2016年05月10日

64 (前編)

9日 午後1時50分上映 「64/ロクヨン」 (前編) を見てきた。

思わず 「男泣き」 しそうな、ヒューマンドラマがここにあった。

天皇陛下が死去した 「昭和64年1月7日」 は、日本国民が喪に伏して黙とうを捧げた。
しかし、その訃報の影に隠れた報道となったのが、少女誘拐殺人事件、別名 「ロクヨン事件」 である。

結果、犯人に身代金を奪われ、少女の救出にも失敗し、事件から14年が経過しても、犯人の手がかりすらつかめず、未解決のまま時効が1年後に控えていた。

そのとき、当時の県警捜査班が初動ミスをおこしていたことが、14年後に明らかになった。
自宅班が犯人につながる重要な手がかりを録音できず、追尾班も犯人を目前で取り逃がしたばかりか一部の捜査官ぐるみで捜査ミスを隠ぺいしたことで、かかわった人たちの人生までも狂わした。

時効が1年に迫ったある日、新たな 「ロクヨン模倣事件」 がおきてしまう。
その真相をめぐって、反目し合っている警察の内部組織、報道の使命を押し込んでくる記者クラブ、  人の相関図は当時と変わったが、被害者家族も含めて、全ての人物が事件に絡みあってくる。

その事件のペースメーカーになるのが 「佐藤浩市」 演じる、元ロクヨン事件の捜査班、現在は警察 公報室公報官 「三上」 である。
紆余曲折、今の部署に配置転換されて、家族の問題を胸に秘めたまま、公私の心情が葛藤する物語。

ボクのあらすじでは到底つたないが、これまでの単純な刑事ドラマ (映画) とは違い、ある程度は 「40〜50代の気持ちを代弁している」 ように感じた前編であった。

40〜50代になると、組織においては周囲との軋轢を避けて、空気を読んで人と歩調を合わせることに長けてくるのが常である。

男の世界にあって、自分に保険をかけず、しかも退路を断ち、正しいと思ったら迷わず主張をする姿に憧れながらも、なかなかそれができない 「自分という観客」 に、涙する映画だと思えた。

また、細かいディテールになるが、佐藤浩市の妻役 「夏川結衣」 紅一点の部下役 「榮倉奈々」 が、孤独な彼の心の拠り所になり、その言葉の端々から、良き戦友であることが、ひしひしと伝わってきた。

前編の感想、今の日本人に必要なのは、派閥で大威張りすることでなく、佐藤浩市が演じた、名づけて 「三上力」 (みかみりょく) である。

後編の封切りとなる、6月にひとつ楽しみが増えたというものだ。
 
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分という観客に涙する映画とは、マスターの表現に恐れ入りました。

週末のレイトショーを観た帰りに、久々に立ち寄りたいと思います。
Posted by ガッツ・石川 at 2016年05月10日 21:18
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