親父が死んだ。
8月23日 朝9時43分 医師の立会いのもと、病院で息を引きとったことを確認した。
去年2月に入院するときは、病院の正面から一緒に車椅子で入ったのに、帰りは寝台車に乗せられた親父の遺体に付き添い、裏口からひっそりと出ることになった。
覚悟は決めていたものの、唐突な別れに実感を持てなかった。
いつもなら、寝てる時間なので 「俺は今、夢を見ているのか‥」 と、乾いた感情に包まれた。
そのときだけは、励ましやいたわりの言葉は耳に入らない。
自然と入ってきたのは、夏の終わりを告げるように響き渡る、セミの鳴き声だけだった。
そして、父親世代の青春をプレイバックさせるような入所者の歌声が、どこからか聞こえてきているとき、霊柩車を待つカーテンにおおわれた病室では、穏やかに眠る父の顔を妻と一緒に見つめていた。
人の悲しみは、個人的なことだと思っている。
それでも、気力を保つため、店を休まずに開けていたので、そのときはだれにも知られていなかった。
客が途切れた夜半、たまたま流していた 「ビル・エヴァンス」 を聴いていたら、知らず知らずのうちに、父親との思い出に気持ちが傾いていた。
後日 (24日) 正午に安置所から出棺し、親父の遺言通りに密葬 (家族葬) した。
こうして、段階的な介護で多くの愛情に支えられ、15年の闘病生活は 「享年82歳」 で幕を閉じた。
晩年は、家族の顔も忘れてしまったが、一瞬でも心の記憶を呼び起こせたらと思い、面会に通い続けたものの、その願いは叶わなかった。
午後3時、遺骨を胸に抱いて帰宅し、仮眠をとるため、あえて日光をとりこんだ寝室に軽く横たわった。
しばらく、そよ風にフワッと舞い上げられては、またしぼんでしまう、レースのカーテンを眺めていた。
時は流れて、28日 休日の昼下り。
あの日の心境を思い出し、自宅で澄んだ気持ちで執筆。
空が高く感じて見えた・・ 夏が終わる。
2016年08月28日
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