2015年11月27日

いい風呂の日

日付は変わったが、26日は、語呂合わせで 「1126」 = 「いい風呂の日」 だったという。

そのため、公共浴場組合に加盟する銭湯では、ちょっとした特典があるとかないとか。

新潟の下町にあった 「星乃湯」 の壁には、こんな詩のポスターが貼られていたことを覚えている。
「銭湯すたれば 人情もすたれる」  (以下、原文は省略)

銭湯で子ども心に見たのは、社会の縮図だったような気がする。
体を洗うときは泡が飛び散らないようにし、洗髪のときもシャワーのしぶきが人にあたらないようにする。
洗面器のお湯を流すときは、静かに排水溝に捨てるなど、裸で公共マナーを学べた場所でもある。

湯舟のお湯が熱くて、水道の蛇口をひねるにしても、あたりをうかがったり、お湯に入る出るの状況を   見計らったりしながら、銭湯の世界で地域社会に触れていた。
大切なことは、番台で小銭を払って、下駄箱に靴を預けた後に広がる、公共的視野である。

川端康成の名文 「トンネルをぬけたら 雪国だった」 でおなじみの小説 「雪国」 を思い出した。
書き出しの興味に惹かれ、トンネルの先にある世界を味わい、抒情を実感させられる。
小説の場合、そんな書き出しの一文に 「全体の物語」 を負うところが大きい。

「銭湯すたれば 人情すたる」 の 詩の最終文。
「われは われルーツを求めて 銭湯へ」  (詩人 田村隆一)
銭湯の世界は自分の感性で味わえばいいし、子どもがいれば情操教育につながる世界である。

そんな、子どもから大人になるときに抱いた、原点 (ルーツ) が、この詩には描かれていると思う。

今度の休日は 「湯快券」 と 「200円」 をポケットに入れて、自転車で銭湯に行くであろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

湯上りの王様

7日 夜9時過ぎ、洗面用具を自転車のカゴに積んで、大急ぎで銭湯へ向った。

閉店時間がせまる、湯上りの脱衣場の雰囲気が好きだ。
バスタオルで汗をふきながら、週刊誌をダラダラと読んだり、テキトーなテレビチャンネルを眺めたり。
たまに番台のネコが足元に近寄ってくるので、のど下を指先でなでてやると気持ち良さそうな顔をする。

湯上りは自宅でビールを開けるので、銭湯で飲料水を飲むことはなくなった。
女湯からは、甲高い笑い声や話し声が響いてくるが、男湯ではほとんど会話がない。
湯上りの脱力感に、男のやすらぎがあるからだと思う。

日曜 夜の街は、店も客も背を向け合っている。
以前、帰り道に焼鳥屋があったので、ひとりで一杯つけていたが、今はその店もなくなってしまった。
ゴーストタウンに近い日曜の夜はどこか寂しいが、その寂しさこそが日曜の魅力だったりするものだ。

今晩も最後の客になったが 「湯上りの王様」 気分でのれんをあとにできるのは、それもまた良し。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

銭湯で考える人

冬は厚着で銭湯へ行くので、脱ぐときは少しめんどうだ。

そこは男のおおざっぱであり、重ね着を一枚一枚丁寧に脱ぐことはせず、ズボンとインナーにパンツを   わしづかみにして、一気に 「おっしゃー」 で脱いでしまう。

そんな真冬の銭湯では、体が冷えているせいか、お湯の温度が感じにくい。
蛇口の水を差してうめるべきか迷うのは、人それぞれの好みや適温があるから。
ボクの体感温度だけでお湯をぬるくしたら、公衆浴場なだけに申し訳ない気もするし。

元々、ここは普通の銭湯よりも熱めなことはわかっていたが、今晩は特に沸かしすぎのようだ。
一度は肩まで湯につかったが、その熱さに思わず腰が浮きはじめ、半身浴状態を経ていったん上がる。
気がつけば、湯船のフチに腰をかけながら、「オレの体が冷えているのか… それとも、お湯が限界点にまできているのか… 水を差すべきか、差さぬべきか…」    「ロダンの考える人」 になってしまう。

体の表面は熱く赤くまだら模様ながら、体の芯は何か寒いような。
長年通いながら、たまにしか来れないボクとしては、きっとここの熱いお湯が好きで通っているような   常連客がいる限り、大胆に蛇口の水をひねることは勇気のいることである。

