2015年11月25日

深夜の理由

日付が 「24日」 に変わった深夜1時。

7時間にもおよぶ、休日の 「はしご酒」 も終わり、マクドナルドの前でタクシーを降りた。
妻に朝食のハンバーガーでも買って帰ろうとしたが、目の前で突然看板の灯りが消えた。

「あれ、24時間営業だったのでは」 と思ったが、後に知ったことは、全日深夜1時までになったとか。
一時的か、季節的なのか、永劫的なのか、深夜の客足が減少したのか、それとも人手不足なのか。
深夜営業はリスクもあるから、これから減る一方になるかもな。

そういいながら、ボクはバーのマスター兼バーテンダー。
夜に生きる仕事なので、街の灯りが薄暗いと夜長が寂しく感じてしまう。

昨年まで、全日深夜3時まで営業をしていたが、今年からは、平日だけ深夜2時までの営業に変えた。

理由は3つほどあり、立ち仕事も50代に入り、少し体の負担を軽くしたことが1つ目。
それに家族とのだんらん時間を、少しばかり増やしたくなったのが2つ目。
3つ目には、深夜の扉を開けるお客さんが少なくなったことがあげられる。

実はこの3つ目に、長年 「深夜3時」 まで、営業していた理由がある。

「深夜に扉を開ける人」 を想像してみてほしい。

どこかの飲食店や接客業の方、たまに泥酔客と思われそうだが、昔ほど寄り道をする人は少なくなり、タチの悪い酒乱をのさばらせるほどお人よしではない。

「眠れない理由のある」 お客さんもいるんだ。

独り身の寂しさを置きに来たり、悩みをまぎらわせに来たり、時には喜びを分かち合いに来てくれたり、人それぞれの内面は千差万別である。

「介護の現実」 に、直面している中高年もいた。

介護を必要とする親が寝静まり、定刻のおむつ交換や体交を終えて、ようやく限られた時間を持てて、自分を取り戻すことができる。

肉親の変わりゆく心と体を見守れるのは家族だし、真面目な人ほど独りで抱えてしまう傾向がある。

実際、家族間の小さなこじれから亀裂が生じ、そのうち思っても見なかった身内の冷たさに直面したり、さまざまな状況が作り出されていくので、そうなる前の話し合いは不可欠となる。

そんな中高年の止まり木になれればと思い、深夜営業を続けてきたが、もうその必要もなくなってきた。
形骸化した家族も見てきたが、最期はその家族に合った、肩の抜き方に気がついたのであろう。

ここまで書いて何を隠そう、ボク自身がそういう経験をして今があるから、その気持ちはよくわかるんだ。

それに1時間短縮しても、その分お客さんが早めに見えるようになり、今でも良好な関係は続いている。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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