2014年02月13日

野次馬教育

11日 新潟市東堀の住宅密集地で木造アパートが全焼し、2人が亡くなり4人が重軽傷を負った。
あのあたりから先へ行くと、高齢者が住む古い木造住宅が多くなり、地域の手厚い連携が必要となる。

僕が下町に暮らしていたころ、いたるところに木造長屋が多く、火災の被害は今より深刻だった。
毎年、学校区のどこかで火災が発生して、原因はストーブから引火するケースが多く占め、次いで   タバコの不始末や台所からの出火に特定されていた。

はじめて火災現場に直面したのは、中学二年生(1978年)だったと記憶している。
入船町の集合木造住宅から出火し、町に消防車のサイレンが響き、出火場所に人だかりができていた。
僕は大したことあるまいと反応しなかったが、休日だった父親が四才年下の弟を連れて現場に向った。
部活動でヘトヘトな体を起こして、仕方がなくあとを追ったのだが、父が単純な動機で家族を連れて  行ったのではないことがわかった。

僕ら兄弟は幼いころから、親戚の家へ預けられたり、鍵を持たされた生活をしていたので、戸締りは  元から火元については、特に口うるさく言われていた。
そのころになると、親戚宅へ世話になることもなかったけど、念のために家の留守を預かる兄弟に火災現場を見せておく機会だと判断したのか、教育的な見地で連れて行ったわけである。

父と弟は高さのあるどこかの敷地から、僕だけは電柱によじ登って、それぞれの位置から消火活動の一部を見守っていたが、それはバケツリレーなんていうものではない。
バリバリと大きな音を立てて二階が焼け崩れ、オレンジ色の火の粉が夜空を舞うほどの全焼レベル。
燃え行く住居に茫然自失となっている住民、泣き声をあげている子どもたちの姿を目の当たりにした。

その後、家族3人でまだ人が多く行き交う夜道を足どり重く、父はボソッと「わかったか…」とひとこと。
野次馬と教育の境目は難しいけど、あのときの場面においては教育的な行動を感じた。
机上でしか考えない人からすれば、「火災現場を教育にするな」と言われるだろうか。
だけど初期消火の意識とは、こういうリアルな経験から、育まれていくと思わないだろうか。

小市民の感覚からすれば、これ以上の「野次馬教育」はなかったね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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