2013年01月13日

体罰反対

部活動の顧問による、生徒への体罰が原因で尊い命が失われた。

体罰は反対である。
しかし、スポーツにおいては体罰は必要悪と黙認され、鉄拳制裁こそが強くなるためへの早道として、    いつの時代も曖昧な論調を書き立てられていたと思う。
認めたくはないが、手っ取り早く強くするためには、体罰は安易な近道となる。
だけど体罰を振るわないことが、優秀な顧問としてのダンディズムなんだ。

僕は長年、柔道部に籍を置いていた。
体罰を受けたことはないが、体罰をまじかで見たことはある。
次の試合に備えて、体育館の隅でウォーミングアップしていたときのこと。
前の試合で僕に負けた相手が、顧問から怒鳴られながらイガグリ頭を平手で叩かれ続け、しまいには履いていたスリッパで往復ビンタを張られていた。
彼は体罰に耐えていたが、その目は悔しさというよりも、敵意にも満ちたような目をして僕を見ていた。
強豪高校の2年生が、無名高校の1年生に負けたことが堪えたのであろう。

柔道は礼に始まり、礼に終わるのが所作であり、勝負は時の運でもある。
負けたからと面前で体罰を食らわしたり、敵意を持たれたりしたら、それはたまったもんじゃない。
スポ根漫画の見過ぎと言うか、勝敗に遺恨めいた筋合いなどない。
顧問の体罰は水面下で、よどんだ心理状態を生み出す。
体罰は体罰でしかないのに、お互いが体罰に依存するようになる。
気づいたときには、体罰なしでは選手として動機が保てなくなると思う。
つまり、人格の中に体罰という恐怖心を植えつけるんだ。
顧問に限らず、先輩後輩の関係においても、十分に置きうることでもある。

冗談じゃないよね。
一度恐怖心を植えつけられると、自分の頭で考えることが鈍くなり、骨抜きにされた挙句、ひとりになると途方に暮れてしまうようになる。
その人なくして行動できない、ある種「依存心」という麻薬みたいなものだろう。

体罰はサーカス団の猛獣使いに似ている。
鞭が怖いから動くんであり、自らの意志ではない。
たまに飴でもしゃぶらせて、優しい人を演じておけば、ひとたらしと同じでしょ。

最後に体罰は反対だけど、一定の理解は示さなきゃならないこともある。
あくまでも仮の話だが、体罰に愛情をつけるとしたら、日常的なものではない。
親心にも似た瞬間的なことであり、真剣な愛情は伝わるものだと思うけどね。

僕の年齢だから言えるけど、当事者の顧問と同じ年齢と知って、少し複雑な心境である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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