飲食店展開している会社によくあることで、売上が下がると店を任されている人に責任を問われる。
小売店だろうが、営業職であろうが、同じように結果を追及されるのは世の常。
それに掲げられたノルマが、今の現状に即しておらず、厳しすぎる場合もあるだろう。
飲食関連は景気や天候に大きく左右されやすく、どんなに優秀な責任者であろうがダメなときはダメだ。
だが、損ねられない努力はすべきだし、景気的な理由を探してばかりでは、知恵も気力もなくすだけだ。
だからといい、空気を締めすぎると委縮するし、逆に緩めすぎると成果が一向に上がらないのも現実。
見えないストレスを家庭に持ち込みはじめると、今度は家庭にも小さなひびが入るようになる。
結婚して家庭を築くことは、そのあたりの切りかえ方も大事になってくる。
生真面目な人が思い悩みすぎると、会社と家庭が苦痛以外の何モノでもなくなってしまう。
業績が悪いからといって、毎日が感情的になっていれば、子どもと同じである。
客がいないからといって、雨の路上で「割引チラシをまいてこい」と指示を出すようなもので、その姿を 見て通行人は同情するわけないし、精神訓話やパフォーマンスが旺盛でもそれはそれで始末が悪い。
その上、晴天に人手不足をおこしてれば世話ないわけだ。
責任感が強すぎると、次第に小さな核の中でしか通用しない、論理で固まっていくような気がする。
真面目のどこがいけないじゃなくて、真面目をコントロールすることだと思う。
僕自身、ほどほどに店をやっていれば、その信憑性はどうあれ、自然と人の噂は耳に届いてくる。
時には「うつ病状態」とか、「仕事をやめた」など、突然消えていく人たちを何人か見てきた。
次第に病んでいく姿を、定点観測のように見ただけに、たまらない気持ちになったこともある。
生真面目には塩梅があり、生きていく上では小真面目ぐらいがちょうどいいと思う。
時として生真面目さは、心の狭さにもなるんだ。
友人でも小真面目ぐらいのほうが、胸襟を開いてつきあいやすいでしょ。
病に陥りたくなければ、小真面目でいいんだ。
まあ、口ではこう言っているけど、総じて真面目の味方であることには違いはないけどね。
何の変哲もない、今日日曜日…
夕方から「あー、明日から仕事か」と、深刻に思う人はやっぱり真面目なんだろうね。
その思いの加減には個人差があるんで、「誰もあんたを殺しゃしないよ」って話である。
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