話をわかちあい、サシで飲むことも珍しくない。
人と会えば視野も広がるし、会話とお酒はストレス解消になるから、明日への活力にもなる。
その点、女性の方が体力と好奇心があり、意外にもコミュニケーション能力が高くて器用だ。
男のようにくだらない見栄や嫉妬、名刺や年齢でしゃべらないから、どこかホッとするというか。
話に加わらないで、ただ聞いているだけでも寛げて、女性があたえてくれる 「今」 に身をおける。

偶然の道連れに過ぎないが、酸いも甘いも噛み分けた、50代の 「交友関係」 は素敵である。
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2020年02月24日

12th Anniversary

2月22日 開店 「12周年」 を迎えた。
十二支、または、小中高 「6+3+3=12年」 は、節目なる意識に重ねていた。

このブログも同じこと。
小学1年生の書き方と、小学6年生の卒業文集が同じでは、あまりにも進歩がなさすぎる。
受験を控えた中学3年生の考え方と、実社会や大学へ進学する高校3年生の考え方が同じであれば、これまた同じことで、僕は卒業アルバムを見返すタイプでもないから、過去を潔しとしない。
それに、青臭くて見れたものじゃないので、常に意識は今においてある。

店も同じこと。
歳月に喜怒哀楽あれ、過去の出来事にとらわれず、ただ前を向いて営業している。
そのためにも、自分が決めたルールは守ることを念頭に、歩み続けているだけ。
あたりまえのことでしかないが、そのあたりまえこそ険しく、当然、怠け心もある。
そういうときほど、お風呂でいう湯加減 「いいかげん」 な気持ちで乗り切るようにしている。

今さら、育ちがよくなったり、頭がよくなるわけはないから、愚直に前を向くしかないんだ。
そんな、愚直な日々につきあって頂いている、お客さんには心からの謝意を申し上げます。

Special Thanks    Y&M  Watabe

http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/473376991.html ( 自分の店 )

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2020年02月22日

面会謝絶

急性白血病で入院した、競泳 「池江璃花子」 が、闘病生活を終えた心境をテレビで語っていた。

昔、ガンは 「死を宣告された病」 だった。
今、医学の進歩により、本人の意思と手厚い医療の力で、生存率の見通しも高くなった。

「急性白血病」 で思い出すのが、小中高で同じ柔道部 (道場) の好敵手だった同級生。
同じ病を発症後、治療空しく 「16歳」 青春真っ只中で亡くなった。
三回忌、仏壇に焼香をお願いに行くと、闘病中の様子を聞くことができた。

入院先は 「新潟がんセンター」 で、当時は明訓高校の正面玄関が見える病室だった。
毎朝、窓越しから、同い年の生徒が登校する姿を見ては、人知れず泣いていたという。
その話を聞いたとき 「会えなくて、よかったのかも」 と、よぎった記憶がある。

在校中、少しでも励まそうと、部活帰りに先輩らと見舞いへ行くも 「面会謝絶」 で引き返したこと数回。
「そんなに悪いのか」 と重い足どりのまま、次に会ったのは、棺に横たわる安らかな死に顔だった。
もし、あの時に会っていたら、励みになっただろうが、みんなで帰った後、病室にひとり残された心境を思うと、逆に寂しい思いをさせたことになったのでは。

「このあと、みんなで古町で遊んで帰るのかな」 
そう思わせたら、見舞いに来る前以上に、孤独な気持ちにさせたかも知れない。
患者は敏感になっているから、見舞いが 「真意」 か 「形式」 か見抜いてしまうだろう。
もちろん、全員が真意で行ったが、手厚い気持ちで面会に行かないと、人を孤独にさせてしまう。

今になれば、あのときに会えればよかったのか、それとも会えず終いでよかったのか。
それはわからぬも 「命の尊さ」 を学んだことは事実。

40年前のことを思い出すのは、今も彼は僕の心の中で生きているんだと思う。
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2020年02月19日

人間関係

「 SNS  」 の交流をしない僕でさえ、世の中の狭さはつくづく感じる。

異なる場で出会った人が、身近でつながっていたり。

親しくもない人だったが、話すとウマが合っていたり。

人つきあいに基準こそあるが、年齢差にこだわらず、自然で純粋な関係だけが機能している。

四方八方、ムダに顔は広げないし、わかりやすい人と等身大の親しみが 「人間関係」 のコツか。
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2020年02月13日

