2018年10月05日

街中考察

再来年3月、新潟三越の閉鎖により、中心部 「古町エリア」 の空洞化が懸念されている。

過去、あらゆる対策案を講じても、決め手に欠けてきた。
人と同じで、時代と年齢、時間軸には敵わないように、これも栄枯盛衰。

一考 「古町に何を求めている」 か。
若い世代は 「思い入れはない」 というし、熟年世代は記憶になぞられた 「さびしさ」 を口にするし、それぞれの思いは玉石混交。

そこで一度、欲求を整理する。
「最低限、これがあれば生活の欲求を満たせるのはなにか」 を再考してもいいと思う。
衣食住、暮らしに直結する食料品店や飲食店、医療環境や金融機関、それを連動する交通環境。
街に高級ブランド店やアミューズメント施設がなくても、シンプルに暮らせるおちついた環境。

昔のイメージに捕らわれて、それを基準に考えるから、喪失感にかられるんだと思う。
形骸化を悲観にとらえず、限定された行動半径のライフラインが整備されているかであってさ。
来街客を呼ぶ商業計画も大事だが、地元の住環境ありきで、突飛な華やかさにこだわるべきでない。
およそ特徴のない街になるが、必要な機能が揃っていれば、安心して暮らしていける住むこだわり。

時代にも、棚卸がある。
期首在庫がいつまでもないように、消費と仕入れがあって、期末在庫となる。
「最低限の必要在庫はなにか」 それが街の 「棚卸資産」 だから、悲観することでもないんだ。
優良在庫を置いておけば、細々ではあるが人は集まると思う。

ボクが自家用車を必要としないのは、街に住環境と交通機能が整っているから、なくても充分。
高齢社会でも安心だし、最先端のアイテムや流行があれば充実するが 「おまけ」 程度に思ってれば、欲求に一喜一憂せずとも、空洞化に惑わされすぎずにいられるのでは。

三越の閉鎖で、ひいきにしていた、土用丑の日のうなぎ店、一部の洋服店やテナントは失う。
売却がうまくいけばいいが、個人的に生活上の根源以外に、書店と喫茶店、顔の利く飲み屋があれば、年齢的に充分だ。

街への依存度が多く、満たされぬ思いが募るなら、少し欲求を小さくしていくことも在り方かと思う。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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