そんな出たり入ったりを繰り返しながら脱衣場に戻り、湿気でクシャクシャにしおれたスポーツ新聞を   読みながら、湯上りをくつろいでいた。
すると、ずいぶんあとから来たはずのおにいさんなのに、お湯の熱さに驚いてしまったのか、シャワー   だけ浴びて、脱衣場にスゴスゴと戻ってきた様子。
あー、やっぱり、熱かったんだ…  お気の毒に。

帰り際、番台に座る 「銭湯の神様」 に 「いいお湯でした…」 とは、お世辞にも言えず、まるで修行を終えたかのように 「ありがとうございました」 と一言。
それもまた良し…   「銭湯・愛」 である。

しかし、帰り道は着込みすぎて暑くなる。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

銭湯の達人

子どものころから、「それ」 は見慣れてはいたが、同時に憧れでもあった。

銭湯の下駄箱の上、脱衣場の括りつけの棚などに、少し色あせた洗面器が並んでいる。
その中身と言えば、石鹸にシャンプー、ナイロンタオルなどを貸し出す分かと思っていたが、どうやら   常連客のあずかり分らしい。

そもそも、あずけられる人とは、どういう人であろうか。
常連客だけに与えられた特権のようなものだろうが、見る限りあまり使用されているようには思えない。
中には何ヶ月、いや、何年もそのままにしてある洗面器もあるようだし、番台の店主も整理に困っているどころか、まったく気にかけてもいない様子である。

僕が育った新潟の下町では、洗面用具を預ける人は新潟鉄工所や町工場に勤める工員さんと相場は決まっており、ほぼ毎日のれんをくぐっていた記憶がある。
ここ沼垂地区では、定期的に寄港する船員さんらが、信頼を条件に置かせてもらっているようである。
それに近隣のお年寄りのモノであったりね。

洗面用具とは、決して他人が手を触れてはならないもの。
なぜなら、生身の体を洗う神器だから、それを無断で使用することは、他人の性器に触れる行為だ。
(なんだかオレ、すごいこと書いたような気がする…)

この1年ほどは、銭湯に行く回数は減ったけど、月に1〜2回はのれんをくぐるので、本当は洗面用具を預けておきたいんだけどね。
肩にタオルだけ引っかけて、下駄を鳴らしながら、サッパリと身ひとつで帰ってこれたら粋じゃない。
それは、近代的な入浴施設では似合わないし、やっぱり昔ながらの銭湯なんだよな。

何年も銭湯に通っているけど、番台と親しいわけでもなく、顔なじみを作りたいとも思わない。
あくまでも、温かい時間と静かな空間の中で、疲れをとりたいだけなんだからね。
まあ、洗面用具をあずけるには、それなりの場所も借りるんだから、憧れなれど厚かましいかな…

でもね、棚にいつまでも古ぼけた洗面器が置いてあるのを見ていると、「もしかして、この持ち主 (老人) は、もう、この世にいないんじゃないのか…」 と。
そんな、人生の一抹を感じさせることもある。

子どものころから、見慣れている 「それ」 は、どこか地域に根ざした特別な特権を持つ、銭湯の達人による、象徴のように思えて、少し憧れているんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

銭湯廃業

新潟の東掘通りから下町方向に下った、本町13番町商店街の四つ角に昔ながらの銭湯がある。

先日、四つ角で信号待ちをしていたら、銭湯の入口に7月25日をもって廃業との告知が貼られていた。
利用者の減少と後継者不足、ニューファミリーはマイカーで健康ランドに出向き、時代に取り残された   昭和の銭湯の存続は危ぶまれている。

僕はここの銭湯とは縁がないんだけど、不定期ながらも銭湯に通っているのはブログで語ってきた。
銭湯の精神的な効力、文化的な魅力を断片的に語り継いできたのは、たまには心行くまで広い湯船に    つかりながら、日本人のルーツに触れてみるのもいいかと思っているからだ。

ただ単に新しいモノ好きが、新しいモノを食い散らかしていくような、風潮は好きになれない。
新しいモノにあおられすぎ、古きに座持ちできないようでは、上品に年齢を重ねていけない気がする。
ちょっと大げさに言ってしまえば、「古きを知り、新しきを知る」 こと。
古きを知ることにより、それまでの仕事や生き方に活かすことができるんじゃないかと思うんだ。

それこそ、「えっー 私 海外生活が長かったから、白米と味噌汁は受けつけなくなったのよね…」
そんな台詞を平気で言う、本末転倒な帰国子女みたいなもんで、文化というモノサシを失ってしまうと、木で鼻をくくったような人生と化してしまうだろう。

