2014年03月07日

転勤の春

転勤という別れに、出会いの儚さを感じる3月…

日本人は、儚い時間を大切にする。
この時期、律儀なお客さんにもなると、転勤の挨拶へお見えになることしばし。
その距離が近ければ走馬灯のように、店での出来事を思い出すことになる。

転勤に栄転も左遷もない。
転勤先や転属部署に、やたらと色(評価)をつけたがる人ほど、能力のない証拠だと思っている。
じゃあ、何か…  新潟に転勤を命じられた人は、みんなが左遷なのか。
それとも、何か…  東京勤務はそんなに偉いんかい。
そんな失礼な話はないわけで、そういう偏見が人の判断を狂わせるんだ。
それにネガティブな動機で着任されたら、組織も活性化しないであろう。
辞令を公布する側も、やる気を与えて命ずるべきであり、それこそ人身掌握術の成せる業。

転勤していく人に、同情してはいけない。
転勤族の生きかたはそれが当たり前なんだし、辞令と同時に頭の切りかえも行なっているはずだ。
さしずめサラリーマンの仕事は、代替えが効くという利点にある。
それなのに周囲が情緒的になりすぎたり、勝手にかわいそうな想像をするべきではない。
彼らにとっては、次のステージ(着任先)に使命感を向けているのだから、冷静に考えればその間違った思い込みにいい迷惑をしているかも知れないんだしね。

つまり、転校生を見送るような「泣きの美学」ではなく、男同士の別れは「笑いの美学」にあると思う。
僕自身、ここまでドライなことを書きながら、実のところ異なる部分もある。
しかし、そうしておかないとおたがいのためにもならないこともあるんだ。
経験的に語れば、送別会以上に誠実な言葉のほうが、はるかに重みがあった気がする。
仕事で生じた縁は不思議と、誠実な言葉で裸になった同志じゃないと、利害抜きの友情は成立しない。
まあ、そんなことを求めたことはないが、これも転勤を命じられたり、何度か転職を経験したり、退職してわかったこともあった。
僕にとって、長かったサラリーマン生活の中でも、胸を張って「こいつは戦友だった…」と認め合えた上、今でもれっきとした関係が続いているのは、東京にひとりぐらいしかいないからね。

男は傷つきやすい生きものである。
新体制の内部工作に巻き込まれたり、信頼していた人物が企みの糸を引いてたり、後から信じ難い話を聞かされて困惑したり、無念を語るどころか黙して語らずやがサラリーマン。
そこで恨み辛みを念仏のように唱えるか、それとも潔く飛び立つか、場合によっては強力な自己主張をするか、それぞれ本人の選択もあろうというもの。
表向きは「笑いの美学」とは形容したものの、見せられない顔もあることに気づかねばならない。

人を思う気持ちは大切だが、去り行く節目にしがみつきすぎる純粋さが、行く手をさえぎることにもなる。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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