煩悩診断

新潟市の健康診断を受診。

診断結果は来月だが、特に自覚症状はない。
痛風の原因となった尿酸値は、薬を服用せずに水分補給でまかない、半年間は発症していない。
身長に対して、理想体重はほど遠いが、特に摂生も意識していない。
これが、僕のいい加減さで、運動をしたり、食事を制限する努力は苦手だ。

病を頭でっかちに考えてない。
人は潜在的に感じる機能が備わっているため、肉体の変化を感じる賢さがあればいい。
「おかしいな」 「これぐらい大丈夫」 そんな判断の中で、肉体をコントロールをしている。

店のお客さんに、医療従事者の方がいる。
おかしなことに、患者に養生を勧める立場なのに、自分の健康には無頓着。
云わば 「医者の不養生」 でさ (笑)

また、お坊さんのように、善行的な立場であっても、時には酒や女に身を開放すると聞く。
荒行を乗り越えた先でも 「精進料理」 では、人間の自由を奪ってしまうんじゃないか。
知識や戒律など、あって不足はないが、それに縛られすぎると 「自由さえ閉塞的な気持ち」 になる。

人生も健康も 「煩悩の犬は追えども去らず」 (生きていれば不安はつきまとう) である。
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2020年02月10日

存在意義

来月閉店する、新潟三越での買い物も 「これが最後かな」 と思いながら、フロアを見て回る。

今はそれほど装いにこだわらないから、ひいきの専門店もなく、新しい店を開拓したい欲求もない。
これからは、買うモノを選り分けて 「すっきりとした暮らし」 を描いている。

値段で買ってもいいのは日用品、それも消耗品ぐらいで、循環しないモノは欲しがらない。
もともと物欲も少ないから 「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」 で、我慢もそれなりにできる。
後になって 「なんでこんなモノを欲しがったのか」 と、首を傾げるモノはだれにでもあろう。

こう書くと 「老い先、短い人生」 に思われるが、経験が 「足るを知る」 ようになる。
仕事と家庭、共感できる人間関係、リラックスできる場所があれば、ほとほと楽しく暮らせるもの。
モノに包まれて生きるより、自然体で交われる 「個性に包まれて生きたい」 と思うようになる。

寒い街角、肩を並べて歩き、立ち止まった信号で 「メシ、なに食べる」 と。
そう聞かれて 「なんでもいい」 と答えるようではダメだし、これが 「大人の手打ち」 となる。
ケンカの一つ二つしても、ほとぼりがさめたら、素直に交わせる人間関係は、お金じゃ買えないからね。

自分を粉飾する年齢ではないし、その分、気軽に純粋で生きられることが 「存在意義」 なのかも。
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2020年02月08日

大人の客

「ドライ・マティーニをシェークで」

そう言ったのは、映画 「007シリーズ」 の 「ジェームス・ボンド」 だったかな。
ダンディだけど気どらず、社交のうまさと笑顔のさわやかさに、男の余裕と色気が共存する。

カッコよくお酒をたしなむ姿に、コレといってイメージはないが、客が店の雰囲気を作るのは確かだ。
店を大切にしてくれる態度こそ、老若男女かかわらず 「店からも愛される客」 になる。

思いやりのある客は 「店の雰囲気に貢献できる客」 でありたいと思ってくれているもの。
どこに行っても渡り鳥のように 「常連崩れの客」 は 「ジェームス・ボンド」 にはなれない。

店にふさわしい客と思われれば、顔を忘れられることなく 「大人の客」 だけが、顔の利く場所となる。
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2020年02月02日

自分の店

僕をよく知る人は、商売っ気のなさを嘆く (笑)

街中で、古い知人と会うと挨拶がてら 「今、何してる」 とたずねられることがある。
その場合、だいたい 「小さな自営業」 と答えるだけで、具体的なことは言わない。
きっとわかってるが、合間を取り持つお約束の問いだし、興味があってのことではない。

10年ほど前のこと。
商業施設の通路で、僕を避けるかのように、白々しい動きで視界から消えた男がいた。
昔の仕事関係者だったが 「まあ、そんなもんだろう」 と気にも留めずに数週間後。
風の便りによれば 「彼は会社をリストラされたらしい」 と場面の理由が氷解した。

