2016年05月26日

昭和一桁

帰路、雨がポツポツと降ってきた夜道で 「今生の別れになりたくないな」 と思わせられた。 

浅い時間に来店した高齢は87歳、4人全員80代の男女に対する思いの丈となる。

長老である87歳は、ボクの中学時代のクラスメートの女子の父親であることが後に分かった。
また、定年退職後、妻と同じ職場を共にしてた時代もあり、人のつながりは 「どこのだれと、どのようなつながりをしているか」 わからないものである。

開店以来、わずかな縁をきっかけに、いつまでも気を遣っていただける、この世代の 「義」 すなわち、義侠心みたいなものを感じてしまう。

「あと何年も生きられないから、会えるのはこれが最後だと思ってくれ」
「もう飲めないから、オレの分も飲んでくれ」
まるで、自分の親父に言われているようで、思うところが押し寄せてくる。

そんな皆さんは、新潟のしも町で暮らしていた方々で、あの時代の昭和一桁生まれの人は、自営業で家族を養ってきた人も多いから、個人商いの大変さをわかっている。

だから、少し憎まれ口を吐きながらも、応援にも似た 「粋」 を感じさせてくれる。
正直、深いつきあいではないが、これも何かの縁だと、晩年の枯れた人情が心を打つ。
しかも、当時のしも町の 「あの人、この人」 が、矢継ぎ早に出るんだから、その記憶は尊い。

戦時中の厳しさと貧しさを経験しながら、高度成長期では汗水を垂らして働きつめて、晩年の破天荒な部分もあるが、自分の体力もわかっていながら、こうして会いに来てくれるんだ。

同じ話ばかり繰り返されるけど、横やりを入れずにつきあわせてもらうことも、自身51歳にして若輩者の仁義だと思っているし、何よりも気骨を感じてしまう。

長老は何度か老体にメスを入れながら、たしなむ程度の酒とたばこを楽しんでいる。
水割りを作るボクの指先も思わず、普段の分量より薄く注ぐことで、無意識に気遣ってしまうものだ。

そうそう、何でも、同じクラスだった娘さんに、ボクのことを話したら 「憶えていない」 と言われたらしく 「俺って、よっぽど中学時代、嫌われていたんだなあ」 と大笑いした。

確かにあの子‥  勉強もすごくできたし、向いている方向からして、土台が違っていた。
そんな娘さんの今は、新潟で高校教師をしており、目指すべき道が違いすぎていたわけよ。

まあ、長老は職場が一緒だった、妻に会いに来ることが目的で、ボクなんて付録なんだけどね  (笑)

思い出は個人的なものだけど、世の中 「義」 を廃らせちゃいけないことを教えられた。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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