2014年11月07日

人を選ぶこと

「論より証拠 態度で示せ」 
コレ、今の新潟柳都中学校 (旧・舟栄中学校) 一年生のときのクラス標語の一節である。

これまでの人生は文字通りに行かなかったが、社会生活で調子がいい奴の不快さを多く味わってから「口だけ番長」は、アテにしないようにしている。
人を判断する上で、小さな基準にしているのは、行動でしか認めないこと。
だからと言って、相手にトゲを持つことはないけどさ。

新潟市長選挙を2日後にして、連日街宣カーから、筋肉質な声が響いてくる。
夕方の新潟駅前から、万代周辺においては通行量が増すので、一段とテンションが上がるのだろう。
当選と落選では、天国と地獄のような違いがあるらしい。
心理戦でいえば、如何に庶民を操って、得票を集めるか。
まさに、商業原理と同じで、エンターティメントである。

僕は選挙には行くが、この場でだれに票を投じるかは、語るにあらず。
3名の立候補者による、政策広報は読んでいるが、正直なところ 「できるのか」 「変えられるのか」 と思わざる得ない部分もあるから、全てのパーツが優秀なんてのはありえない。
どこかのマニュフェストみたいに、耳ざわりのいいキャッチコピーは、もうコリゴリしているわけだし。
最初は純粋に政策をアピールするけど、当選後は 「あれはどうなったのかなあ」 ってこともあり、   結局は 「パフォーマンス合戦だったのか」 なんて、後味もあったわけでさ。

その訴えを声高らかに伝えど、自分の言葉でないようだと、どこか違和感を覚えてしまう。
もしかしたら、この人… 周囲から担ぎ出されて、ただ神輿の上に乗っかっているだけじゃないのかと、  思えたこともある。

以前、公式な場でこんなことがあった。
社会的な縁があり、その立候補者と初めて対面したとき、迷いを感じている様子の顔に映った。
それよりも一番大きかったことは、その素顔に立候補者としての魅力を感じなかったことなんだ。
人と目を合わせて、通る声でハッキリ話さないから、仲間以外とはコミュニケーションできないのかなと
共感とは逆の負のイメージを持ってしまったんだよね。

自分より立場が上の人たちには、うるさいほどの相づちを打つが、たいしてメリットがない人に対しては
本性がにじみ出てくるもんだ。
本来の選挙って逆であってさ、仕組としては本末転倒であり、一票の重みがわからねば落選する。
こうなると、うわべを繕った正論にしか聞こえなくなるから、人の心理は不思議である。
昔からよく言われるように 「人は会って5分」 で、その人の印象を決めると。

字に置きかえると少々堅苦しく感じるが、僕の考え方はシンプルで 「わかりやすい人」 が好きだ!
初対面で、その人の人間性を知りたくなるのは当然なこと。
だけど腹の底では嫌いなのに、ムリして好きになろうとする、そんなムダな努力はもうやめた。

修行僧のような、モノの見方や考え方は捨てたし、別に相手からも選ばれなくても一向に構わない。
だから、「この人と知り合いになったら、俺の人生は楽しくなりそうだな…」 そう思えて、じっくりと気軽につきあえる人としか、解することはなくなるかも知れないね。

通して、恋人選びと同じようなもんで、「選び方」 とは、自分に素直になることだと思う。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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