2014年12月22日

神様教育

人は怒りのスケールによっては、それまでの魅力を失ってしまうことがある。

最近では、大韓航空機の 「ナッツリターン事件」 のように、分別のわかる大人が公共性のある場で、鬼の形相で感情を爆発させている。
乗務員は謝っているのに、あそこまで人を追いこむ、しつこさは常軌を逸しているわな。
ぜいたくな生活を気取り、自分の権限を利用して、従業員を奴隷のようにこきつかうんだからさ。
まあ、今にはじまったことじゃないけど、社会的にとりあげられるようになったのも、耐え難き限界点まできているからなんだし、日本社会でも対岸の火事ではない。

個人的には、こういうことも理由にあげられると思う。
一つ目は感動をウリにした、過剰なサービスの提供。
二つ目には早さをウリにした、せっかちなサービスの提供。

スーパーに貼り出されている、「お客さまの声」 など読むと、「お辞儀をしなかった」 だの、どうでもいいようなことまで、つぶやいているんだよなあ。
まあ、用紙に書く手間を考えれば、ネットに投稿するより、まだマシなのかも知れないが。

商品のリクエスト、耐え難きクレームなら別だが、はしたない 「いちゃもんレベル」 なんだ。
皮肉にも、お客さんを 「神様教育」 したのは、まぎれもなく 「行き過ぎたサービス」 だと思う。

そんなの、CS (顧客満足度) じゃないし、お客もクレームを探しているようで不健康だよ。
このあたり、何度か書いたことがあるので省くが、これから問題となってくるのが三つ目。

病院へ行くと、「院内で暴力や暴言おことわり」 なんて、貼紙を見かけることがある。
スーパーでも、中高年の男が店員を大声で、怒鳴り散らしている場面を見かけたことがある。
中高年の女にもなると、ネチネチと店員の首を真綿でしめつけるようにしてクレームを出している。

よほどのことかと思いきや、「自分に対する接客がなっていない」 ほとんどそんなレベルである。
そこで共通しているのは、過去の肩書にあぐらをかいているような、社会性のない高齢者なんだ。
ご立腹と言えば聞こえはいいが、「ハードディスクが壊れている」 だけであろう。

つまり、「神様扱いされたサービスに慣らされた世代」 が、問題を起こしだしたと思える。
対して、近年の若者は内向的になっているから、昔ほど手におえないガキは少なくなっている。

若いころ、1日24時間は長かった。
しかし、高齢になると思いの外、時間が過ぎていくのが早く感じてしまうようになる。
残された人生、言い知れない焦燥感が生まれて、それが引き金になってしまい、つい短気をおこして    しまうのかもしれないし、何よりも怒りには人格がひそんでいるものだ。

だけど、本当に怒らざる得ないときがある。
そのときはイヤミなジャブを当てるより、一発のストレートを浴びせたほうが、クレームに真実味はある。
このあたり、「チンピラ」 と 「任侠道」 の違いで、任侠的な怒りを忘れてしまうと、相手に憎悪の念を  抱かれてしまうから、伝え方に注意を払いたいところである。

ようするに、公共の場で 「チンピラ劇場」 を見せられる庶民の立場にもなれであり、本当の怒りには  気品とか気高さがあるんだよな。

だから、「木枯し紋次郎」 を見るべきだ ?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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