それまでは必要であったことでも、生活の向上により次第に人が見向きしなくなったモノに対して、    自分はどう見るべきかって、意外と大切なのではなかろうか。
本町13番町の銭湯が廃業すれば、下町地域の銭湯はあとひとつしかないんじゃないかな。

下町が活気に溢れていた、元気なころの空気を知る自分としては、銭湯はパワースポットだった。
それに銭湯は人情以上に、長幼の序を自然と見て覚えた、ある種の修業場に近かったかも知れない。

僕はこの先の人生、銭湯の思い出を楽しむだけではなく、利用することによって深見をつけていきたい。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

大寒の銭湯

20日、暦上「大寒」とされ、一年で最も冷え込む時季である。

この2年ほどで体質が変わり、手足が冷え性になってしまった。
それまでは体温が高く、手足はいつも温かかったのにだ。
それからというもの、銭湯では湯船のヘリに腰かけて、足湯をしてから湯に浸かるようになった。

7年前から、月に2回は銭湯へでかける習慣がついている。
昨晩(19日)も、他に誰もいないヘリに腰かけて、正面のタイル画を眺めながら足湯をしていた。
すると番台の女店主(老婆)が、後方の湯煙から現れ、「ここは熱いお湯が循環する場所だから、こっちに入ってください」とアドバイスされた。

僕なりの入浴順序もあるのだが、銭湯で一番偉いのは店主である。
銭湯のルールにおいては、知識を授けてくれる心強い存在なので、反発するなどめっそうもない。
それに男は老婆であろうがなかろうが、女に裸を見られたら服従するしかないのである。

そういえば、前回も足湯をしてたら湯煙から現れ、カラン(蛇口)の湯で体を温めてから、湯船に浸かると いいとアドバイスされた。
僕も今ではベテランの入浴客だと思うが、最近はダメ出しを喰らうようになってきた。
店主の前では、まだまだ「銭湯の奥儀」を学ばなくてはいけないようである。

秋にも、こんなことがあったなあ…
ヘリに腰かけて、タオルを太ももに広げて足湯をしていた。
すると目の前のボイラー室の扉が急に開き、店主から一言「タオルをお湯にいれないでくださいね」と。
その塩梅はわかっているが、そのときは前方から突然と姿を現したので驚いてしまった。

こう続くと、「もしかしてだけど…」と思ってしまう。
お笑いコンビ「どぶろっく」じゃないけど、「もしかしてだけど…  僕のおちんちんを見たいんじゃないの」とさえ思ってしまうし、それが相撲だったら、決まり手は「不浄負け」となる。
まあ、見せてもいいけど、ガッカリさせたくないしね…  (見せモンじゃねえし)

一年で最も冷え込む大寒だから、世の男は縮んでいるであろう?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

銭湯の人情論

小学生のころ、家に風呂があるのに、どうして銭湯へ行きたがるのか不思議がられていた。

本当の理由は「誰か友だちいるかな」程度の好奇心と、夜に外出できる口実だった。
あのころであれば、友だちと遊ぶにしてもせいぜい夕方まで。
夜に会える場所は、銭湯か道場ぐらいで、離れ際の合言葉は「今日、銭湯いく…?」

そのころ、家風呂のない家庭も多く、銭湯には遊びに行く感覚だった。
湯船のふちに腰かけて足湯をしながら、ダラダラとしゃべりながら時間を過ごす。
会話に飽きると、ようやく体を洗い始め、カラスの行水で脱衣所に戻る。
ラムネのビー玉を舌でビンに押し戻しながら、名残惜しむようにチンタラと服を着出す。

銭湯の暖簾をくぐるときは、期待と不安が入り交じっていた。
下駄箱にサンダルを預けて、服を籐のカゴに入れて、曇りがかったガラス戸を開ける。
そこに友だちがいたり、親しみあるおじさんがいたり、「おー」なんか言いながら近寄る。
時には会いたくない上級生がいたり、墨を入れたおやじがいたりと、意図しない人とも出会う。

教育上、新潟の下町(しもまち)の子どもには、これがよかったんだ!
好きな人としか会わなかったら、苦手な人と会ったときの、間合いがわからなかったであろう。
年上への礼儀、年下には優しくするとか、簡単な挨拶の交わしかたなど、銭湯は学びやだった。

