2013年02月09日

自殺問題(3)

新潟県は依然として自殺率が高いという。
僕が10代の自殺に心が痛むのは、経験によるところが影響していると思う。

高校二年の春、将来の友人を失った。
彼(以下、F)とは、小中高校と同じ柔道部(道場)の間柄だった。
将来の友人と先送りしていたのは、当時は好敵手であり、一緒に遊ぶこともなかった。
Fは高校一年の夏から、次第に部活に現れなくなり、二学期がはじまっても学校に登校してこない。
僕は戻ってくると思い、そんなに気にすることなく青春を謳歌していたが、噂はゆっくり耳に入ってきた。
その噂とは、「白血病らしい…」

部員数名と入院先へ見舞いに行っても面会謝絶。
後日、保健室の先生に病名だけを訊ねに行くと顔が一瞬だけ強張り、その場をあやふやにされた。
数時間後、Fの担任に呼ばれ、「今は何も言わないでくれ…」と口止めをされた。
二年に進級した春、Fが戻ってくることを信じていたが、願い叶わずこの世を去った。

数ヶ月後、失意のどん底から引っ越したF家の自宅に焼香に伺った。
霊前の前でご両親に一礼してから、入院中の出来事を訊くことができた。
これから先が、10代の若者に訴えたいことである。

病室の窓から当時そこにあった、M高校の校門が見えていたらしい。
本来なら学業にスポーツ、友情や恋愛にいそしんでいる年頃である。
今思い出したが、フォークギターを趣味にしていたはずだ。
それなのに、入学したばかりの学校生活も送れないどころか、病室からも出られない。
朝と夕方、登下校するM高校の生徒たちの姿を窓辺から見ながら、自分の元気な姿と重ね合わせて、    ひっそりと泣いていたらしい。
しかも気丈に、親に涙を隠していたというではないか。
Fは最後まで、学校に登校できる日が来ることを信じていたんだ。

僕はFを失ってから、どこか柔道の練習にも身が入っていなかったと思う。
だけど、この話を訊いたとき「俺は自由なんだよな」と、それまで引きずっていたことが吹っ切れた。
そのとき、好敵手として距離を置いていたFとは、先送りしていた友人になれた気がした。

どんなに辛いことがあっても、自ら無責任に命を絶ってはいけないし、尊いことをわかってほしい。
残された家族にどれだけ大きな苦しみを与えるか、そのことをわかってほしいんだよね。
自殺するほど追い詰められていた気持は理解できるが、絶対に無駄死にで家族を泣かせてはダメだ。
あのとき告別式に参列したが、泣き崩れている母親を父親が抱きかかえ、その脇で弟が涙をこらえて、   打ちひしがれていた家族の姿が、今も脳裏に焼きついているからだと思う。

Fが逝った新潟がんセンターでは、柔道部の後輩が医師として日夜、多くの患者と向き合っている。
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