13日は、予め休店日にしていたので、開店休業とはならず、幸いにも休養に充てられた。
巻き返しの弱風が、余韻となった火曜の夜。
仕事帰りのお客さんが、肩の凝らないラベルを指さす。
複数のざわめき感、少数のひっそり感、どちらもバーの特性となる。
「バーで飲んだ」 と 「バーで過ごした」 とでは、少し意味が異なる。
僕自身、20代は 「バーで飲んだ派」 であり、「バーで過ごせる派」 になったのは、妻を同伴して 30歳も半ばになったころかと思う。
男も40歳を過ぎれば後者でありたいが、それまでの飲み方が習慣で出てしまうので、見る人が見ればどのあたりで飲んでいたか、素性は見抜かれてしまうもの。
男は慣れない場所へ行くと、変に個性ぶるから、態度が透けて見えるんだ。
「マナー」 と、「どうでもいいこと」 を混同すると、結婚披露宴の困った 「円卓集団」 に見える。
それをあえて言葉にせず、限度を見守る意味では (バー) 「テンダー」 であってね。
60歳前後の人からすれば、僕なんかまだまだ 「ヒヨッ子グループ」 である。
「暴走還暦」 は救いようないが、還暦のダンディズムは、伊達じゃないだろう。
それは理屈でなく、以前からあった価値観を次世代につないでいくという意味でね。
常連の序列は堅苦しいけど、常連の過ごし方は店の雰囲気に影響してくるから、バーのお客さんとは 「選ばれし者」 なのかも知れないと、最近は感じることが多くなった。
そうすると、バーのニュアンスは、「飲む」 より、 「過ごす」 のほうが、しっくりくる。
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若い頃は貧乏性で1つの場所に落ち着けず、しかも金もないから、安い居酒屋を見つけて何軒もはしごしてたが、さすがに40才すぎたら、かっこわるくてしませんが、家飲みばかりじゃ悲しすぎる。年下女房に言われた一言は、行くとこないのと言われてハッとした。