今は、簡単な挨拶ひとつできない人が多い。
銭湯に限らないが、情操的な場所に行かなかったから、間合いがわからない。
バスの中では、おばあさんに席の譲り方がわからないから、寝たふりするのと同じことでさ。
それで優しさなんちゃら、いっぱしなことを言っているんだから、もうちゃんちゃらおかしいわけよ。

自然と相手に失礼にあたらないように、銭湯で公衆作法を覚えていった。
年長者や先輩にあたる人には、こちらから簡単な挨拶を済ませて、やるべきことは先にやっておく。
評判の悪い男ほど、そのあたりまえができないから、男から相手にされなくなる。
さっきのバスの話と一緒で、寝たふりしている間に人望も損なわれているもの。

銭湯で学んだことは人情論。
雰囲気には緊張したけど、無防備な裸でいるときは、不思議といざこざは起きない。
湯に浸かって、体を温めて、あとは寝るだけなのに、誰が好んでトラブルを起こそうものか。
不思議なもんで、銭湯で出会った上級生と学校でケンカにならないのは、おたがいに裸を見せ合った  テレがあるせいか、無言の連帯感ができている。
「おまえの家、風呂がないのか。おれの家もないから、まあ、仲良くしようぜ…」 こんな感じだ (笑)

銭湯は人の心の奥まで、和ませてくれるんだよね。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月23日

銭湯の暖簾

銭湯の暖簾を後にしたのは、夜10時頃…

女湯の暖簾が同時に揺れた。
一瞬目が合った気もしたが、すぐに顔をふせるようにして、薄暗い夜道に歩いて消えていった。
年齢は40歳前後でキチンと洋服を着て、右手の簡易バックは洗面用具がスッポリ入る大きさ。
看板の蛍光灯に照らし出された顔は、湯上りらしくホカホカとピンクにそまっていた。
きっと近所に住んでいるのだろう。

僕の格好といえば、Tシャツにジーパン、サンダル。
バスタオルを肩にかけて、洗面用具はむき出しのまま自転車の前カゴに放り込む。
銭湯に行く外見は気にしないので、夜道を鼻歌雑じりでゆっくりとジグザグ運転で往復する。
例えるなら、陽だまりでうたた寝している気分である。
男にとって、銭湯はそんなもんだ。

誰の家にも風呂はある。
銭湯に行くことは、大きな湯船にゆったりと浸かり、ゆっくりと疲れをとりたいのであろう。
主婦なら家事を済ませ、子どもを寝かせつけて、ダンナに「ちょっと行ってくるわ」で不思議じゃない。
子どもを育てるのは力もいるだろうし、日常の家事や買物だって結構大変だと思う。
寝る前の銭湯はその日の終わりを感じさせる、特別な時間だったりするんだろうね。

同時に暖簾を後にしただけなのに、どこか小さな仲間意識を持ってしまった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月18日

うめ湯

あぁ、みんなが気を遣っていたのか…

閉店時間が迫る銭湯に駆け込むと、僕以外の入浴客が二人いた。
ひとりは初老、もうひとりは30代後半かな。
僕はかけ湯をした後、湯船に右足を入れると… 「あっちぇ!」(熱い)
水でうめようと蛇口をひねろうとしたが、体が冷えているから熱いんだと思い止まった。
それに、他のふたりに悪いと思ったけど、とても肩まで入れるような温度ではない。
素直に水を差せばいいのに、半身浴で肩や首を回したりして、やせ我慢をするあたり。
熱さにたじろいでいることをさとられないように、とりあえず熱湯風呂から脱出した。

すると珍しく学生らしき若者が入ってきたが、最近では見かけない顔である。
湯船には入るが、やっぱり肩までつかれずに、水を差そうか迷っている様子。
そのうち他の二人も別の湯船に入るが、誰も水でうめようとはしない。
そうなるともう、サウナの我慢比べ状態である。
早くも初老は上がり、続いて30代後半も半身浴だけに止めて上がる。
湯船にひとり取り残された若者は、半身浴のままで水を差そうともしない。
僕はお湯の温度がわかっているので、いったん脱衣場に戻り新聞を拡げてその様子を遠目で伺う。
すると誰もいなくなったのを見計らってか、若者は勢いよく蛇口の水を全開にしながら、右手で湯船の   お湯を大きくかき回しながらようやく肩までつかった… やっぱり、本当に熱かったんだ (笑)

