2014年06月15日

My Fantasy

しばらくは、本屋に行かなくてもいいかな…

ノンフィクションで、書籍を三冊購入した。
長年、寝室のスタンドで本を読むのを日課にしていたが、視力の低下にともなう老眼が進行してきたので薄暗いところは避けるようになった。
それに就寝前は目も疲れているせいか、たいしてページも進められず、そのまま寝てしまうこともある。

そうなってくると、朝の時間にあたる午後の陽射しを浴びた部屋で、まだクリアーな頭で読むようになる。
または、介護施設で寄り添っているひとときを利用したり、夕方の空き時間を見計って光源のいい     コーヒーショップなどで、明るい場所を好むようになる。
前のように一冊にこだわることはなく、その日の気分に合わせて乱読している。

僕は、本を丁寧に読むタイプではない。
カバーや帯を外し、ところ構わず読みたいときに取り出せるよう、ポケットへ突っ込んでいることもある。
それに読み終えた本を売りに出す目的もないから、テーブルマナーのような読み方もしない。
特に心を豊かにしたいなど、情操や学問にしていないので、肩の凝らない気楽な趣味である。

この三冊には、類似していることがある。
ほとんど知られていない無名の筆者が、独自の視点でありのままの経験を執筆した作品。
面識はないものの、読んでいるうちに共感したり、納得させられたりすると、まるで友だちのような錯覚にひたれるのが、読書の魅力ではないだろうか。

きっと似たような体験をした人を見つけ出して、どこかで安息を求めているんだと思える。
だから作り物よりも、ノンフィクションに惹かれるのはそのためで、それがドキュメンタリーなんだ。
読後、素朴に筆者と会いたくなるのは、心情に共感したからであろう。

自身のブログは赤の他人が見れるのを考慮し、写真やプライバシーなんでもかんでもとはいかない。
だけど書くからには、仕事や私生活の一部、過去の罪状 (?)を暴き立てなければ、文章にそれほど 意味を持たせられなくなる。
ややこしい話だが、守秘は守秘として、「それを知られたところでなんなの…」という開き直りもある。

堂々としていたほうが生きやすいし、読み書きとは整体みたいなものだと思う。
読むことで筋肉をほぐし、書くことで骨格を動かし、公開することで体の歪みを矯正するような作業。

心の整体といえば体裁はいいが、年齢を客観視する意味では、無意識に活字づくのかも知れないね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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