その心は 「脱ぎ方こそ、伝え方である」
昭和の青春を経験した男なら、ヌードショーの一つや二つ、見たことはあるだろう。
そのとき、どう感じたか。
どんなにきれいな踊り子さんでも、いきなりバックステージから、ジンジロ毛を揺らしながらバンと登場し 「ヘイ メーン カモーン」 なんて叫ばれたら、生理的な興味はおろか、欲求を満たすことも忘れて、 サッサと逃げ出すだろう。
男を興奮させる脱ぎ方を無視すると、芸術も色気もへったくれもなくなる。
脱ぎ方の上手な女性は、男のデリケートさがわかるから、隠すところは隠して欲求を満たせる。
見えそうで見えないし、見させようとして見させない。
最後の一枚は上手に隠して、そうカンタンには見せない、踊り子としてのプライドがあるんだ。
人間関係も同じだと思う。
露骨に局部 (本音) を見せられたら、それは相手もおどろいてしまう。
これも上手に隠すところは隠しながら、少し時間をかけて脱いだほうが、安心と色気を感じる。
脱ぎ方や脱がせ方は、人の優しさや礼儀みたいなものだ。
乱暴に脱いだり、脱がせたりせず 「生の感情」 には、一定のルールがある。
初めての夜、もしかしたら、人に見られたくない、裸の傷があるかもしれない。
エチケットとして、部屋の灯りはおとしておくとか、体と心にもフォーマルとカジュアルがある。
局部や本音、何でもかんでも開けっ広げにするんじゃなくて、一枚ずつ脱いで一枚ずつ脱がせることが長くいい気分にひたれる 「大人の関係」 という気がしなくはない。
そんな脱ぎ方、脱がせ方をわかっていれば、コミュニケーションに悩むことはないと思う。
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