サラリーマンを辞めたら、つきあいのあった人たちの意外なもろさを垣間見た。
男は職業を失うと人目を避けるようになり、地位に恋々とした人ほど、頭の切り替えができない。
知り合いに 「今、何してる」 と聞かれて、何もしてない自分が屈辱なんだろう。

そもそも 「失う」 と 「捨てる」 は、根本的に違う。
「捨てた人間」 は、見栄や体裁がないから、道のど真ん中を歩ける。
職業の良しあし、肩書のあるなしでなく 「今の生き方を語れる」 のが、現実的だと思う。

僕は知り合いにも、自分から 「店をやってるから来て」 とは言わない。
それを言うと 「一度はつきあいで行かねば」 と気を重くさせるし、昔から 「今度」 と 「おばけ」 は、出たためしがないように、調子のいい口約束などいらず 「本人の意思」 で十分。
だいたい、バーは万人受けする業態でないから 「来れる」 「来れない」 はっきりするものだ。

生意気を言うようだが 「古巣に仕事をもらいに行く」 ようでは、人は成長しないと思う。
また、知人に営業を仕掛けるようでは、何のために独立したのか、裸一貫の意味も違ってくるだろうし、中途半端な姿勢でいると  「店をささえてくれるお客さん」 に集中できなくなる。
だから、素朴で誠実な人間関係に 「営業臭」 を振りまかないし、つきあいを見直すいい機会にもなる。

組織には組織のやり方もあるが 「会社の常識は社会の非常識」 でもある。
個人は個人で、人を追いかければ逃げるので 「利害関係」 で人を追いかけない。
商売っ気がないといわれるのは 「功利計算のできない男」 に思われているかもね (笑)

「自分の店」 の基準でいえば、自然体でいられる人間関係に重きを置く。
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2020年01月30日

他言無用

職業上の役得は、多くの人と会話できること。

それも、ノンジャンルでね。

男と女の話も多い。

もちろん 「他言無用」 だ。

どうして男は未練がましく、別れた女を振り返るのかな。

もう、彼女の心は、そこにはないのにね。

残念ながら、本気でやりなおせると思っている男は70%だ。
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2020年01月29日

Chan-B

数年前から、美しく年齢を重ねる 「アンチ・エイジング」 にとりつかれる女性が増えた。

顔のしわを伸ばしたり、ヒアルロン酸を注入したり、インプラントをしたり、お金もかかるらしい。
美魔女の意味を取り違える女性もいるが、外見を魅力的に変えることは、条件つきで共感はできる。
その条件、それなりの容姿を装っても、性格を含めた知性が下品だと、一瞬で幻滅してしまう。

内面は急に仕上がらず 「おばさん」 を意識した頃から、恋愛対象を相手に自然と培われていく。
外見をブランドで飾っても、内面がボロ雑巾では、伊勢丹の包装紙で、百円商品を包んでるようでさ。
若い頃の意識ほど 「今に出る」 から、外見にオロオロせず、良くも悪くも品が漂ってくるものだ。

若い頃は、見た目でチヤホヤされるので、内面のうるおいがないと 「それだけ」 でしかない。
年齢を重ねたとき、若さに代わる 「内面の美しさ」 がないと、どうしても魅力に欠けてしまう。
「おねえちゃん」 の進化は 「おばさん」 で、更なる進化が 「おばあちゃん」 なので、おばさん時代に内面の準備を怠ると 「老醜予備軍」 になるんだろうな。

男にも言えることで、飲み放題のウイスキーになるか、凛としたウイスキーになるか。
長年、いい土壌といい環境の中で、樽の原酒を熟成させると、後に味わいや風味に大きな差が出る。
人間も同じく、いい年齢のとりかたは、付け焼刃ではできず、時間をかけないと内面は生まれない。

残念なことに、女性は外見的な部分ばかり 「近視眼的な男」 に語られやすい。
しかし、男も女も同じで、年齢を重ねて仕上がった人の内面に触れると、惚れ惚れすることがある。
こればかりは、いくらアンチ・エイジングでお金を積もうが 「内面の雰囲気だけは作れない」 からね。

気安く 「おばあちゃん」 と呼ばせない、女の心意気で生きる 「 Chan-B 」 精神である。
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2020年01月28日

