2012年07月24日

子犬の視線

休日の夜、久し振りに新潟駅前の繁華街をぶらついた。

暇の代名詞、「日曜の夜」らしく、人通りはまばらである。
それでも、お客が入っている店の特徴は決まっている。
僕は静かに飲みたいので、出来る限り空いてそうな店を探しつつ、気心が知れた店も候補に描きながら街中をぶらつく。

歩いている途中、明りが灯ってない小料理屋を通り過ぎようとしたら、そこはかつて、よっちゃんが生前通っていた店だったことに気づき、思わず足を止めてしまった。
そういえば、彼は安いからといって、あまりチェーン店には入らなかった。
入る店といえば、個人経営の小さな店を好み、自分を包み込んでくれるような店主を探していたようだ。
彼には悪いが、どこか捨てられた子犬みたいに、人を恋しがるようなところがあった。
ただでさえ寂しがり屋なくせに、変な虚勢は張るものの、どこか哀しげだった目は忘れない。
その目は店先にたたずんでいる、小さな子犬のようにも見えた。

彼はマザコンだった。
そこの小料理屋の女将さんを、母親代わりに慕っていたと思われる。
それに情の厚い性分ゆえ、行く店はいつも堅い男だった。
「小料理屋で過ごして、GIGに来るのが俺の楽しみなんだ…」 その一言は今も耳に焼きついている。
ルールと秩序に少し欠けてしまうところもあったが、しっかりと反省もできる気持のいい性格だった。
ある日、小料理屋で粗相をしてしまい、女将さんから出入り禁止を言い渡されたという。
数日後、扉を少し開けて頭をかきながら、「いいかな…」と許しをこうむるあたり。
こうして、仲直りをできる素直さが、愛されていたのだと思う。

こんなこともあった…
真夏の夜の暑さもあり、相方がカウンターで立ちくらみをおこして、膝から崩れたことがある。
すると僕よりもいち早く、彼がカウンターに入ってきて、「大丈夫か」と介抱してくれた優しさ。
幸い軽いめまいで大事に至らなかったが、あのときの献身ぶりは絶対忘れることないだろう。
人に対して、情緒的になれることは、優しさなんだと気づかせてくれた。
まるで、子犬のような視線を向けてくる、かけがえのない男でもあった。

最期のオチは、去年9月26日に書いたとおり、こんな悲しい別れもあることを知った。
彼が愛した場所で、物思いにふけってしまうのは、きっと僕の心の中で生き続けているんだろう。
僕はこうしてたまにひとり、会話を交じり合わせることで、生前の彼に敬意を払っている。

なぁ、よっちゃん…  一昨年の花火大会の夜、本当に楽しかったよ!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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