2016年04月19日

神の存在

いやはや、この年齢になって、街中で 「神を信じますか」 と声をかけられるとは思わなかった。

今は、神は神でも、こっちの 「髪」 のほうが、心配なのにさ‥

20代の頃、街中でアンケートに答えたら、新興宗教の集会所に連れていかれたり、知人宅に食事へ 招かれたら、数人に取り囲まれて何かの勧誘がはじまったり。
原宿を歩けば、絵画を買わされそうになるわ、上野を歩けば、自衛隊に入隊させられそうになるし。

あの頃、よっぽどお人好しな顔をしていたのか、次々と声をかけられるんだよな。
あんまり人を疑わなかったけど、目的がわかればハッキリさせるから、その先の世界は知らないんだ。

今は笑顔で近づいてくるのは、選挙期間中の候補者ぐらいで、ここ何年かはネコにも無視されている。
それなのに 「神を信じますか」 と、近寄られてもなあ‥

人の見方には 「性善説」 と 「性悪説」 の両面あるが、どっちなのか単純なことではない。
神とは、性善説の象徴めいたところがあり、何か悪さをしても悔い改め精進すれば、だれでも救われる都合のいい曖昧さもある。

また、神の存在が人の自由を奪うこともあるし、そのくせ 「神様お願いします」 と無意識に拝んでいるんだから、宗教たり得るというか、何だかよくわからないよね。

ボクが思うに、生後まもない赤ん坊は 「善」 であり、生きていくために 「悪」 となってしまい、死期を悟ったとき 「善」 に回帰するのが、自然のプロセスなんじゃないかな。
性善説で命を授かり、性悪説で生きて、性善説で死ぬことで、心のモヤがスッキリするような気がする。

つまり、生きる動機の中で、悪が混じりこむのだろうし、人間は動物を殺めて生きる必要悪なんだ。
生き抜くための黄金比で考えれば 「性善説7割」 「性悪説3割」 が、精神バランスはとれるだろうし、かくなる上の7割があってこそ、3割が葛藤になるであろう。

神の存在も7割は信じて、3割を疑ってかかれば、身を犠牲にしてまで、狂信的にならなくてもいいから、宗教も詰まるところ、バランスなんだろうな。
まあ、目に見えない論争になれば、どうしても理屈のこね回しになってしまうからね。

「神を信じますか」 と聞かれたら、ニコッと愛想よく過ぎ去るけど‥  何でオレなのよ‥?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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