2020年08月14日

死生観念

長年の慣習で、お盆の夜は家で大人しく過ごすことにしている。

わが家には、墓も仏壇もなく、あるのは遺影と遺灰だけ。
仏花と線香をあげて、仏壇もどき場所に、軽く手を合わせる。
人間は亡くなれば、肉体は土に還り、記憶は心に刻まれ、思い出すことが供養となる。
そこに 「御霊」 はいない。

新興宗教のように、難病が治ったとか、信じれば救われるような、死後の世界や法話にも興味はない。
藁にもすがる本人と家族の精神的な救いになるが、不安を煽られてお布施をしたり、唱えたりしながら 「信じたのに叶わなかった」 自分の判断を他人に委ねた、嗚咽の感情が残るであろう。
僕は、そういう感傷になるのが、堪らないんだ。

そんな経験はないが、自分の心を突き詰めれば、出尽くすパターンは、似たり寄ったりするもの。
生前にその人を理解しようとせず、亡くなってその人を評価するのは、あまりにも詭弁であってさ。
寂しいようだが、後世に残されるのは、故人の思い出と遺影だけと割り切っている。
個人的な 「死生観念」 を言えばそうなる。

だから、自分も同じようにして欲しい。
人に対する態度と、自分に対する態度は、同じにしておきたい。
人の苦しみは気にかけず、自分の苦しみだけは訴えて、葬儀を盛大にする男にはなりたくない。
遺言には 「俺の残像は気にするな」 遺された人の哀しみを解き放てる文言を残しておきたい。

死生観を語るのは滅相もないが、お盆だからこそ、少しは考えておきたい、晩年へのテーマである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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