銭湯では他人に気を遣って、安易に水を差さない、無言の空気が湯煙と入り雑じっている。
僕も他人に気を遣っていたが、周りも僕に気を遣っていたことである。
でも、そんなことばかり気を遣っていたら、湯冷めをおこすどころか、健康を損ねないか心配だ。
会食で大皿に残っているひとつの料理を、誰が箸をつけるか迷うように、ここ銭湯も例外ではない。
「うめ湯」は我慢比べ、それか気遣い、もしくは遠慮、それとも叱られるかもしれない小心者の心理。

銭湯はいい湯である前に、素っ裸でおたがいの空気を読みあう、裸のワンダーランドなのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

銭湯恋しく

銭湯が恋しくなる季節が到来した。

体の芯まで冷えた日には、銭湯の湯煙を思い浮かべる。
夕方の定刻、仕事を終えられる人は羨ましい。
銭湯上がりに立ち寄れる、小料理屋でもあればなおさらいい。
その辺は、過去に何本も綴ったので指先は止めるが、書き飽きないところは見逃して欲しくない。

銭湯の良さに気づき、改めて通い出したのは五年ほど前からである。
それまでの仕事は定刻でなく、親の介護で自分の時間を取れなかったことが何年も続いていた。
ある日、介護生活に少し余裕ができて、自宅からほど近い銭湯にひとりで出かけた。
暖簾をくぐると、どこか近くて懐かしい空間が広がっており、明日への活力を感じた。
帰り道、大股開きで自転車をこいで星空を見上げたら、どこか気持が軽くなったことを覚えている。
時を越えて、銭湯通いがまたはじまったのは、そんな日がきっかけだった。

銭湯の廃業が続く中、店主は生業で儲けようとは思ってないだろうし、願いは至って素朴であろう。
文化は生活の糧にはなるが、とても金儲けの対象にはならない。
庶民が支え合っての継続だし、地域が存続を可能にしている。
それに町に顔見知りがいることは、地域の防犯にもなるでしょ。
見守る文化もあるけど、利用してこそ守れる文化もある。
それが銭湯であり、こうして利用しているからこそ、長く書き綴れると思っている。

木枯しが吹き荒む、深夜の帰り道。
もしも、銭湯が開いていたら、僕は迷うことなく暖簾をくぐるであろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

コーヒー牛乳

子どものころ、風呂上りに腰に手をあてて、コーヒー牛乳を飲む姿は自然な決まりポーズ。

45度に見上げた視線の先には、人それぞれ違うものを見ていただろう。
鏡に写った自分の姿 扇風機 テレビ 料金表 蛍光灯 プロレスや映画のポスター 天井の染み…
年齢と身長によって、見るもの映るもの、少しずつ変わってくる。

僕はよく、「指名手配犯のポスター」を見ていたと思う。
キャッチコピー「この顔見たら110番」が印象的だった。
手配写真を見ながら、「三丁目のおやじに似ているなあ」「釣具屋のおっさんに似ているぞ」だとか、   頭の中で人相合わせをしていた。
身体的な特徴として、「背中に昇り龍の入墨あり」「左の小指がない」だのから、「メガネ着用」など、  変装術まで頭に入れていた。

前科者なら、逮捕時の正面写真を使えるが、初犯だと適した写真がない。
そうなると、スナップ写真から引き伸ばした顔を代用していたりもする。
写真が笑顔だと、「悪い人には見えないけどなあ…」と首を傾げたり。
容疑が強盗殺人、爆弾や放火と物騒な用語が並んでいると、子ども心で「あぶなっかしいおっさんだ」と思いながら、牛乳ビンの底に残っている最後の一口を飲み干していた。

職業イメージなのか、「人の顔を覚えるのが早いね」とはよく言われること。
意識にないことだが、銭湯の脱衣場で手配写真を見て、顔を覚えていたことも影響しているのかな。
そうだとしたら、懸賞金つきの指名手配犯と遭遇したら、あんがい懸賞金を獲っちゃうかもよ(笑)

人それぞれ、視線の先で見るものは変わっていく… 60円のコーヒー牛乳から学んだことである!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月02日

