2017年06月14日

こういう話

忙しい日もあれば、ひまな日もあるから 「水商売」 なんだとか。

商売は確約のない日々だから、商いとはあきないことともいわれる。

6月も後半になる。
日めくりをしていると、今年ももう半年、まだ半年なのか、日々の気分は揺らぐ。
ボクなんて、着地点など甘いことは言ってられないけど、時間が限られていることに変わりない。
だから、くだらないことにかかわらないし、見切りをつけることもあれば、そう多くを深く考えすぎない。

先日、親の介護もしている、50代のお客さんが 「痴ほう症の親父が、オレ (息子) に対して、敬語をつかうようになってさ」 とひとこと。
息子の世話になっていることを、申し訳ないと思っているのか、それとも改心したのか、あきらめの胸中なのか、その心境は定かではない。

思いあたることがある。
親父が70代になった頃ぐらいから、時おりの会話に敬語をはさむようになった。
覚悟をもって介護をしていたので、息子に敬語はやめてほしかったけど、親として何らかの償いめいた思いが、言葉として発せられたのかもしれない。

今年で、53歳になる。
年上には 「オレのことは、名字を呼び捨てで、かまいませんよ」 と気軽に伝えている。

それは柔道部で培った経験をいえば、学年の上下関係はあるものの、先輩は自分より強い後輩には、面と向かって呼び捨てにしにくい、もどかしさがついてまわっている。
ギクシャクした関係もイヤなので 「呼び捨てで、いいですから」 と言っておくことで、先輩は立場を温存できるし、年上の面子も保てるものである。

当然、会社の上下関係はそうはいかないが、体育会系の重んじる精神なら、面子は大事にするもの。
そのかわり、年上を説教するときは、淡々と敬語で詰め寄るから、一定の緊張感は敷かれてはいた。
まあ、恥知らずの年上には、面子を守るような配慮はしないけどさ。

晩年の親父は、口数が減る一方、敬語になったときは、それまでの生きざまを思い返したのかな。

世知辛い今、お客さんと 「こういう話」 をできる場所は、これから少なくなるだろうね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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