しゃべったことはないけど、おたがいの存在はわかっている。
そのうち会釈を交わすようになり、かんたんな挨拶ひとつ、何かのきっかけで気軽に話せるようになる。
その時点で、少なくても相手の警戒心は解けているわけで、これが本来のプロセスかと思える。
街中で 「いつもはいる時間なのに、最近あの人は見かけないな」 とか。
買物するにも 「最近、あの店員さんはいないけど、どうしたのかな」 など。
情にも似たような気持ちが、日常生活を豊かなものにしてくれる。
日常に現れる 「登場人物」 は、だれでも複数は思い浮かぶだろう。
そこは時間が積み重なってたり、何度もすれ違った空間だから、言葉を交わさなくても、意識や体温は伝わっているものだ。
つまり、日常は顔見知りの中で生活をしているから、社会的なことを考えれば、少しはきちんとしている必要があるし、個性の違いを認識しながら、人つきあいは切っても切り離せないものがある。
だったら、ヘタに構えず、堂々と生活をしていた方が、気持ちがいいに決まっているからね。
こうして文章にするとむずかしそうだが、実は 「だれもが思っていること」 にしかすぎない。
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