2012年07月19日

いじめ問題(3)

ロンドン五輪を契機に夢や感動、絆という言葉を多く耳にすることだろう。
夢を持つ素晴らしさを説くには、とてもいい機会である。

「こんな俺にも、夢はあったんだ…」  誰でも一度は、心の中でつぶやいたことがあるだろう。
大人になった今、夢がない訳ではなく、少年期の夢は叶わなかったから、夢のままでもいいともいえる。
そう思う理由に、近頃は夢の強要が激しくなりすぎていると思える。
夢だの希望だの、親の気持が過剰すぎると、逆に夢が遠ざかるのが思春期の心理。

進学校から有名大学を卒業し、有名企業に就職させることを望む親がいてもいい。
今なら、安定志向の公務員が人気であるが、結婚相手にも身持ちの良さを託すらしい。
幼年の頃から、スポーツや習い事に通わせ、英才教育に財を注ぎ込む親も多いと聞く。
「やればできる」は、親の常套句だけど、努力と結果が比例することは稀である。
それでも、努力をしないよりもした方が、夢の実現が高いからした方がいいだけのこと。
結果が思わしくなければ、夢を修正するぐらいの柔軟性も必要であろう。
一部の親を見ていると、夢の実現に熱心すぎるがため、子どもの人格を壊しているようにさえ思える。
レールを敷くのは否定しないが、その前にレールを敷けるだけの資格があるかは別物だ。

子どもに夢を託す前に、親が身近な教育をしているかは、はなはだ疑問である。
「いじめをするな」 「万引きはするな」 「物干し竿のパンツを盗むな」(?) 
人に迷惑をかけない教育の方が、よっぽど社会のためになり重要なことでしょ。
あたりまえの教育(躾)をせず、将来の夢ばかり強要された子どもの性格は屈折するよ。
いじめをやめさせたかったら、あたりまえの教育(躾)を、あたりまえに言い続けることだと思う。
それを言わずして、口当たりのいい言葉ばっかり並べ立てられれば、子どもは勘違いしちゃうよな。
夢や感動、絆という前に、「躾」という言葉を優先すべきである。

教師も教師で、いじめと判断したのであれば、いじめはあるとして動くべき。
あれこれと言葉をいじくり回さず、ダメなことはダメだと気勢を上げればいい。
それに「何か嫌な感じ」があるのは、どんな子どもの意見にも相槌を打つ八方美人の大人が多いこと。
もしかすると誰にでもいい顔をする、大人の曖昧な態度がいじめの温床になっている気さえする。
「いじめ問題」は、妙に物分かりがいい大人に慣れ切ってしまった、子どものずるがしこさであると思う。

僕自身、褒められた青春じゃなかったけど、大人のキレイごとだけは言わないように心がけている。
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