2015年03月13日

Unconditronal Love

11日 東日本大震災から、丸4年となった。

以前、夕方のローカルニュースで、福島から新潟に移住して、飲食店を開業した経営者を取材しているときのコメントが印象的だった。

「新潟の人は、震災のことを聞いたりしない」
訳せば 「傷ついている人は、そっとしておいてあげるのが、新潟人のやさしさ」 と言い換えられる。
ボクは、共感と同時に違和感があった。

新潟県は全国的に自殺率の高いことでも知られている。
この際、真面目な県民性とか、空の色や気候なんて関係ない。
そんな言葉を額面通りに受けると、孤立化につながるおそれがある。

つまり 「そっとしておく」 と 「ほったらかす」 では、根本からして意味が異なる。
自殺者の心理状態は、後者の 「ほったらかしにした」 こともあると思う。
「春が来たから、たまには一緒に外へ飲みに行こうや…」  そんな一言でもいいんだ。

東京新宿歌舞伎町
あれだけの人ごみの中では、偶然に知り合いと出くわすことは少ない。
雑踏のなかに身を置いていると、自分だけひとりぼっちのような気もする。
あの街で生きることは、無縁状態になることも覚悟しなきゃいけないんだ。

新潟市中央区東大通…万代
今では知る顔も多いが、実際は機能してないのが、現代の礼儀であったりもする。
マンション生活でも、引越して来た挨拶のひとつもなければ、隣人に気味の悪さを感じるであろう。
単身化によるところに加えて、人と会わなくても暮らしていける、匿名生活が可能となったからだ。
人口が集中する地域の暗黙ルールなんだろうが、高齢になったときにはその考えは変化すると思う。

三年前 携帯電話にひとり暮らしの初老のお客さんから、本人の命にかかわる緊急の連絡が入った。
即座の対応で一命はとりとめたが、地域の住民同士が機能していないことにおどろかされた。
その証拠に住居区域が離れている、ボクに連絡が来たほどだから、孤立化の現状を目の当たりにした。

一年半後 その人は人知れずお亡くなりになったが、風の便りによるとご遺体の引取りをめぐって、安易に介入できない、複雑な家族関係があったという。
そんな理由もあって、線香の一本もあげられなかったんだけど、生きているときに 「ほったらかし」 にしなかったから、その人を悼む気持ちに悔いはなかった。

ボクは孤立化しないための、孤独力を身につけておきたいと思っている。
ひとりの時間を苦に思わないとか、人との誠実な縁を粗末にしないとかね。
このふたつを心がけていれば、何とか生きていけるんじゃないかな。

孤独は気分によるところが大きいが、孤立はいけないことだと思う。
そのために大事なことは、言葉か行動のどちらかだろうし、時には沈黙もあるだろう。
儒教の教えじゃないけど、人にやったことはいずれ、自分の身に降りかかるともいう。
くどいようだが 「そっとしておく」 と 「ほったらかす」 とでは、根本から意味が異なるんだ。

普段はそんなこと考えないけど 「3月11日 命を考える日」 でもある。
その語彙 (ごい) は、恥かしくなるほど足りないが、考えることは放棄したくない。

Unconditronal Love …  無償の愛

posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
勤続32年、もういい加減に飽きたから、退職したいのですが、人との繋がりが絶えると思うと、躊躇してしまいます。
Posted by ちんこ at 2015年03月14日 01:35
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