個人消費は横ばいながら、お歳暮のプライスゾーンだけは高くなっていると聞く。
昔ほど、贈答品の需要は少なくなった分、自家消費する家庭も増えているらしく、個人で顔の広さを まかなえるほど、消費の余裕もなくなり、つきあいを広げられない、経済的な事情もあるだろう。
だが、現実的な理由だけで、これまで築いたつきあいが離れてしまうのは、少しもったいないから、 何か工夫はしておきたいところだ。
年賀状は便利だが、定型文の印刷ハガキを送るだけでは、形式的すぎてあまりにも素っ気ないから、 近年は一筆入れるように、関係保持のため工夫はしている。
その間柄によっては、メールでも失礼はないが、何でも便利を多用すると軽薄な印象を与える。
ボクはムリをすることなく、続けられる礼儀だけを続けるようにしている。
毎年、正月の三が日にかけて、過去にお世話になった目上の方には、自分のほうから電話で新年の あいさつをするようにしているのは、人間関係のすべてに通じることだから、ためらいはない。
近場なら、少し顔を見せに行くこともできるが、残念だが、新潟にはそこまでのつながりはない。
だから、渋々とお歳暮を贈り、心のこもらない年賀状を出すぐらいなら、電話で元気な声を届けたほうが誠実な気持ちは伝わるものだ。
頻繁に連絡をする関係ではないが、たった一年に一度の 「長幼の序」 さえ欠かさなければ、きっと 先方はいつまでも笑顔でいてくれるし、何よりもかわいがってもらえる。
ただし、尊敬に値する目上の人に限るが、工夫は 「声の便り」 であり、あいさつと義理がけを知らぬと 厳しいようだが、男の世界では 「小ばか」 にされても仕方ないんだ。
組織の相関図は 「目下に気を遣い」 私生活の相関図は 「目上に気を遣う」 ことは、長年してきた つもりでいるが、人に押しつけることではないので、古いと言われようが、個人的な礼儀作法である。
つまり、目上の人とは、肩書抜きの人間関係をすることが、誠実で健全な拠り所だと思っている。
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