2016年08月10日

R. Chandler

連夜、仕事を終えて自宅に帰ると、時差がいい具合にオリンピックの生中継をやっている。

たとえ、競技のルールは知らなくても、見ているだけでも引き込まれてしまう。
それは、スポーツマンシップに裏打ちされた、国の威信と個人のプライドをかけた戦いだからだ。

こんなことを言った、フランスの詩人がいたよね。
「もし、私が神だったら、青春を人生の終わりにおいただろう」
それほど、若さは儚くも、うらやましいものなんだ。

柔道であれば、ボクがやっていた競技だから、体感的に理解とひらめきを覚えるが、肉体は戻せない。
また、戻そうとも思わないし、完全燃焼したことに未練はない。
だけど、スポーツを通じて、成長するための競争ができたことは、貴重な経験だったと思っている。

男の世界、どんなに強かろうと礼儀や常識を知らないと、人として欠陥がありそうで信用されない。
なぜなら、柔道はその気になれば、相手を素手で倒すための技術 (投げる・極める・締める) だから、人間教育をされてないと、社会に何の貢献も価値ももたらせない、迷惑人間以外の何者でもなくなる。

これはスポーツ全般に言えるが、本当は成熟してない者にスポーツを教えるのは責任があることだし、ひいては指導者の問題に行き着くから、教えることは使い方を誤らせてはいけないんだ。
野蛮人を育成するためのものじゃないからね。

アメリカのハードボイルド小説で有名な 「レイモンド・チャンドラー」 の言葉にもある。
「強くなくては、生きていけない。 優しくなくては、生きている価値はない」 (Raymond Chandler)
日本人ウケしそうな、夢や希望、絆になんちゃらの前に、それがわからないと意味がおぼつかない。

それは、一流選手に必要な資質で技術の習得以上に、人柄を示す方が人から厚意を持たれるよね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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