2017年05月01日

ふるさと

新潟市出身の文学作家 「坂口安吾」 は無類派として、その名を残している。

作品に触れたことはないが 「ふるさとは語ることなし」 の名言だけは知っている。
故郷、新潟への皮肉や反発、愛情や望郷、どちらの意味にもとれるが、慕情的に思える。

ボクは家庭の都合で、東京と新潟を何往復かして、東京からの転校生として、母親の実家がある新潟の下町 (しもまち) で育った。

時は高度成長期の頃、住まいは環状7号線と甲州街道、井之頭通りにほど近い世田谷で、まだ規制が緩かった光化学スモッグと、車の排気ガスが立ちこめる街。
だが一変、新潟に移り住むことになり、友達と別れなきゃいけない、素朴な寂しさを初めて味わった。

夕方5時に鳴る、新潟造船所のサイレンを時報代わりに、鉄さびと潮の香りが入り混じったような町。
西の防波堤に腰かけて、信濃川の河口から、海に向けてゆっくりと過ぎ去る佐渡汽船のカーフェリーを眺めながら、子ども心に 「このまま、新潟で暮らすのかな」 とぼんやりと考えていた。

というのも 「この町は東京とは違う」 とガラの悪さに対する防衛本能が働き、結果として柔道を13年も続けたんだから、いかにシンプルな動機だったかわかるもの。
子ども心にありがちな 「かっこいい」 でなく 「やらなきゃやられる」 そんな思いの方が強かった。

故郷なのに 「よそ者扱い」 されたことへの反発。
下町は知らない人間を無視する風潮があり、そのくせ生活の範囲で人間関係を知る者同士で築いて、それ以外は寄せつけない、ある種の 「村意識」 が残っていた印象がある。

だから、仲がいいのか、悪いのかわからない環境で、買い物に行く店も決まる。
程度問題、客であるうちは、良くしてもらえるが、客でなくなると知らん顔される。
たまに、古町の大和デパートへ家族で出かけるも、そうでない限り、地元を使う濃密さがあった。

それが、下町の義理堅さ、素朴な雰囲気なんだ。
具体的に言えば、八百屋と魚屋はここ、床屋はここという具合に、小さいころから行く店は決まっており、下手に素通りできない 「ご近所の目」 みたいなものがある。
閉塞性は感じるが、地域の束縛感が安全を担っていたのは、確かな雰囲気だった。

10代は新潟で過ごし、そのはざまで会う 「東京の友達」 と比べると、同い年なのにまるで違う。
見た目、TOKIO 「山口達也」 のようなルックスで、流行や情報、あらゆる価値観を柔軟に受け入れ、洗練されたイメージで、その会話に入れないほど、豆知識や性知識も豊富だった。

そこで 「いずれ、東京に戻っておいでよ」 とか言われると、思春期の気持ちが揺れ動き、その意識は次第に膨らみ、東京志向は強くなっていく。
新潟は、縁故社会とはよく言われ、仲間意識も強いのもいいが、縁のない人間とはかかわりあわない、排他的な印象はぬぐえなかったし、新潟市郊外へ行くほど、その傾向は強かった。

まあ、今思えば 「都会への渇望」 もあったと思う。
若さゆえ、裸一貫で上京したことが、少しの人生修行になったし、あのまま、新潟に住み続けていたら、同じ町で同じ顔ぶれとだけつきあい、変わり映えのない考え方にとどまったかもしれない。
きっと事情なければ、新潟へ帰ってこなかっただろうが、それこそ坂口安吾 「故郷は語ることなし」 の心境だったと思える。

読んでないが 「置かれた場所で咲きなさい」 というタイトルの著書を目にしたことがある。
咲かせられないとしても 「この街にいたことが、人のためになっていた」 ことを実感できればいい。
「故郷に恩返しをしたい」 など、心に微塵もないが、仁義は欠いたらいけないとは思っている。

そんな今となっては、地元で骨を埋める覚悟はできているので、新潟を愛せるようになってきた。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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