2016年08月29日

My Father 2

親父が死んでから、3日間は葬儀や役所の手続きなどで、公私に忙しなかった。

妻とは 「気が張っているうちに、やるべきことをやろう」 と、そんな二人三脚だった。

葬儀の風習は、通夜から葬式、出棺に火葬だが、密葬は儀式や参列を省き、近親者だけで見送る。
出棺前、棺に花を添えているとき、目にうっすらと涙こそかすんだが、喪主として役割を果たすまでは、泣くものかと気丈にしていたせいか、気持ちの表面張力は決壊寸前な状態だった。

お骨を胸に抱えて、帰宅した夕方。
伯母に電話で親父を看取ったことを伝えると 「本当によくやってくれて、ありがとうね」 と最後の一滴を垂らされた瞬間、15年間の介護が報われた気持ちになり、涙があふれて止まらなくなった。

一般的に長男と嫁は 「親の介護はやってあたりまえ」 の古い風潮がある。
近所への気がねや、周囲の心変わりに戸惑い、仕事と介護の両立をわかってもらえない。
また、経験にないことは、無関心な空目体質を見たり、その 「あたりまえ」 がどれほど大変なことか、経験をした人でなければ、なかなか理解されにくい。

長年、終わりがどこかわからない 「残された時間」 は、山の天気のように生活環境も変えた。
このあたり、親父が身をもって老年期の姿を教えてくれたようで、排泄の世話に着替え、食事の介助や体の動かし方、文句も言わずに痴呆を見守ることなど、いろんな経験をさせられたと解釈したい。

同時に何度も頭を下げて、介護施設に入所できてからは、自らも行っていた身体的な介護の必要はなくなったが、そのときの経験があったので、介護を見る目は養われていたと思うし、それからは精神的な介護 (面会) に絞れたことで、われわれ家族は助かった。

また、訪問介護以降、要介護 5 (全介護) に認定されても、あずけっぱなしにすることなく、定期的に面会へ出向いて、心と体の生活状況を確認し合うことで、入所施設でトラブルもなく、終末期の病院でも恵まれた医療環境で過ごせられた。

そんな、人生最期の居場所から、危篤の電話をくれたのは、その病院で偶然に看護師で担当していた、店の常連客だったことは奇縁であり、彼女らのエキスパートぶりには感謝している。

それでも、親父の死を実感したのは、数日後に新聞のおくやみで名前を目にしたときかな。
そして、安らかに永眠した親父の姿をきっかけに、家族のわだかまりも少しだけ、ほぐれた気がした。
そうだ‥  皆  「親父を愛していたんだ」  

老年期の親を持つ同世代、きたるべき日に備え、介護経験者として、惜しむことなく執筆。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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