2011年12月05日

銭湯の老木(1)

銭湯へ行く時間は、昼と夕方ごろの境目が多くなった。

目覚めのシャワーを浴びるのが日課なので、朝(昼)風呂代わりで気持ちも晴れる。
だが、日曜は結構混んでいることもあり、あまりのんびりと寛げないこともある。
そんな、入浴客の大半は初老だ。

湯船に浸かりながら、浴室全体を見渡して感じたことがある。
特に、70歳以上の高齢客は年季が入った、老木のようにも見えなくはない。
髪が葉なら、腕は枝、皮膚は幹の皮、足は根のようだ。
そんな金玉は、松ぼっくりのようにも見える。
そうか…  老いることは老木になること、それも松の木になるのである。

しかも、みんな寡黙で、動きもゆっくりだ。
それでいながら、目は輝いており、足を一歩一歩、着実に踏み出している。
何も語らぬ、初老の背中に、これまでの日本の歴史的背景を感じてしまう。
銭湯は寡黙な晩年の男たちに、無言の喜びを与えてくれる聖地なのである。

断っておくが…  わしゃ、じじ専のホモではないぞ!  (−_−メ)
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2011年11月24日

壁の向こう…

銭湯で女湯から、話し声や笑い声が響いてくると妙に寛げる。

男は、黙々と身体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かるだけ。
疲れを解しているときほど、しゃべらなくなるものだ。
気ままな雰囲気になるのは、脱衣場で過ごすときぐらいかな。

女は、晩飯のおかずや近所の噂話に興じては、何が可笑しいのか、けたたましい笑いが銭湯中に響く。
それを聞いて心地よくなるのは、女性が持つ周波数が耳に合っているのかな。
気が緩んでいるときの会話には、気疲れがないのがいい。

東京在住時、吉祥寺のレストランで、相方の女友達と僕を含む四人で食事をしたことがある。
挨拶もそこそこ、ここからはもう、女三人のトークショーだ。
その間、男ひとりの僕は、静かにワインを口にしながら、運ばれてきた料理に手をつけていた。
会話には加わらず、適当に相槌を打つと気を遣って振られるが、無理に割って入る自意識はない。
こういう空気であれば、女同士で会話をクリエイトしているのだから、放っておくに限る。
無理に男が女の会話に入ると、ありがた迷惑になるので、そこは融通を利かせる場面だと思っている。
こんな具合に女同士は、答えのいらない会話を、延々と回しあっていけるのが女だ。
男には、なかなかできない会話術なので、そばで聞いていると何か寛げるんだよね。
まあ、男は女の世界に割り込まず、聞きながら楽しむことである。
帰り道、相方から「あまり、しゃべらなかったね」と言われたが、「女湯に入れないよ…」と、内心思った。

そんな訳で、壁向こうから聞こえてくる井戸端会議は、銭湯で聴けるラジオ代わりになっている。
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2011年11月07日

銭湯の時間

6日、午前10時に起床して、13時まで店の会計を処理。
銭湯に行きたいが、朝から降り続く雨が一向に止まない。
14時過ぎにしびれを切らし、風呂桶を自転車の籠に入れ、少し雨にうたれながらも暖簾をくぐる。

ここからは、「銭湯での過ごし方」を公開しよう。
番台で、入浴券(湯快券)に百円を添え、猫を撫でてから脱衣場へ。
スポーツ新聞の見出しをながめてから、パッパ、パッパとスッポンポンになる。
かけ湯の後、湯船のフチに座って足湯をしてから、浴槽に浸かり、「うぃ〜」と唸る。
巻きで説明すると、髪を洗い、全身を擦り、髭を剃り、歯を磨く。
もう一度、浴槽に浸かりながら、全身の柔軟運動をして前半終了。

脱衣場に戻り、雑誌を読みながら涼む。
身体が冷えてきたら、浴槽に向い、無の心で湯に浸かる。
温まった身体で上がり、脱衣場で服を着ながら、だらだらと過ごす。
この風呂上りの穏やかな時間が、また何とも癒されるのである。
予定に押されてなければ、こんな具合に銭湯の時間を寛いでいる。

こうして、暖簾をあとに自転車で帰るのだが、全身を清め終わったような浮遊感が心地いい。
夜道なら、星空を見上げて暗がりを蛇行運転し、自然と口ずさむ歌が、ピンカラ兄弟 「女の操」。
「♪ あなたのために、守り通した、女の操。  ♪ いまさら、人に、捧げられないわ…」
銭湯に通い始めた子供の頃、テレビで耳にしていた、演歌のヒット曲が焼きついていると思われる。
歌詞の意味なんて、全くわからなかったくせに、ませたガキだった。

住む地域は変わっても、銭湯の至る所には、子供から大人になるとき、抱いていた気持ちがあるのだ。
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2011年06月06日

銭湯の神様

銭湯には神様がいる!