銭湯の三段活用

大人になるにつれ、銭湯の呼び名は大方、風呂屋 サウナ 健康ランドの三段活用となる。

一段目の風呂屋は子どもの頃、小銭を握りしめて通ったところ。
腰にタオルを巻きはじめると、近所のおじさんから決まって「毛がはえたんか」と冷やかされた。

二段目のサウナこそ、独身時代の王道だった。
「サウナ行こうぜ」の響きが、大人の仲間入りをはたしたような気がした。
サウナ自体は苦手だったが、スタイリッシュなアーバンなフロアーでガウンを着て、リクライニングシートに寝そべりながら、日経新聞に目を通す。
サイドテーブルには、ビールとタバコ、体には毛布を軽くかけて、衛星放送を見ながら長時間過ごせる。
途中、予約したマッサージの順番がきたり、小腹が空けば食事を頼んだり、至福な時間も保てる。
疲れた体を一日かけて癒せる、自由な空間が大人の居場所だったりした。

三段目の健康ランドは家庭を持ち、子どもの世話もしながら、家族だんらんで寛げる快適な空間。
僕は、親孝行する場として、背中を流したり食事もしたが、今ではその必要はなくなったけどね。

こうして年代(年齢)によって、利用場所が変わってくるのが、大きな名称の括りである銭湯。
銭湯(風呂屋)は、貧乏くさいイメージがつきまとうが、それこそが日本人のルーツでもある。
自宅の風呂も手軽でいいが、たまには湯船で手足を大きく伸ばせるような銭湯は心も落ち着く。
街角の銭湯で、生活をやりくりしてきたことを思い起こせば、今も続く昔からの街角文化を大切にする  ことは、過去を絶やさない意味でも大切かと思う。

そんな三段活用を一通り経験した今、僕は昔ながらの風呂屋に回帰したのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月03日

マッサージ器

たまに行く銭湯に、旧式のマッサージ器が置かれている。

10分100円なので、首から腰にかけて20分ほどもみほぐす。
だが、旧式だけに強弱は利くものの、まだ全体的に動きが粗い機器も多い。

背骨から腰にかけて、2本のローラーがゴリゴリ下がるたび、「ウォー」と低音の唸り声が絞り出る。
逆に、腰からグリグリと上がってくるたびに、「ヒョエー」と高音の奇声が口元をつんざく。
ゴリゴリ、グリグリ、ゴリゴリ、グリグリ… 容赦なく全身をもみほぐす。
その刺激、胸を突き出す格好で、足の親指が上向きに反り返っているほどである。
どおりで誰も使ってないはずで、そういえばコインを投入したとき、チャリンと乾いた音が響いていた。

言い知れない苦痛のような快感に戸惑いながら、「フゥー」とため息をつく繰り返し。
そのうち苦痛に慣れてくると、妙な心地良さを感じてくる。
最初の10分は「うめき声」からはじまり、最後の5分は「あえぎ声」に変わってくる。
まるで、どこかの性感帯にヒットしちゃったような…  「ドMかよ!」

今、自宅に一番欲しいモノはマッサージチェアーだが、猫のひたいほどの部屋なので置き場所がない。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

熱湯風呂

「いや、いっーや、あっちぇ、風呂らったなあ〜」 (新潟弁)

10日夜、銭湯に行ったら、お湯の温度が熱過ぎた。
まるで、「入るな」と言わんばかりの熱さである。
他に客が五人ほどいたが、誰ひとり水でお湯をぬるめようとせず、さっさと入ってさっさと出る感じだ。
体温とお湯加減は人それぞれなので、他の客に遠慮してぬるめないようにしているとさえ思える。

僕でも半身浴で済ませたほどだから、体感温度は相当なものである。
湯船から出ると下半身は赤く、上半身は白い状態。
日焼けした肌の境目を思い出してもらえばわかるだろう。

「何で、水でうめないのか」と、思われるだろうがお答えしよう。
僕のような「銭湯の達人」ともなると、暗黙の「銭湯ルール」がわかってくる。
熱湯を我慢してこそ、一人前の世界があるからだ。

右手を入れて「どりゃー」と、渦潮のように大きくかき回すだけ。
うめていいのは、子どもやお年寄りに限る。
体に負担はかかるが熱くても、涼しげな顔をして湯船につかっているのが達人のこだわりである。
この日、僕の入浴時間は史上最短の45秒…   まさに、「熱闘風呂」であった。

