桜前線が北上している。
「どこで花見をするの」 酒場でそんな会話を耳にするようになった。
この2〜3年ほど、シーズンは日暮れの 「やすらぎ堤」 を歩き、途中 「空中庭園」 でコーヒーを飲み 「白山公園」 の夜桜を満喫して、街中で食事をするのが、例年の花見コースとなる。
ラフな格好でスニーカー、スキッドボトルを胸ポケットに用意し、チビチビと舐めながら、桜の花びらが 「ひらひら」 と舞い散る音を感じていたい。
実は、自由に花見をできるようになったのは、この10年ほどである。
それまで、ほとんどの休日は、妻と一緒に父の介護に私生活を捧げ、平常心で見れるようになったのは特別養護介護施設に入所できてからなんだ。
施設は、やすらぎ堤の桜並木沿いにあり、桜咲くころに自転車で面会へ向かう途中 「ゆらゆら」 風に揺れる桜の花の下で、開花のよろこびに生命を感じていたものだ。
わが家にとって、桜は特別なものではないが 「日常が命をささえた」 経験があったからこそ、開花の想いはひとしおである。
桜を見上げると、故人や大事な人を思い浮かべるのは、日本人として 「和なる本能」 かもしれない。
去年の桜が 「祈り」 だったことを思えば、今年はだれに感情を託し、心から祈るのやら。
2018年03月27日
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