2019年07月13日

二者択一

連日 参院選関連のニュースが目を引く。

現職は権力のど真ん中にいても、民意で落選すればただの人となる。
新人のゴールは当選ではなく、その先の公約にあり、当選してからが、地獄の一丁目。
候補者のゴールは、投票日ではない。

過去 「塚田一郎」 候補は、2度も落選し、07年に三度目の正直で当選した。
記事によれば、自身一番つらかったのは、先の 「忖度発言」 よりも 「浪人時代」 だったと語る。
あの頃、失意のどん底からはい上がろうと、地元に根を下ろし、地域の行事に参加し、庶民にとけこみ、身近な存在であることを有権者に植えつけて当選した。

父親の血統を引き継ぐ 「サラブレット」 かも知れないが、やってきたことは、泥臭かったと思う。
それがいつしか 「プライドの高い人」 になり、元国交副大臣まで務めた人だから、仕事こそできるが、人柄に支持者が違和感を持つようになった印象だった。
忖度発言で、もう一度自身をあらため、仕切り直しに奮闘するも、その姿を有権者が見て 「もう一度、やってもらおう」 と思うか 「選挙だけのポーズ」 「期待できない」 と思うか、21日に審判は下される。

一方、落下傘候補といわれる、連立野党 「打越さくら」 候補。
その前に、新潟は狭い地域の連帯を好み、知らない人は無視をする 「排他的な気質」 がある。
江戸時代の 「五人組制度」 のような班を好み、小さな共同体で 「自分の在りか」 を求めたがる。
新潟の風土で、政策や人柄を超えた 「胆力」 (くじけない力) が、どれだけのものかは未知ながら、嫌われることを恐れない覚悟で、信念や理想をどこまで貫けるか、そこが審判となろう。

昔から、街をよくするためには 「若者 ばか者 よそ者」 の力が必要だといわれた。
意味は 「体力 行動力」 部外者だから 「新鮮な見方」 ができる期待性もある。
そのとらえどころを、有権者はどう判断するかに加え、参謀を後ろ盾に新潟で新風を巻き起こせるか。
候補者は、努力する姿を見てもらうのも大事で 「汗と知恵に共感」 が集まらねば、当選はしない。

両立候補者は、僕と同じ世代 (1960年代)
両者のタイプは違えど、世代を代表 (代弁) している戦 (いくさ)
選挙は闘いで、強いものが勝ち、弱いものが負ける、人間が持つ闘争本能だ。

21日 大いに迷うところである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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