銭湯には、男なりの「ルール」や「ロマン」があるのだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

深夜の銭湯

8日、久し振りに遅い時間に銭湯へ行った。

この時期、昼の銭湯は春の日差しを浴びて、どこか活劇風な雰囲気となる。
深夜の銭湯は、人間模様に哀愁が漂っているようで、昼の雰囲気とはかなり違ってくる。
浴槽のヘリに腰掛けてボッーとしてたり、頭からシャワーを浴びてジッとしてたり、疲れた雰囲気がある。
脱衣場でも、誰ともしゃべることなく、ただ無気力に過ごしているだけ。
パンツ一丁、時の流れに身を任せて、雑誌をペラペラめくっていたり、テレビをボッーと眺めていたりと、何も考えなくてもいい空間がそこにある。
また明日から、はじまる一週間の前夜だから、はやる気持ちを調整している気もする。

それは夜中に、近所の猫が自然に集まってきて、どこか無言の夜会をしているようにも思える。
夏目漱石の「吾輩は猫」のように、猫の目線で人間観察してみると、意外と新しい発見があるかも。
そこの銭湯には、黒の飼い猫が番台にちょこんといるんだけど、猫の目線には、何が映っているのか 知りたくなることもある。
もしかして、人の心を読んでいたり、その人の寿命を知っていたり、物言わぬ使者だったりして。
湯上りの脱衣場で腰にタオルを巻き、木製の縁台に座りながら、あれこれと猫の目線で想像してみた。

こうして、長い一日が終わりに近づく深夜の銭湯。  他人と分かち合う空間は貴重かも知れないね。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月19日

銭湯で金冷法

少年時代、よく銭湯へ一緒に行っていた友人から、ケータイにひやかしメールが届いた。
メール文は冒頭から、「おーい、金冷法やってるか」と…   話としては、こういうこと。

思春期のたけなわ、深夜のお色気番組「11PM」をこっそり見ていた。
すると、性の女王が伝授する「男を強くする方法」とかで、なぜか白髪の老女が「何とか…新宿ローズ」と名乗り「金冷法」とやらを説明していた。
まず、冷水を張った桶にサオはいれずに、タマだけをいれ、揉み解しを繰り返す。
次に、熱湯を張った桶にサオはいれずに、タマだけをいれ、揉み解しを繰り返す。
これを交互に、毎日往復五回ほど繰り返していくと、君も絶倫男になれるという。

あの頃は、人の言うことを何でも信じてしまう純粋さがあったから、それをしばらく実践してみた。
最初は自宅の風呂で修行(?)をしていたのだが、月に何回か行く銭湯でも、サボることなく続けた。
だが、さすがに人前で揉み解すような、はしたない真似はできない。
そこで急遽、冷水をタマに直接浴びせかける、代用技を思いついた。
隣で全身を洗う友人が、不思議そうな顔で、修行中の僕を見ている。
ついに、「おめ、はっけっけ、やめれてば」(おまえ、冷たいから、やめろよ)と抗議された。
「(銭湯)来るたび、何でタマに水をぶっかけてるんだ、はっけろが」と、猛抗議に発展した。
僕は童貞小僧のくせに、妙な自信を持って、こう威張って答えた。
「ふっ、ふっ、ふっ… そのうち、おまえにもわかるさ…」と。
それから彼は、僕と銭湯へ行くと、ひとつ分離れて全身を洗うようになった。

で、その「金冷法」は、効果あったかって…  あるわけないだろ! 
あの頃、僕らの世代は「アホ」だったし、外向きな青春だったことは間違いなかった。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

雪道の銭湯

5日、昼過ぎから、二週間ぶりの銭湯へ。

天候は穏やかだが、前日まで降り積もった雪の量が気になる。
「こんな日に行かなくても」とは言われるが、こういう日だから行くのである。
寧ろ、出掛けの玄関先で、拍子木を打ち鳴らしてもらいたいぐらいだ。

早くお湯に浸かりたいので、自転車を動かしたが、思いの外に除雪が進んでいなかった。
それでも、行きは銭湯という目的があるので、雪道の悪さはそれほど苦にならないが、問題は帰り道だ。
湯上りは、マッタリした気持ちの上、心地よい湯疲れも感じている。
そのまま、普通に自転車に乗って帰りたいのだが、雪道にその走行を阻まれてしまう。
銭湯は沼垂の住宅街にあり、地域住民はご年配の方も多く、雪かきもままならない状態である。
そんな雪道の状態を、自転車を押して往復したので、汗だくにはなるわ、両腕と肩腰が軽い筋肉痛となるわで、何のために自転車を出したのか、全く用途をなさなかった。
片道徒歩15分ほどの距離ながら、逆に疲れを抱えて帰宅。