Chan-G Road

先週24日 「 Chan-G 」 のタイトルで 「おじいちゃん」 と呼ばれる抵抗感を書いた。

孫はいなくても、おじいちゃんと呼ばれるのは、いつ頃になるのか。
年齢、見た目、それとも、心の加齢臭が漂うころ。
肉体と精神のバランスも大きいだろう。

数年前、知人が経営する居酒屋で、ひとりで飲んでいたときのこと。
20代と思える男性客と隣り合わせになったので、努めて自然体で軽い雑談を交わしていた。
彼は、僕を 「おとうさん」 と呼ぶのだが、同時にある日突然、それまでの 「おにいさん」 から、始めて 「おじさん」 に呼び名が替わったときの 「戸惑い」 を思い出した。

子どもはいないので 「おとうさん」 の一人称には違和感がある。
便宜上と、見た目では、呼び名の意味合いも違い、若いと思っていても、それは周りが決めること。
そう呼ばれても余裕で甘んずるが、どうせなら 「ゴッドファーザー」 と命名されたいものだ。
どこか、名優 「マーロン・ブランド」 みたいで、カッコよくねえか (笑)

こうして、更なる 「 Chan-G Road 」 (おじいちゃんへの道) 第二章を静かに歩んでいる。 
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2020年01月24日

Chan-G

身の回り、若くに結婚した人も多く 「孫」 のいる人も少なくない。

趣味は 「孫の相手」 という人もいる。
しかし、孫の相手も今だけで、いづれ成長すれば相手にされなくなる。

僕は、抵抗あるなあ。
50代 「おじいちゃん」 「おばあちゃん」 を、早くに認めてしまったようでさ。
孫の相手に不満はないが、かすかなやすらぎの中に、どこか老いへの不安を感じているようでもある。

家族の習いは認めるも、好奇心で 「恋愛気分」 を楽しみたい年齢。
誰しも男で生きたいし、現実には叶わぬ 「秘めた恋」 のひとつもあるだろう。
20年前、世のおばさまが、韓流ドラマの 「ヨン様」 に夢中になった、心の恋と同じこと。
浮気は奨めないが、大人の世界 「心のときめき」 は生きていく上で、艶やかな気持ちになれる。

そういう気分がありながら 「おじいちゃん」 を、易々と受け容れたくない。
孫の世話が趣味と認めた時点で、茶系統の洋服で、旅の民芸品を集めるようになりそうでさ。
こうなると、枯れ木のようにすすけて見えてしまい 「渋い」 ならぬ 「枯れる」 になる。

仮に孫がいても、気安く 「おじいちゃん」 とは呼ばせない。
ちゃんはちゃんでも、ファーストネームのちゃんずけで 「昭和のニックネーム」 のようなもの。

昔のジャズメンが 「逆さ言葉」 を楽しんだように、俺は 「ちゃんじい」 (Chan-G) と呼ばせる。
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2020年01月05日

Best Friend

時節、新年会や同窓会など、大小の会合が開かれた様子だった。

程度こそあれ、つきあいは近さより、長さに重きがあるようだ。
環境によって、つきあいは変化するが、近くの存在でよそよそしくされるより、遠くても気にかけてくれる存在の方が 「気心は深い」 もの。

僕自身 「竹馬の友」 と 「良き戦友」 この二つがキーワードになり、長いつきあいが続いている。
毎回、会っても同じような話になるし、笑いのツボも似たようなものだが、過去の話を引っぱりだしても 「あんなこともあったね」 と過去を潔くしまえる関係。

会う会わぬより、自然と連絡をとり合う、合流地点のひとつが新年となる。
軽く顔を合わせても 「じゃあ、また来年会おう」 と、緩い約束を交わせる気楽さ。
高校時代、街中の交差点で別れて、おたがいに行先の違うバスに乗るような、青春の場面に似ている。

それは、お盆に暮れ、正月の度、猫がゴロゴロと集まるようなグループではない。
「あいつの顔を見たくなった」 「たまには声を聞きたい」 そんな 「心の気づき」 が相手を求める。
思い出巡りに会うのではなく 「年齢を重ねる素敵さを認識している相手」 と会いたくなるもの。

もうひとつのキーワードをいえば、男女問わず 「僕を好きだ」 と、肯定している相手だけでいい。
だれにでも、いい顔するつもりはないし、根に持つタイプに、あれこれと説明を施す気も時間もない。
早い話 「その話はおしまい」 それが通用しないなら 「これ以上、縁はねえな」 で、他とつきあう。

