2016年11月18日

アドレナリン

新聞を読んでいると、首をかしげたくなる記事も少なくはない。

あらためて、ボクの思考に右も左もない。
しかし、最近の世の中は、極めて 「0か1」 (イエス Or ノー) の思考が強すぎるようだ。

先日、PKOによる、陸上自衛隊の 「かけつけ警護」 の法案が閣議決定された。
それに対する、家族の心中はおもんばかるが、なぜ後方支援が 「隊員の命を軽視する」 になるのか、その報道に冷水を浴びせたくもなる。

弾が飛び交う前線部隊に派遣されるわけでないし、すべてを命に結びつけるなら 「だったら、最初から自衛隊に志願するなよ」 になる。
衣食住が国に保障されるから入隊したとなれば、国防の価値観は建前だし、そのための訓練であろう。
それが、治安を守る警察官だったら、ことさら、頼りにもならない。

命の尊さはわかっているし、危険性の高い任務に挑む、自衛官や警察官には敬意をもっている。
それでも 「何が起きるかわからない」 ばかりでは、逆に、彼ら本来の志を折ることになるだろう。
あんまり、極論ばると、その状況に不自然な形で、適応してしまうことがあるからね。

気になる記事が、もう一つ。
いじめられた 「中学生の手記」 は記憶に新しい。

福島第一原発の事故を受けて、横浜に転入した中学生が 「放射能がうつる」 と、心を傷つけられ 「賠償金をもらった」 と恐喝され、相談しようとした教師には、空目を使われていたという。
しかし、彼は 「死にたかったけど、震災で死んだ人を思えば、ぼくは生きることに決めた」 と、いじめと対決する姿勢で末尾を締めた。

人間には、感情や好き嫌いがある以上、いじめはなくならない。
「いじめゼロ」 の正論より 「いじめは許さない」 の方が、まだ、現実に即しているだろう。
それに、大人社会になれば、手の込んだ狡猾 (こうかつ) レベルとなり、生きていれば、いじめの類はつきまとうものだ。

進んで経験することはないが、いじめにあった子は、たくましくなると思われる。
そんな、いじめに対して、周囲は 「やめろよ」 の声を上げて、いじめられた相手には 「大丈夫か」 の励ましや慰めの言葉をかけるだけでも、気持ちは救われるし、前提はいじめに加担しないこと。

今は、何食わぬ顔をして、見えないところから、人の心を折るようないじめをするから、タチが悪い。
その意味で、彼の手記は自殺せず 「いじめをはねかえす」 意志を社会に投じた。
ひとりじゃ、心許ないが、仲間がいれば、精神の 「アドレナリン」 が煮えたぎるものだ。

いじめから逃げる選択肢もあるが 「あんな野郎の子分になるぐらいなら、周囲と連携して戦う」 勇気もこれからは必要だし、何でもいじめにされてしまう過敏さは神経が疲弊してしまうが、それに気づかない周囲の鈍感さ、いや、知らんぷりはもっと問題だ。

青年の主張みたいなことを書いたが、因数分解や連立方程式は解けなかったけど、ブレーンバスターと四の字固めは得意だった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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