2015年04月03日

新潟市議選

4月12日 「統一地方選挙」 の立候補者が告示された。

中央区に住民票がある立場ながら、感覚的には小学校の児童会選挙みたいなもの。
立候補者が声高らかに演説しても、本当のところは深く考えていなかったであろう。
有権者になれば、社会貢献は一応の建前となり、自分たちへの直接的な利益が本音となるのでは。

今回、中央区の市議定数11人に対して、立候補者は16人だという。
だれとも顔を合わせたことはないし、日常生活で交わったこともないから、思い入れもない。
この時点では、人から推薦された候補者でもいいし、だれの主張であれ、まだなんでもいい。

だが、浮遊票は何かがキッカケで、その候補者に気持ちが向くことがある。
理由は単純で、街中で挨拶されたり、握手を求められたり、選挙カーから手を振られたり。
選挙に当選するための接触なんだけど、初対面の近隣要因って、意外とあなどれないんだ。

児童会長でも学級委員長でもいいが、相手との親しさを基準に投票したと思う。
たとえば、駄菓子屋でアイスを半分くれた、一緒にキャッチボールの相手をしてくれた。
近所のワルガキから身を守ってくれた、悲しそうにしているときにそばにいてくれたとか…
だれかしら、なにかあると思うけど、きっとそんな理由から、票を入れたんじゃないかなあ。

それが、成績優秀でスポーツ万能な立候補者であり、わが小学校をこうしたいと強くアピールをしても、その前に一緒に遊んだこともなければ、普段のコミュニケーションの方が、よっぽど大切であってさ。
大人社会も似たようなモンで、選挙前になったら急にいい人になって接近されても、日常生活で気軽な挨拶ひとつできない候補者に、票を投じるとは思えない。
投じるなら、庶民的な感性の候補者、清貧な精神の候補者なら、発言権を与えてもいいと思える。
もちろん、政策の選択肢もあるけど、物事の答って、カンタンなところにあるんだ。

そのあたりがわからないと地方の活性化、況してや市政なんて動かせるはずもあるまい。
視点を変えれば、多数決選挙なんてのは、多数派工作を制したものが当選する仕組でもあるが、      有権者が少数意見に好奇心をなくしたとしたら、これもまたつまらない選挙になるよね。
それこそ、判で押した台詞 「税金のムダづかい」 である。

統一地方選挙は、地元生活に密着したコミュニティー選挙だから、リアルティーがあっておもしろい。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック