子どものころから、「それ」 は見慣れてはいたが、同時に憧れでもあった。
銭湯の下駄箱の上、脱衣場の括りつけの棚などに、少し色あせた洗面器が並んでいる。
その中身と言えば、石鹸にシャンプー、ナイロンタオルなどを貸し出す分かと思っていたが、どうやら 常連客のあずかり分らしい。
そもそも、あずけられる人とは、どういう人であろうか。
常連客だけに与えられた特権のようなものだろうが、見る限りあまり使用されているようには思えない。
中には何ヶ月、いや、何年もそのままにしてある洗面器もあるようだし、番台の店主も整理に困っているどころか、まったく気にかけてもいない様子である。
僕が育った新潟の下町では、洗面用具を預ける人は新潟鉄工所や町工場に勤める工員さんと相場は決まっており、ほぼ毎日のれんをくぐっていた記憶がある。
ここ沼垂地区では、定期的に寄港する船員さんらが、信頼を条件に置かせてもらっているようである。
それに近隣のお年寄りのモノであったりね。
洗面用具とは、決して他人が手を触れてはならないもの。
なぜなら、生身の体を洗う神器だから、それを無断で使用することは、他人の性器に触れる行為だ。
(なんだかオレ、すごいこと書いたような気がする…)
この1年ほどは、銭湯に行く回数は減ったけど、月に1〜2回はのれんをくぐるので、本当は洗面用具を預けておきたいんだけどね。
肩にタオルだけ引っかけて、下駄を鳴らしながら、サッパリと身ひとつで帰ってこれたら粋じゃない。
それは、近代的な入浴施設では似合わないし、やっぱり昔ながらの銭湯なんだよな。
何年も銭湯に通っているけど、番台と親しいわけでもなく、顔なじみを作りたいとも思わない。
あくまでも、温かい時間と静かな空間の中で、疲れをとりたいだけなんだからね。
まあ、洗面用具をあずけるには、それなりの場所も借りるんだから、憧れなれど厚かましいかな…
でもね、棚にいつまでも古ぼけた洗面器が置いてあるのを見ていると、「もしかして、この持ち主 (老人) は、もう、この世にいないんじゃないのか…」 と。
そんな、人生の一抹を感じさせることもある。
子どものころから、見慣れている 「それ」 は、どこか地域に根ざした特別な特権を持つ、銭湯の達人による、象徴のように思えて、少し憧れているんだ。
2014年11月18日
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