2020年08月15日

番長告白

「球界の番長」 と呼ばれ、覚せい剤で身を滅ぼした 「清原和博」 は、僕の嫌うタイプだった。

腕力主義とヒロイズム
自己陶酔とセンチメンタリズム
彼の内面には 「二つの性質」 が混在しており、場面に応じて、巧みに使い分けている印象だった。

85年 ドラフト会議で、巨人から指名されずも腐ることなく、西武で輝かしい実績を残した。
97年 FAで夢の巨人に入団するも、エリート集団において、期待ほどの実力を発揮できなかった。
巨人への違和感、松井への嫉妬、男の葛藤が独りよがりになり、自意識がよからぬ方へ向かっていく。

周りからは 「番長」 とおだてられ、いい気になった揚げ句、今度は神輿の上で踊るようになった。
高みの光景はどう映ったかわからぬが、神輿を取り囲む周囲の目は、隙あらば利用しようとしていた。
そうこう、おだてられてるうちに、次第に結果を出せなくなると苛立ちは募り、強面の武闘派なイメージで気性の荒さを前面に出すことで、一部のファンしか虜にすることができなくなった。

浪花節の演歌歌手のようにも見えた。
本当は小心者で、神経が繊細と言えばカッコいいが 「イメージを演じ続ける矛盾」 が彼を苦しめた。
現役中、信頼できる保護者がいなかったことも影響し、周囲も腫れ物に触るかのように接していた。
彼は天使にも悪魔にもなれるが、心をおける仰木監督と出会ったときには、時すでに遅し印象がある。

清原和博の半生を描いた、書籍 「告白」 (回想録) を、ようやく読み終えた。
冒頭 「僕の嫌うタイプ」 と過去形で記したが、本当に彼を嫌いなら、本を買ってまで読むことはない。
同じ時代を生きたから、自分にもあてはまることや共感できることがあるのではないかと思ったからだ。
大事なのは、他人の人生も知って、自分の人生にもおきかえて考えることだろう。

本書の構成は、一年間にもおよぶ取材を重ねて、彼の言葉をくまなく口述筆記された。
その内容 「人間らしい矛盾」 を引き出したことに意味がある。
自分で書くとなると、体裁を繕ったり、過去を美化したり、途中でためらいが出るもの。

自意識がつきまとうと、苦労話がいつの間にか自慢話にすり替わりやすくなり、それを避けるためにも、第三者に原稿を委ねれば、洗いざらい本音をぶちまけられて、清原和博の 「告白」 は完結する。
薬物中毒と闘いながら、不利益な質問から逃げることなく、全ての心情が吐かれていた。

結果が全ての世界において、結果を出せなくなったとき、培われた人間力がモノを言うんだろうね。
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