2015年07月16日

15年介護

今週 父親が81歳の誕生日を病床で迎えた。

耳元で 「おめでとう」 と声をかけるが、今では言葉を失っている。
だが、わかってくれているとは思う。

それまで、ひとり暮らしの在宅介護で 「要介護5」 の認定を受けてから、ようやく特別養護介護施設に入所することができ、長年手厚く介護をしていただいた背景がある。

しかし、老いと病状は進行するため、今年から 「来るべき日」 に備えて、医療介護が整っている病院に転院させ、面会で 「心のケア」 を続けている。

15年ほど前からはじまった、父親の介護を通して、家族にはさまざまな状況が作り出された。

先の見えない時間軸に試練をあたえられ、思ってもみなかった周囲の冷たさや追い討ちに直面したり、いそがしいのはおたがいさまながら、身も心も疲労困憊な時期も短くはなかった。
そんな 「介護ノイローゼ」 になりそうな手前で踏みとどまれたのは、妻の献身に他ならない。

人の気持を知るには、その人の立場にならないとわからないといわれる。

だが、介護を必要とする親の面倒を 「だれが、どのようにして看ていくか」 は、先送りの効かない   大きな社会問題となっている。
道徳的な格言、屁理屈で手をこまねいていれば、永遠に人の気持を理解することはできないだろう。

介護は自分の問題でなければ、本当は避けて通りたい。

だが、そうやって空目を使い、いつまでも避けていても、いづれ自分の問題としてふりかかってくる。
そのとき、いかに自分が無関心であったか、ようやくわかるのであろう。
「来るべき日」 とは、自分の問題でもあるのにね。

お節介を焼く必要はないが  「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」  そんな一言でいいんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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