自然体でいられる 「好きな人」 と、会える時間を作るのが、これからの 「ベストフレンド」 になる。
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2020年01月04日

連続ドラマ

僕の中では、正月気分も3日まで。
その上で、正月にやり残したことは、5日に行う予定だ。

昨年から、仕事はじめを2日早く繰り上げた。
そのことで、ご常連の来店は 「年末組」 と 「年始組」 どちらかに趣を置かれている。
どちらも気軽な顔つなぎの挨拶ではあるが、今では何年も慣例行事にしているお顔も多い。
こうして、節目の顔合わせで 「心ほどける」 ものだ。

バーは、店内の薄暗さが影響しているのか、不思議と時間が止まっている錯覚をおこす場所。
一時停止された時計が、扉を開けた途端にまた動き出す、既視感 (デジャブ) を感じさせる空間。
感覚によっては、小さなタイムカプセルのようだから、ここでは心の 「不老長寿」 でいられる。
そこで、どんなメリットがあるか 「人間関係の損得」 を考えているようなタイプはダメである。

そこのマスターが健在であれば、バーとは何年も続く 「連続ドラマ」 だから。

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2020年01月02日

晩年の食卓

大晦日 本町で食品を買い出し、夜は師走の疲れを癒したく、自宅で除夜の鐘を感じていた。

例年、初詣は三が日を避ける。
参拝の混雑がいやなので、空いたころを見計らい、厳かな心もちで境内へ訪れるのが慣わし。
無神論者だが、所作は後世につなぐようにしている。

大晦日の夕方、スーパーのフードコートでは、高齢者が弁当と飲料で食事をする姿を多く見かけた。
だれもいない部屋で食事をするより、多くの人が集まる場所で、気持ちをまぎらわしたくなるのだろう。
そういえば、ひとりでおせちを手にする高齢者を見かけたり、晩年の個食はどこか寂しさが付きまとう。
その姿を孤独とは決めつけないが、人は人の中で安心を感じるのかも知れないね。

ひとり暮らしは、コインに表と裏があるように、気持ちのもち方にも、長所と短所がある。
普段は感じなくても、病気のときの心細さ、正月の人恋しさは避けられない。
その意味で、自由な生活を貫くのもいいけど、晩年こそ異性の友だちが満たしてくれる喜びを知れば、ひとり暮らしを充実させる切り札になると思える。

夫婦水入らず、大晦日の食卓で語り合ったこと。
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2019年12月31日

小さな抱負

「今年も年を越せたな」 (少しため息まじりで) 

サラリーマン時代、そんなこと思いもしなかった。
これが 「個人事業主の本音」 である。

景気は回復しているというが 「川下の商い」 には景況感は薄い。
小規模店は、少し目を離すとすぐになくなる一方、増えるのは大規模店と流行店だけ。
資金力が幅を効かせる時代、個人が店舗を構え 「単独開業」 するリスクはさらに高まる。

どうあがいても、小規模店 (プライベート店) は大規模店 (パブリック店) には太刀打ちできない。
経営格差は認めるも、個人店が考えるのは、大衆店にはできない 「特別感」 を提供することだろう。
つまり、自分なりのスペースが確保され、独創性ある 「くつろぎ空間」 のあるなしに行き着くかと思う。

生きていく上、時代の変化と年齢の衰えには、どうあがいても逆らえない。
それでも前を向いて、毎年のハードルをクリアすることが、店と客の 「長き共通性」 であると思える。

これが来年 「2020」 に向けた、小さなジャズバーの 「小さな抱負」 である。
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2019年12月30日

最終営業日

今夜 30日を最後に今年の営業を締める。

毎年12月は、走馬灯のようにお客さんの顔が思い浮かび、それにまつわるエピソードを思いおこす。
顧客のカルテは頭に収納されているので、少しのきっかけで 「一時停止」 が解かれ、当時の記憶が 「自動再生」 されてくる。

記憶に霧がかっている部分もあるが、バーは 「お客さんと空気を作る」 のが基本。
仰々しい会員制ではないが、顧客のお顔とカルテが 「会員制」 (名刺) のようなもの。
街場に顔が通用する、大人バー (隠れ家) の一軒ぐらいはあってもいいはず。

来年も日夜、看板を灯す。
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