2015年05月28日

ネームプレート

毎年 青や紫の紫陽花が咲くころ、ボトルキープがやや増してくる。

この時期、五月病といわれるぐらいだから、心情的な部分もあるのかな。
仕事を進めるにあたり、世代間や役職間をめぐり、問題の在りかたが見えてくるのもこのころ。

ボトルキープとの、因果関係である。
まず、人間関係は多少にかかわらず、必ずこじれると思っているから、大しておどろくことはない。
自己紹介も最初のうちだけで、このころになると下は上を 「やり方が納得できない」 とつぶやき、上は下を 「今の若いのは使えねえ」 となげく。

両者の言い分はわからなくもないが、おたがいの言い分は、おたがいの耳には届いていない。
言葉の手間を省くから、いつまでもボタンを掛け違えたまま、気持ちの悪い状態だけが続いている。
結果として、それが会社にロスをあたえていることはわかってはいるんだろうが、理論と感情が正面からぶつかると、大方は感情論のほうが幅を利かせてしまうものだ。

「同じ釜の飯を食う」 という、仲間意識を指す言葉がある。
ご飯をよそってあげたり、お皿の料理を取り分けてやったり、美味しいところを譲ったりしながら、チームのほつれた気持ちをやわらげたり、小さいしこりを取り除いていく。
そこにお酒を一滴もれば、それまでいがみあっていたことが、バカバカしく思えたりする。
コミュニケーションの基本原則なんて、本来シンプルなもんだと思うし、その技術云々、能書きにかぶれていると、終いにはめんどくさい人間にされてしまう。

昨晩、ボトルキープの 「ネームプレート」 を新調した。
それぞれのボディを磨きながら 「代表名の中には、いろんな人が含まれているんだろうな」 と思った。
ひとりで飲むもよし、会社関係や友人関係、恋人同士で飲むのもいいだろう。
お近づきのしるしに 「一杯どうですか…」 で、親交をうながすこともできる。
同じボトルを味わうことは、同じ釜の飯を食うのと同じように、身近なコミュニケーションなんだ。

最近の食事スタイルは、共食よりも個食を好み、分配よりも独占を好む傾向にある。

だけど 「たまには飲みに行くか」 「行きます」  そんな普通の会話に尽きるんじゃないのかな…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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