2013年06月29日

普通の人

韓国映画 「殺人の追憶」のエンディングを思い出した。

28日、東京練馬で下校途中の児童らが、40代の男から刃物で切りつけられた事件があった。
スピード逮捕に至ったもの、容疑者を確保する現場を目撃した地域住民の言葉は次々一致していた。
 Q (どんな人でしたか) A 「普通の人でした」

「普通の人」 今では珍しいことではなくなった。
具体的に特徴をたずねてみると、「まさか」の後にこう答える人も多い。
「会えば挨拶する人でした」 または、「子煩悩な人でした」と…
その言葉を聞くと、何かがきっかけで性格が切り替わるのかと思える。

日常の挨拶や言葉遣いは、その人柄を判断する上でまずは基準となる。
だが、今や当たり前の基準でさえ、どうも怪しくなっている。
有名企業、硬い職業の人は安心という思い込みは、判断を鈍らせることに多くの人は気づいている。
生真面目な人ほど、他者に対する許容範囲が狭いから、平気で非情になれたりするものだ。
じゃあ、「何で普通の人がそんなことをするんだ…」という話であってさ。

普通の基準に首を傾げたくもなる。
無口な人が、急に人が変わったように話し出すときがある。
日本には「沈黙の美学」があるから、そのギャップに驚かせられるんであって言葉そのものじゃない。
寧ろ、普通の基準の取扱い方が、とても難しくなってきていると思える。
最後は想像力に尽きると思うが、見るからに普通の人ほど理解に苦しむときがある。

唯一、犯人の顔を目撃した少女が、未解決事件の責任を取って辞職した元刑事にこう言った…
「普通の顔だったよ」  背中に冷たい戦慄が走った…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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