2015年12月15日

パ・リーグ

プロ野球談議に、花が咲いた夜。

プロ野球を初観戦したのは、昭和49年の小学4年生の夏休みで、後楽園球場 「巨人×大洋」 戦。
奇しくも、巨人は中日に10連覇を阻まれ、国民的ヒーロー長嶋茂雄が、惜しまれながら引退した年だ。

そんなことも知らず、ただ電光掲示板に映し出されていた、テレビでなじみのクリーンナップ 1番/柴田 2番/高田 3番/長嶋 4番/王 ‥ をながめながら、プロ野球の熱気を初めて体感した。

子ども心に、野球が好きになるきっかけに居合わせながら、巨人のファンになれなかったのは、人気がありすぎて、強いことに他ならなかった。

そのころから、強きを打倒する快感があったようで、小が大を制すことに純然なロマンを求めていた。
だから セントラル・リーグ よりも パシフィック・リーグ

それも、この年に日本シリーズを制覇した 「ロッテ・オリオンズ」 を長年ひいき目で見ることになるが、 特定の球団よりも 「パ・リーグのファン」 になった。

同じプロ野球なのに、テレビ中継はなく、観客数も悲惨で、情報は新聞のスポーツ欄で得るしかない。
ドラフトでは 「パ・リーグだったら行かない」 とか、選手が記者会見で半ベソをかいているわけだ。

それと新潟は、パ・リーグの公式試合ばかりだったから、セ・リーグの中でも、取り分け巨人はテレビのスターチームでしかなく、生みの親と育ての親のちがいのようで、どうも感情が伝わってこないんだ。

たまにセ・リーグが来たと思えば2軍だし、大リーグの 「メッツ×巨人」 の親善試合が行われた後には言うに事欠いて 「新潟の球場はボロいから、ケガをしそうでこわい」 だの不服をたれ流したと聞くし、確かにそうだけど 「プロなら、どんなところでもできるだろう」 と反発もあった。

そういう、エリート意識を漂わせているセ・リーグをオールスター戦で、パ・リーグがきりきり舞いにして、日本シリーズになれば、パ・リーグ覇者 「阪急」 あたりが、セ・リーグの覇者をコテンパンにしてくれ
「人気のセ・リーグ 実力のパ・リーグ」 の称号は伊達じゃなかった。

パ・リーグが、陽の目を見るようになったのは、帝国 「西武ライオンズ」 からだが、人気と強さは   比例しないことを教えてくれたのは、あの時代の渋い 「阪急ブレーブス」 なんだよな。

剛速球 「山口高志」 技巧派 「山田久志」 盗塁王 「福本豊」 名手 「マルカーノ」 など。
必殺仕事人ばりの武闘派タイプが揃っており、セ・リーグにはいない、いぶし銀のような面子だった。

後の猛獣ピッチャー 「アニマル」 や パワースラッガー 「ブーマー」 などの活躍を思い出せば、    如何に個性派揃いだったかわかるであろう。

古くは張本や野村、落合や清原、野茂やイチロー、現在のダルビッシュにマー君、岩隈、これからの    大谷や中田など、派生はパ・リーグであり、実力で振り向かせる反骨心が原動力になっているんだ。

そんなフォーカスされにくいのもプロ野球の楽しさながら、あのころはスポンサーの力が絶大だったから引き上げられなかった能力、埋もれたままの才能など、人知れず消えた選手もいたと思う。

そんな会話を元南海ファンのお客さんと交わし、当時資金難に喘いでいたラッシャー木村をエースとした 「国際プロレス」 のような、無骨で泥臭いパ・リーグであったことで、おたがいの剣をサヤにおさめた。

この話、世代がバレバレで、野球に興味がなければチンプンカンプンであろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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