2012年06月08日

ロッキーに学ぶ

連日、来月のロンドン五輪に向けて、様々な競技の代表選考会が行なわれている。

努力は報われないことの方が多い。
じゃあ何で努力をするのかといえば、努力しないより、努力した方が目標に近づけるからと考える。
僕も柔道を通して努力はしたさ…  だが、努力が報われたなんて思ったことはなかったし、道場生にも無責任な啓発もしたこともない。
努力は自分がどう納得するか、他者がどう共感したかでしかないと思う。

映画のワンシーンを使えば、名作「ロッキー」(1976)の14ラウンドを思い起こしてほしい。
アポロの強烈な一発を喰らったロッキーは、キャンバスにのたうちまわり、ロープにしがみつきながらも必死に起き上がろうとしていたあの場面だ。
セコンドは、「もういいから、立つな、そのままでいい」と、怒鳴りながら制止していた。
セコンドは死闘に共感したが、ロッキーは納得してないので、制止を振り切り立ち上がる。
最終ラウンドまで立ち続けることで、俺はただのチンピラじゃなかったことを世間に認めさせたかった。
試合終了のゴングが鳴り響いたとき、誰も勝ち負けなんかにこだわっていなかった。
人々は結果に感動したのではなく、プロセスに感動したからだ。
つまり、結果が全ての世界で、プロセスという努力にみんなが共感したのである。

今でも、あの映画を思い返すと三つのポイントがあった。
まず動機。  エイドリアンへの愛情、ミッキーへの尊敬、ポーリーとの友情。
そして自分自身、世間に認めてもらいたいという信念。
次に努力。  努力に生きがいが宿った。
最後に運。  これだけは仕方がない。 
アポロが気まぐれにロッキーを名指ししなかったら、アメリカンドリームを手にすることはなかった。
結果とは、「動機・努力・運」を得たものが、真の勝者になれると思っている。

次回作からファイナル作まで、ロッキーシリーズが長年愛された理由には自分の弱さを素直に認めて、再挑戦を続けるプロセスにあるんだ。
その努力は金のにおいがするのではなく、牧歌的でやさしさに包まれているから、ロッキーは人々から愛されたのだと思える。

スポーツの勝敗において、共感と同情は全く違うものなのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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