いつものサッパリとした表情ではなかったらしく、相方から、「どうしたの」と聞かれたが、「いや、別に」と 軽く答え、そのまま浴室に洗面道具を置きに行った。
こんな雪道に自転車を出すどころか、乗らずにただ自転車を押して往復してきたことを知った日には、「あんた、何考えているの」と言われるだけだからね… 沈黙、沈黙。
僕にとって自転車は、可愛いペットみたいなもんだから、一緒に行かないと寂しがるんだ…なんてね。

次回の雪道は、洗面道具を背中におぶって、竹馬で銭湯へ行くぞ、 おー!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

銭湯帰りの夢

連日、こうも冷え込むと行きたくなるのが銭湯。
僕の夢の1日はこうだ。

自宅から、徒歩の範囲で銭湯がある。
洗面道具は番台に預けてあるので、タオルだけ持って行ける。
脱衣場で新聞を広げたり、大相撲中継を観たり、近所のおやじさんとヘボ将棋を指したり。
とにかく、ダラダラして過ごす。

銭湯の帰り道、小さな灯りに誘われ、夫婦で営んでいる小料理屋の暖簾をくぐる。
小さく、「いらっしゃい」と声をかけられ、カウンターでビールを手酌で注ぐ音が風情に聞こえる。
小鉢は、「ネギぬた」 「もずく」、小腹が空けば、「ハムカツ」 「かつとじ煮」があれば嬉しい。
隣には、「なぎら健壱」 「泉谷しげる」のような、下町が似合う粋なおやじがいて、どうでもいい会話で 楽しく酔える。
そんなひと時があれば、明日からの活力源にもなる。

ほろ酔い気分で過ごしていると、ガラガラ… 格子戸がゆっくりと開く。
すると、和服姿で笑顔が素敵な美人が現れて、僕の隣に寄り添うように座る。
「あんた、やっぱり、ここで飲んでいたの。 じゃあ、私も一杯飲んじゃおうかな…」と、グラスを傾ける。
「あの女、どこかで見たことあるよな…」と、客がささやく。
そこで僕が、「あっ、言わなかったっけ  俺の女房は、演歌歌手の伍代夏子なんだよ…」

なんか、男のロマンだと思わないか。 これぞ、男の至福である。 こんなこと、言ってみたいよね。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

大晦日の銭湯

さかのぼること、19時の大晦日。
毎年、大晦日の夜は、銭湯で過ごしている。

女湯からは、「あんたんとこ、おせちどうしたん」とか、「紅白は、どっちらかね」だの、他愛のない会話が響いてくる。
脱衣場からも、みな口々に、「よいお年を」と交わしながら、家に帰っていく。
帰り際、銭湯の神様(番台のおばあちゃん)から、「今年もありがとうございました、よいお年を」と言われ逆に、「いえ、こちらこそ、来年もお願いします」と会釈をする。
かれこれ4年、10日に一度のペースで通っているので、自然に距離感は縮まるものだ。
そんな挨拶を交わし、銭湯の暖簾を後にした。

新年を数時間後に迎える大晦日の夜は、過ぎてしまえば呆気ないが、何だかとても貴重な気がする。
自転車から、真冬の冷たい空を見上げたら、雲の切れ間から見えた、三日月がとてもきれいだった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月06日

銭湯の老木(2)

たまに、銭湯で見かける光景である。

年老いた父親と息子と思しき、二人連れの親子。
父親の不自由な動きを介助しながら、目を放すことなく、一緒に連れ添って入浴している。
身体を洗うときには、息子が父親の背中を無言で流している。
照れる間柄でもないので、やり取りは自然に映る。
周りの客も、ただ静かに見守っているだけ。
何も言葉を交わさないが、長年の親子の味わいを感じてしまう。

親が子育てに命をかけるのは、真っ当な人間に育てて、世に送り出す最大の責務がある。
逆に子供も、親の介護は命を看取るまでの、尊厳のある無償の行為だと思う。
その光景を目にしながら、親子が肌と肌を触れ合うのは、ごく自然なことなんだなと思った。
こういう場面でこそ、親と子の奥行きがわかるものだ。

社会を見ていると、まだ老人を子供扱いする傾向が見受けられる。
そこに悪気がないことはわかっている。
逆に老人も、今の長寿社会に胡坐をかき過ぎず、晩年を大切にすべきだと思う。

僕も28年ぶりに、おねえさまから背中を流してもらいに、個室付き特殊浴… いや、何も言ってません!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする