2019年07月17日

青春免罪

今年も例によって、出身中学の同窓会の案内が届いた。

こうして連絡だけでも、ありがたい。
年2回、学年規模で20〜30人前後集まるらしく、そのときだけは、あの頃と変わらない自分になれる。
過去を頻繁に振り返るのは、あまり潔いとは思わないが、忙しい日々を過ごしている人ほど、少しだけ立ち止まって、名刺のいらない関係を懐かしみたくなるもの。
また、それぞれの人生に何があったか、かけあしで話を聞くのも、下手な小説を読むより楽しい。
そのためにも、面倒見のいい幹事を選んで、連絡先を保管して、何年も続けられる仕組みをつくれば、後の同窓会はドラマ仕立てに引き継がれていく。

同窓会の幹事は 「女性が適任」 だと思う。
男は企画を立ち上げ、軌道に乗せるまでは上手いが、女は作ったモノを継続させるのが上手い。
女がモノを仕立てていくのを得意とするのは、子育てをする本能や機能性が備わっていると思えるし、体育祭や文化祭になると、男は怠け者が多いのに比べ、女は男の尻を叩く、強靭さを発揮していた。
それは、崩れかけたら立て直し、いちいち立ち止まっていられない、切り換えの早さと変わり身があり、男みたいに 「共感と反感のカードを使い分けず」 あれこれ小さいことに、こだわらないんだろうね。

男は過去の痛みを戻せず、プライドの高さが嫉妬を招き、その癖、意気地がないんだ。
記憶に、タイマンで負けた、失恋をした、うんこをしているとき妨害されたなど、イヤな思い出が断片的にあるようで、人には隠せても、自分だけは知っているから、割りきれないというか。
これだけは、当人同士でないとわからず 「遺恨」 が残っていることもあろう。
思春期は、自我が確立していないから、その受けとめ方も 「年代の解釈」 の仕方も違って当然でさ。

その後、街で偶然に見かけても、会っていない期間が長すぎると、おたがいに知らん顔するものだが、催された会に出席してまで、想像が作り出した 「人見知りの態度」 では、あまりにも男がこすい。
何がいいかといったら、同級生を免罪符に 「アホ」 になれること。
この年齢になって、アホになれる機会はそうないし、同級生でもない限り、おたがいを呼び捨てにして、弱みを見せたり愚痴ったり、好き勝手に酔っぱらえる場所もないだろう。

つまり、同窓会とは 「青春の免罪符」 が、通用する場なのである。

posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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