2015年03月02日

少年犯罪

「中1殺人事件」 容疑者18歳の父親が代理人を通じ 「息子は殺害とは無関係」 とコメントした。
真相は明らかになろうが、心を閉ざしている被害者家族には、心ない言葉に聞こえたんじゃないかな。

子どもの愛し方 (かばいかた) が、屈折しているんだ。
気が動転しているのか、冷静さに欠いているのか、保身ゆえの他人事に聞こえてしまう。

女子高生コンクリート詰め殺人事件 (1989) 栃木リンチ殺人事件 (2003) にも匹敵する今回の少年犯罪は、加害者側の親の常識が欠落しているのも共通項。
数年前の少年法であれば、無期懲役であっても最低5年、最高でも10年すれば社会復帰が可能とされ過去の事件の首謀者は釈放されても、今度は別件で再逮捕をされた事実がある。
刑務所暮らしでハクをつけて、シャバに出てきたぐらいにしか思ってないのかも知れない。
少年法は犯罪をオブラートに包む性質もあり、被害者家族や無抵抗な子どもには複雑な思いであろう。

新たに被害者の知人少年らが、加害者に暴力はやめるように押しかけた経緯があった。
気骨のある少年らがいたにもかかわらず、大人社会の鈍感さによる責任は大きいと思える。
薄々何か起きてるのを知りながら、地域が機能性を発揮できないんだから、ワルガキになめられるのはあたりまえのことである。
そのワルガキ連中だが、強いものにはからっきし弱いけど、弱いものにはめっぽう強いのが特徴だ。
いや、強いというよりも、弱い者を見せしめにして、自分を等身大に誇示しているだけだろう。

力だけの世界に限れば、自分より強い存在だとわかれば、単純におとなしくなる。
しかし、それだけでは、教育的な見地に欠けてしまう。
ならば 「こういうことをしたら、こういうことになるんだ」 という、現実的な罪状を具体的に教育すべきで 「こわいものがない」 と豪語しているのは、教育が行き届いてない者の常套句である。
「少年いじめ」 の中に、犯罪を犯している自覚がないんだから、罪状で追及するべきだと思う。

具体的なことを言わないのに、社会問題を理想論だけで横やりを入れる人がいる。
しかし、犠牲となった少年の周囲にいた 「固有名詞」 は議論されるべきじゃないかな。
教育は知識にかぶれることじゃなくて、あたりまえの感受性なんだと思うけどね。

今回の事件は、暴力の上塗りで日本人である心まで、暴力を振るわれたようなそんな気持である。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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