2012年05月14日

Improviser

「キース・ジャレット・ソロ・2012」 あの感動から一週間か…。
あらためて、僕が思い描くキース・ジャレットを語ってみたい。

2005年の東京ソロにおいて、異例のお達しがあったらしい。
一部の観客が演奏中、キースのカンにさわるような歓声や雑音を上げた。
その場で演奏を中断すると、「日本には瞑想という文化があるはずだ」らしき発言をしたという。
また聞きなので、実のところはわからないが、大筋でそんな出来事はあったんだと思う。

1990年頃、原宿キーストンコーナーで演奏中のジャズギタリスト、ジョー・パスが観客の場違いな歓声に怒り、「出て行け」みたいなニュアンスを吐き、一瞬会場が凍りついたという。
一方では、「日本人はノリが悪いからつまらない…」と憎まれ口を叩いた、ブラジルのピアノシンガー  タニア・マリアなんかもいた。
まあ、お国柄や時代背景、本人の美意識もあるだろう。
前者は芸術家タイプで、後者はエンターティナータイプに分けられるのかな。
中間があっていいが、キースは尖った言葉は吐かないまでも、括りでいえば芸術家タイプだろうね。
特に、ソロとトリオでは別物意識があるため、会場の緊張感も多才による多彩な気もする。

僕の手元に1989年に初版されたハードカバー、「キース・ジャレットのロングインタビュー集」がある。
長文なので僕なりに縮尺してみるが、確かにこんなことを語っている。
「エンターティメントのような社交上の集まりは、所詮は社交でしか集まらなくなるので、それは私のやり方ではない。そうなると次に進めなくなるからだ。私が追い求めているのは、自分自身をさらけ出すこと。それが自由であり欲望だ」と。
さらに、「全員に愛される音楽をするつもりはない」とも。
今もその言葉は変わらないと思うし、僕の中のキースは芸術家なのである。

だから、酒場で演奏するのは嫌うし、雑音に神経を尖らせてしまう。
音楽や芸術に幅があるように、こういう人もいないと発展しないと考える。
金さえ払えば、何でもかんでもエンターティメントにしてしまう風潮に対して、キースのようなベテランの クリエイティブな姿勢は感動的にさえ思えてしまうんだ。
実力と自信があってのことだが、その価値が充分だから共感されているんだ。

開演前のステージには、まだ何も描かれていないキャンバスがある。
終演後には、キャンバスに見事な色彩で描かれた完成画を残していく感じ。
しばらく席から立てなかったのは、見えないものが見えたような気がしたから。
それこそ、余韻や空間、間の世界を知ることになる。
僕が語ることはおこがましいが、聴いて語っていることは確かである。

キース・ジャレットは、世界最高峰の「インプロヴァイザー」である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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