理不尽なことで怒られようが、言い方が横柄であろうが、番台で居眠りをしていようとも…
誰からも、何も言われない存在、その方こそ、番台のお婆さんである。
なぜ、銭湯の神様になるのか、今からその理由をご説明しよう。

番台のお婆さんは何十年もの間、もう何万本…いや、何十万本という男のチンボルを見て生きてきた。
見慣れているので、男に対する恥じらいは消えて、堂々と図々しくもなれる。
若い女が純情なのは、男のチンボルを見てないからであり、見慣れてくると勇ましくなるのと同じだ。

どんな男でも、女にチンボルを見られたら、全てを捧げて服従するしかない。
それを逆らってしまったら、チンボルを酷評されて、口コミで大笑いされてしまうからだ。
着衣とは強い存在であり、脱衣は弱い存在となる。

だから、番台のお婆さんは、「銭湯の神様」になれるのだ! (番台の猫は守護神だ)
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2011年01月17日

銭湯の定休日

16日、万代の流作場五差路にある、電子温度計がマイナスを表示していた。

雪で足元は不安定、突風も吹く悪天候でありながら、銭湯愛好家はこういう日こそ暖簾をくぐるのだ。
それから二時間後、湯船で「うぃ−」と唸りながら、昔の銭湯でのできごとを思い浮かべていた。

新宿で一人暮らしをしていた真冬の休日。
凍てつく寒さに耐え難く、住まいから徒歩8分ほどにある銭湯に向かった。
その時、わざと薄着になるのは、新宿の高層ビル風が吹きさらす、寒さに身を凍らせてから入る、お湯の極楽度は格別であるからだ。
そうして、少し遠回りしながら、極寒状態に追い込むこと、どこか南極観測基地の隊員気分である。
「ヨシッ、あのたばこ屋のカドを左に曲がったら、湯けむりに優しく包まれたお湯の楽園があるのだ」
う−ん寒い、もう耐えられない、身体の芯まで冷え切ってきた、だがあと少しの辛抱だ…ブルブルブル。
その寒さのせいで、風呂桶の石鹸箱もカタカタカタカタなりはじめた…ブルブル…カタカタ…ブルブル。
「着いた!」 目の前の暖簾をくぐろうとしたその時…  ブルブル…カタカタ…ブルブル…。

【本日定休日】  “ またのお越しをお待ちしております(店主) ”
その場で、「わっしょい!」と叫んで、ひっくり返ってしまった。

遠くて情けない記憶である… 銭湯の教訓 「定休日」はしっかりと確認しておくべし!
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2011年01月03日

福パンツ

2日、新聞休刊日だったので、久し振りにネットニュ−スを読んでいたら、目を引く記事があった。

広島にある某銭湯の正月初湯では、もう何十年も福袋ならず、「福ロッカ−」が定着しているという。
何でも脱衣場のロッカ−の中に、鏡餅やお酒やらが入っており、入浴客を楽しませているとのことだ。
そんな粋なニュ−スに感心しながら、二時間後の私は銭湯の暖簾をくぐっていた。

私がいつも使用するロッカ−は1番。
別に、世界の王貞治に憧れて選んでいる訳ではなく、単純に入口から一番近いだけのことだ。
昔から、使用番号や特定場所にこだわるタイプではないので、どこであろうとあまり構いはしない。
この日もたまたま、1番のロッカ−が空いていたので、使っただけのことなのだが…。

すると、とんでもないものがあったというか、とんでもない忘れ物があった。
それはどこからどう見ても、老人がはいていたと思われる、白いパンツが一枚はき忘れられていた。
その“しわくちゃ”加減からして、「これはずいぶん、はき込んだパンツじゃねえのか…」と思わせるほど、年期が入っていた代物であった。
私は何事も見なかったことにしながら、静かに扉を閉め、隣の4番ロッカ−を使わせてもらった。

新年早々「福ロッカ−」ならず、「福パンツ」とは恐れ入ったよ。  …ったく、パンツはき忘れんなよ!
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2010年12月27日

師走の銭湯

銭湯ネタはこれでもう、かれこれ4〜5回目位かな… 銭湯が好きなんだよね。

師走の銭湯は年の瀬の賑わいを感じる。
銭湯の客は大半が50歳〜60歳代であり、70歳代ともなると例外なく体に不自由さを抱えている。
それでいながら、銭湯の所作は慣れている様子である。
それに比べると、40歳代の私など、ここでの番付はせいぜい幕下あたりであろう。

脱衣所には、長年通っているような地元の常連筋も多く、あちこちから固有名詞が聞こえてくる。
地元の輪には加わらないが、新潟弁が飛び交う場所に身を置いてると、なぜか妙にホッと寛げる。
それは日本の高度成長期、朝から晩まで油まみれ泥まみれになって働き詰めだったと思われる、昭和のオヤジたちの寡黙な晩年の姿が息づいているからであろうか。

会員制スポ−ツジムのサウナに入って、胸元にアフタ−シェ−ブロ−ションをすりこんで、ドレッサ−の前で自分の上半身を映してニンマリしているような人には、この味わい深さは分からないんだろうな。
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2010年09月03日

銭湯へ行く理由…

新潟市の事業仕分けで、公共浴場補助制度が廃止と判定された。

その賛否は問わぬが、銭湯の番台で署名した者として、情緒的に一言。
昔から、銭湯・本屋・映画館は街の文化を象徴していた。
だが、新潟市民はいつもこうなんだ!

