対象年齢は定められてないが、一応の目安年齢65歳では、早い気がするも高齢化社会。
年金や医療に介護など、国の負担を喧伝されてばかりいれば、高齢者もおもしろくあるまい。
「年齢を重ねることも悪くない」 と思える、特例的な催しがもっとあってもいいのでは。
男は定年になっても、気力と変化に対応できる柔軟性があれば、仕事をするべきだと思っている。
大雑把にいえば、ズバリ 「人生の遊び金」 を捻出するためだ。
自分が稼いだ金は自分で楽しむことが潔いし、そのために働けば人生も充実するだろう。
さらに誤解を恐れずにいえば 「男は死ぬまで女とつきあうべし」 でさ。
こんな話を耳にした。
手軽で安価な風俗店は若者向けだが、伝統的な風俗店は40歳以上の中高年が占めるらしい。
それも、偶数月の年金支給日になると、待合室は高齢者が増えるのだとか。
男はいくつになっても 「女の味が忘れられない」 のである。
年齢的に性欲は減退し、性欲はあっても満たせなくなると、何を楽しみに生きているのか、心が渇く。
何も肉体を交えた関係が大事ではなく、一緒にお茶を飲んで会話したり、たまにはフレンチレストランへ出かけたり、そういうとき 「異性の友達が気持ちを満たしてくれる」 ものだ。
その際 「パパ活」 ならぬ、金の臭いしかしない 「情けない男」 の姿ではなく、年相応の品性があり、もう自分を粉飾しなくてもいい、経験を積み重ねた者同士の心の関係。
セックスは成り行き上、はずみの感覚であれ、色気がもたらす、制御と解放は紙一重。
その感覚をなくしたら、男女は遠巻きの存在となり、少し寂しく感じるんじゃないか。
個人差はあるだろうが、いくつになっても異性への関心は、若さと健康増進の再生装置。
家庭を顧みないのは困るが、心の充実度であれば、幅広いつきあいもありだと思う。
これも仕事同様、その人の 「甲斐性」 であり、必ずしも異性だけではない。
敬老の日を 「枯れた日」 にされたら、高齢者もたまらない。
そのためにも 「年齢を重ねることは素敵だ」 と思える社会がいいし、晩年は 「最期の演出期」 だと思うから、粋でカッコいいイメージで整理したいよね。
心意気は社会的な枠の中で 「まじめな不良」 として 「不良老年」 を志したい。
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