2014年02月21日

書き下ろし

若い恋人同士であろうか…

夕方、万代橋を背景にして、彼女の写真撮影をしていた今風の彼氏。
正真正銘のカメラでピントを合わせていたので、きっと専門的に好きなのであろう。
スマホで撮る光景は見かけるが、カメラを構える姿は今や芸術的にも思えてしまう。

女性は年齢差なく、カメラの前ではいい女(表情)を演じる。
だから女性であり、その感覚を失ったら女性としては寂しい。
男と違うところは、女は一番美しかったころを残しておきたくなるもの。
そうするといかに魅力的に撮ってくれる男に、自分という被写体をあずけたくなるのが女だろう。
女心をくすぐられる意味で、万代美術館で開催されている「篠山紀信展」は盛況なんだと思える。

僕は写真を見るのは好きだが、自ら撮ることに興味はないし、撮られることもはた迷惑に感じる。
まず、自分の見た目に過剰な意識がないので、38歳を過ぎたころから、写真らしい写真はない。
それに子孫を残すつもりもないので、遺影も必要ない。
自分の顔写真を見て、何がおもしろいのかなとも思う。

それなら、人を語る表現方法の意味でファインダーになりたい。
昔の仲間が集まる理由に、あのときの自分を覚えていてくれ、出来事を語ってくれる人がいるからだ。
つまり、自分で自分を撮れなかった写真を見ることで、そこにいたことを確認し合えるんだと思える。
それに出来事を語る上で、曖昧な記憶には今さら真偽は問われない優しさがある。
人は誰かに見守られていたいとか、語られたいとか、そんなささいなやすらぎを求めているのだろう。
僕がその人のことを熱く語っているときは、きっと夢中になってシャッターを押しまくっている瞬間だ。

その影響がおたがい強ければ、「俺がおまえを書き下ろす」関係となれるんじゃないかな…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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