小手先の流行や利便性ばかりを求め、味わい深いものをいつもほったらかしにしている。
それがいざ、消え行くことになると、途端に「寂しい」などと言い出す始末だ。
今年の、[新潟大和デパ−ト]や[北光社書店]の閉店などは、最たる例である。
だいたい、近場に住む人ですら、郊外型のパワ−センタ−に出かけていた。
その言い分は、「欲しいと思うモノがない」「駐車場が不便」「一箇所で用事が済まない」とは聞くが、日常の生活範囲には頻度というものがあり、年がら年中同じ理由だとは到底考えられない。
ただ、近場の有効活用を知らないだけであろう。

つまり、新潟市民は新しいものにすがりつくだけで、文化に対して「冷たい」のだ。
それでいて、内面を悟られないよう、センチなことを言って対面を取り繕っている。
そういうことが、心にもないことだっていうの。
そう感じさせるのが、閉店ともなると今まで何年も行かなかった人達が押し寄せ、昔行った経験をまるで今でも行き続けているかのように、寂しさを語っている気がしてならない。
うそつけ! 閉店セ−ルで安いからだろう… そんなもんだって。
それを言うことが許される人は、たとえ頻度が低くても「利用している人の寂しい」であり、同じ寂しいでも、訳が違うのである。 (2009.10.15.参照)
そういうことが、キレイごとだっていうの。
なくなってからじゃ、遅いんだよ。

話を銭湯に戻すと、私は家風呂以外でも、古き昔ながらの銭湯へ行く。
この先、銭湯の補助金が廃止され、もしも銭湯の経営が立ち行かなくなったとしても、私の「寂しい」は、『利用者の寂しさ』であることは、自信を持って言える。
銭湯代金僅か¥390で味わえる文化を、次世代に残したいと思わないか!
若者も同世代だけでなく、たまには銭湯に出かけて50〜60歳代の年配の方々と、同じ湯けむりで過ごしてみなよ …そこには昭和の良き風物があるから。

私は街角文化が消えてほしくないから、銭湯へ行くのである。

自転車で小さな石鹸箱を“カタカタ”鳴らしながらね…
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2008年09月02日

銭湯は極楽

先週に続き、今度の夜は、町の銭湯に行ってきました。

自転車の籠に洗面用具、バスタオルを肩にかけサンダル履きの軽装。
番台に入浴料を払い、豪快に衣類を脱いで籠に放り込む。
入浴の心得を黙読し、黄色のケロリン桶で股間にお湯をかけて気合を入れる。
銭湯の絵画は欧州の森林と湖のモダンなタイル画である。
新潟はペンキ絵よりもタイル画が多い気がするのだが。
私の他に爺さんが1人、湯加減は38℃程で時期的に丁度よい。
燃料費が高騰しているので、お湯の無駄遣いは禁物だ。
半身浴でタイル画をぼんやり見ながら考え事で時を過ごす。
脱衣場の籐の椅子に腰掛けて、新聞を読んでから着込む。
牛乳でも飲もうかな…いや今日は帰ろう。
番台の婆さんに「いい湯でした」と声をかけるがいびきをかいて寝ていた…疲れているのかな?。
自転車を漕ぎながら夜星を見て明日の天気を予想する。

そんな変哲のない日常も感じ方次第で幸せな気分になれる。
ちなみに家にはちゃんと風呂はある! (声を大にして)
きっと、銭湯が好きだった下町小僧の名残なんでしょうかね。

目上への挨拶や会話は、自然と銭湯で養われたものだった。
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2008年08月25日

ス−パ−銭湯

「ス−パ−銭湯」から、深夜に帰宅した。

日曜の夜は子供連れの親が多く、明日からの仕事を思い浮かべつつ、週末の家族サ−ビスにいそしんでいるように見える。
子供達はあちこち動き回り、浴槽で泳いだり、洗面器の中に顔を入れて目をパチクリしていたり、時代が変わっても、やることに大差はない。
昔の狭い町銭湯では必ず名物じいさんがいて、「足を洗ってから入れ」「立ってシャワ−を浴びるな」などと、教育を受けたものである。
私の場合、「浴槽に肩までつかり50数えて校歌歌ってから出ろ」と言われたことがあった。
湯冷めしないように、という意味なのだろう。

次第に子供達のはしゃぐ声も遠のいていき、今度は深夜になるにつれて少々疲れ気味なおじさん達が入ってくる。
察するにサ−ビス業に従事している人であろうか。
浴槽のヘリに座ってぼんやりしていたり、露天風呂から夜空を見上げていたり、シャワ−を浴びたまま動かなかったり。
こうして、間接照明の薄暗い大浴場で、疲れた心身を無言で他人と分かち合っていながら、けして干渉しない異空間である。

町銭湯で育った者からすると、銭湯で知る人間関係の距離感が、薄いようで寂しい気もするが…。
古きを知り、新しきを知るって、このことかな。
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